(俯瞰視点)


 キッチンから仄かな甘さが湯気と共に漂ってくる。落ち着いた色のソファに座り、文庫本を読んでいた黄瀬は、本を閉じそちらに顔を向けた。
 かたりと、風が閉めきった窓ガラスを揺らした。

「ココア飲むか?」

 既に二人分のマグカップを持った青峰が、左手の一つを手渡す。コーヒーが良かった、とぼんやり思いながら黄瀬はそれを受け取った。
 青峰が黄瀬の隣に腰を下ろし二人とも飲むことに集中すると、しばし無言の時間が流れる。

 一足先に飲み干した青峰は、ローテーブルの上に空になったマグカップを置き、黄瀬の肩に頭を乗せた。金糸のような猫っ毛がさらさらと瞼を刺激する安心感を享受する。黄瀬は半分ほど中身が残ったカップを両手で包み、青峰に顔を近付けた。
 甘ったるい重低音が黄瀬の名前を呼ぶ。唇に自らのそれを押し当てすぐに離すと、同じように浅黒い鼻と瞼にキスを落とした。

「あまい、」

 そう呟き、黄瀬は手の内にある残りを流し込み、テーブルの上に二つのマグカップが仲良く並んだ。
 もっかい。形の良い薄い唇が形作る。「仕方ないっスね」と小さく笑い、もう一度キスをした。舌を絡ませあい、唾を交換して、時折酸素を吸う。静かな部屋の中に水音が主張するかのように響く。しきりに顔の角度を変え、黄瀬は青峰の頬に手を滑らせた。先ほど漂った香りが、ふと黄瀬の鼻腔をくすぐる。

「…やっぱりあまい」

「ココアにして良かったろ。コーヒー飲んだ後だと苦えんだよ」

 ソファから立ち上がり、青峰は二つのマグカップを流し台に持って行った。オレンジと白のストライプの模様のお気に入りはいつか黄瀬が一目惚れして買ってきたものだった。

 バレてたのか。こんな時に付き合いが長いこと、相手が予想以上に自分を見ていることを自覚する。黄瀬は照れ隠しに左耳のピアスに触れた。金属の肌触りは心を静めてくれる。黄瀬の昔からの癖だった。


「出かけるか」


 疑問符がついていない言葉に、頷く。
 迷う理由などない。どこに行っても結局は二人なのだ。



  *  *  *



 一面に広がるひまわり畑。よく成長した黄色やオレンジの大輪は皆行儀よく太陽を向いている。絵の具をこぼしたような均一のスカイブルーが空いっぱいに溢れだす。入道雲がない点、夏空より秋空に近く、また気温も過ごしやすい。涼しい風が吹き、あまり汗ばみもしない。見た目にも爽やかなその場所は平均身長より高い青峰と黄瀬の姿もすっぽりと隠してくれる。

 向日葵の花は一つの大きな花に見るが、実際は多くの花が集まって出来たものだ。花びらのようになって外側に咲いている舌状花は、装飾の花で実を結ばない。反対に、内側に密集している管状花は地味だが種を作る。
 黄瀬は、向日葵のようだと、きっと褒められているのだろうが、そう言われるたび、このことを思い出した。見た目を認めてくれてもそこは本質じゃないと、柄にもなく感傷的なことを思った。ただ一人、青峰だけは「どっちかっつーと太陽じゃね」と言ったことは今でも黄瀬の心の中で鼓動を刻んでいた。―――「向日葵って太陽見てんだろ?そうじゃなくてなんつーか、お前が光ってる側っていうか、ああ!!もういいだろ!」真っ赤になった顔を見られないように、目元を隠された手からどくんと血流が伝わった気がした。

「青峰っちって意外とロマンチックっスよね」

 胸に広がる愛しさを抑えるためにか、茶化して笑うと、ばちんと額にデコピンをくらった。


 風に動かされ、たくさんの向日葵がざわめいた。その音がはっきりと聞こえるほどには静かだった。二人以外存在しないここで、互いの鼓動さえ聞こえてきそうだった。
 遠くを見つめる彼は何を考えているのか。知りたいわけではないけど、二人きりになった今も見るとは思わなかった。黄瀬は意外に長い襟足を目で追った。

「どした?」

 時たま出る声の優しさが、適当に見えて大切そうに扱う手が、ちゃんと愛されていると黄瀬を安心させた。青峰の耳のうぶ毛が、太陽に反射してきらきら瞬く。こんな綺麗な光景他にないと、黄瀬は思った自分に苦笑した。

「青峰っち、もうちょっと上に行こう。あの丘のとこ」

 ゆっくり歩を進める青峰を置いて、先に登った黄瀬は、みずみずしい緑が鮮やかな大樹の下に腰をおろした。青峰に向かって、はやく、と手まねきする。あいつは俺を待っているんだって、どんなに叫んでも誰の耳にも届かないことが少し残念だった。

 雲雀が飛ばない空はどこか物足りなく、寂しそうだった。


「ねえ、向日葵の花言葉知ってるっスか?」

 幹にもたれて寝ていたと思っていた黄瀬が、唐突に話し出した。木漏れびで、黄瀬の双眸の中のたんぽぽがきらりと光った。

「知らねえ」

「あんたが知ってるわけないっスよねー」

 さも面白そうに頬をゆるませ、黄瀬はもう一度目を閉じた。誰もいない世界でも思った以上に音が鳴っている。

「憧れ。恋慕。崇拝」

「へえ」

 もうひとつ、と黄瀬は小さく息を吸い込んだ。透き通った風が黄瀬の肺を満たす。

「わたしの目はあなただけを見つめる」

 切れ長の目が信念を宿す。長い睫毛に縁取られたアーモンドが青峰を射抜いた。良い花言葉じゃないっスか?と笑う黄瀬の唇にキスを落とした。少しだけかさついたそこは、青峰だけを知っている。


「ねえ、青峰っち。……嫌じゃない?」

 急にだだっ子のように不安そうな声を出した黄瀬は目の前の青峰に問う。

「二人きりで、やじゃないっスか?」

 青峰の後ろに広がる水色に、このまま溶けてしまいそうなど、馬鹿げたことを考えては、弱りきった涙腺は刺激される。今まで歩いてきた道は変えられない。だから、積み重なってきたものに押し潰されそうになる。

「なにそれ。幸せだっつの」

 こつんと額と額を合わせ、体温を分け合う。優しく瞼に触れる唇にこのまま食べてくれないかと黄瀬は胸を焦がした。「余計な心配すんな」頭を撫でる、笑みを含んだその声色の穏やかさを知っている人はたった一人だけ。

「青峰っち、好きだよ」

 黄瀬の瞳が薄い膜を張る。泣き虫とからかう群青もさざ波のように揺れる。青峰はもう一度黄瀬の唇にキスをした。触れるだけのキスで、自分の気持ちが全て伝わることを願って。ほんとに幸せなんだ。

 その状態のまま黄瀬の鼻を摘まむと、蜜の空気を壊す声を出し、黄瀬はおもいきり青峰を叩いた。

「息出来ないじゃないっスか!このバカ峰!!」

「わりぃって」

 ふざけ合って、大口開けて笑い合って、このまま消えてしまってもいい。お互いの想いが重なった。

 とても、とても幸せなはずなのに、時折泣き叫びたくなる感情は、黄瀬がどんなにピアスに触れようとかき消されなかった。



 ひまわりが揺れる、二人だけの地球、9月のこと。





世界の呼吸はやさしい


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20130129





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