(黄瀬視点) じゃあなと大好きな低い声がまるで隣にいるかのような距離で聞こえる。暖かい体温は海の向こうにいるのに。 「うん、またね」 スカイプからログアウトして、マイク付きのヘッドフォンを頭から外す。一人きりには大きな部屋にため息がこもる。会いたい。一週間に一回テレビ電話したって触れられないのはやっぱりキツイ。高めの鼻に自分の鼻をくっつけて、柔らかい瞼にキスして、短い襟足を舐めて、骨ばった手を撫でて、皮膚の下にある綺麗な筋肉をなぞって、薄い唇にかみつきたい。同棲していた青峰っちがアメリカに行く前は毎日やっていた行為は俺の生活の一部になっていた。離れたばかりの頃は、起きても隣にいないことだったり疲れて帰ってきた時に抱きしめる力強い腕がないことに、いちいち胸が潰れそうなくらい寂しくなっていた。 だけど二年もそんな生活続いたらさすがに慣れた。でもやっぱり毎日顔見ておはよう、おやすみって言いたい。 本格的にバスケしてえんだと真っ直ぐに言った彼を見て、嫌だ寂しい行かないでって気持ちより先にやっぱりめちゃくちゃかっけえなって昔から変わらない想いがすとんと落ちてきた。いってらっしゃい、と笑って背中押したあの時の俺は待てると思ってた。物理的な距離が出来るだけでこんなに不安になるなんて予想外だった。 青峰っち、金髪の巨乳美人と遊んでないっスか?バスケ楽しくて帰ってこないとか考えてないっスか?俺といた時より毎日が楽しかったりするんスか? 尋ねたいことはたくさんあるけど、どれか一つでも肯定されたらきっともう俺は泣いて泣いて世界に新しい海を作れるんじゃないかって思う。 こっちは強い奴ばっかりだぜ、弾んだ声の余韻がまだ耳の中で反響している。 あのバスケバカはここ一年日本に帰ってきていない。いつ帰ってくるか予定さえ言わないのだ。よほど海の向こうの、俺とっては未開の地が楽しいらしい。 「浮気したら殺すって言ってたじゃないっスか」 一年だ。20代も半ばのまだまだ性欲が有り余っている成人男性なのに、俺は一年間右手と仲良く夜を過ごしている。いくら名前を呼んだって、優しくなぜてくれる手は届かないところにあった。 青峰っちに比べたら俺も淡白な方だった。あいつがオナニーだけで我慢出来るとは思えない。アメリカには青峰っちが大好きなおっぱいばいんばいんな女の子もたくさんいるだろうし。 こんなことを毎日ぐるぐる考えて、肺が圧迫されて俺は苦しい。口を開くと水が入ってきて更に涙が出てくる気がする。バカみたいだけど瑠璃紺の瞳の中に揺れる世界を見ないと、呼吸もまともに出来ないみたいだ。 * * * 緑間っち、ヤケ酒付き合って。 既にモデル仲間との飲み会の後でそれなりにアルコールを摂取しても、酒に強い俺は全く酔えていなかった。金曜日なんスよ、飲もうっス!そう言っても、研修医は存外忙しいのだよとガチャンと電話を切られてしまった。あのインテリメガネめ。最後の頼みと、いつも冷たくあしらわれる黒子っちにあまり期待せずに電話をかけると、珍しくすぐに二つ返事でオーケーしてくれた。実は僕も誘おうと思ってたんです、なんて罠でもありそうな言葉まで添えて。 「黄瀬くん、そろそろお開きにしましょう」 「えーっ!!まだ10時っスよ?大学生の合コンでももっと長いって!」 黒子っちはちらりともう一度腕時計を確認して、再度きっぱりと断ってきた。 「いえ、もう時間です。それに今日はどこにも寄らず真っ直ぐ家に帰ってください。分かりましたか?」 教育係の目で見られると言うことを聞かないといけない気分になる。しっかり約束まで取り付けられて、俺はせっかく編み出した、週末は二日酔いで何も考えずに潰すという素敵な予定を壊された。1人での宅飲みは嫌いだった。家のあちこちに残っている彼の跡は、アルコールなどでは消せない。 静かな住宅街に俺の足音だけ響く。自分の部屋を見上げても当然のごとく電気はついていない。そりゃ今は1人暮らしっスからね。今、だけで済んだらまだいい。ほらもっと飲んでおくべきだった、余計な考えが頭を覆っていく。 マンションのエントランスに入ろうと足を踏み出した。 「なあ俺鍵持ってったよな?なくしたかもしんねえ」 は?驚きで足元に向けていた顔をあげたくない、きっと幽霊の一部だけ見た人ってこんな気持ちなんだろう、な、 「黄瀬ぇ、酔ってんのか?」 ひやりと外で待ってたからか冷えた手が無防備に晒されていた首に触れる。11月だよ、アンタいつからここで待ってんだよ、てかなんでここにいんだよ。 さっさと中入ろうぜー、と肩に腕を回される。広がる匂いが鼻腔を刺激して、涙腺が緩みそうだ。 「青峰っち」 怒りたかった。まず俺に連絡しろよって、鍵なかった時点で携帯使えよゴリラって、なんでいつでもそんな急なんだよっていくらでも悪態は思いつくのに、しがみつくように首に腕を巻くと更に強い力で腰を引き寄せられて、黄瀬の匂いだって青峰っちが笑った吐息が耳を癒すから、俺は何もかもどうでもよくなった。 エレベーターに乗り込んだ途端、噛みつくようにキスされて口内を好き勝手に舌が動く。一年ぶりだ。青峰っちの唾液を飲み込むと俺は上手に息が出来るようになった。興奮で息が荒くなった青峰っちを見ると、胸が幸せでいっぱいになってはじけそうだ。 チンと目的の階についたことを知らせるベルが鳴った。それでも離してくれずいつまでもベロを舐められて、もうこのまま上行って下行って青峰っちと上下運動だけするのもいいなと朦朧とした頭で思った。 「あ、やべ日にち越える」 急に唇がばいばいして、顎によだれが垂れる。 はやくと手を捕まれ、部屋の前まで早歩きで連れていかれる。鍵、鍵とせかされて腰が抜けそうなくらいのキスの後で大した思考も出来ずに尻ポケットからキーチェーンを取り出した。久しぶりなくせにすぐさま家の鍵を選び出したことにまた心臓が満ちた。 がちゃりと重い音がしてドアが閉まった瞬間、後ろから強く抱き締められた。耳の裏側を舐めて、ゆっくりとピアスの穴を舌でなぞり、青峰っちは耳の側で息を吸った。 「黄瀬、俺と結婚してください」 あっちで契約決まった。 いつもより硬い声が緊張を告げていた。おめでとうよりありがとうより先に返事がしたくて、既にぼたぼた流れる涙に濡れた顔を青峰っちに向けた。反対にして、と出した音が自分でも驚くくらい掠れていた。ぎゅっと正面から抱きしめられていよいよ返事どころではなくなってきた。離れたくない。隙間を埋めるようにすがりつくと青峰っちの目からぽたりと一粒液体が流れた。黄瀬、黄瀬と確認するように呼ばれてやっと気付いた。寂しかったのはこの人の方だ。言葉も通じなくて知り合いもいない、それにきっと負け続けてばかりだった。それでも弱音を吐かなかったのはこの為だったのかもしれない。俺はひどい勘違いをしていた。この二年間ずっと幸せだったんだ。 「はい」 そのまま廊下に倒れこんで、俺たちは泣いてバカみたいに笑った。これから先ずっと瑠璃紺の乱反射が世界を揺らす。俺はエラ呼吸が出来るようになった。 海の底で息をする ――――――――――――― リクエスト有り難うございました! 20121124 × |