1


「うわあ、見てくださいアレ。見渡す限り雷雲ですよ」

 水櫁が指差す先は重たく空を覆い尽くす黒い雲。遠くからでもはっきりと雷鳴が聞こえてくる。

「……あーあ、ひと雨来るな、こりゃあ」
「宿か何かに着くまで間に合うかな」
「賭けるか? 無理な方に千円」
「俺も」
「じゃあ自分も無理に一枚」
「オレもっ」

 誰がどう見ても勝敗が見えてることと参加者全員一致の意見に八戒が賭けにならないと苦言を呈す。そこで悟空が、ひとつ声が足りないことに気づく。

「双蓮は? どっちに賭ける?」

 席から半分ほど身を乗り出し、隣を併走する双蓮に聞く。しかし彼女は口を一文字に結んだまま。運転しているとは言え、こちらをちらりとも見ようともしない。走行音にかき消されたのだと思った悟空はもう一声。ところがこれっぽっちも反応を示さない。
 水櫁ほどでないにしても悟空を気にかけてくれるし、無視を決め込むことが多い――最終的には煩さに根負けして怒鳴り、構わざるを得なくなる――三蔵や悟浄とは違い、声をかければ必ず「なんだ?」と嫌な顔せず返してくれた。そんな双蓮にここまで無視されてしまうのは何だかとても悲しいと思った悟空は何としても双蓮に反応して欲しくて、耳元で言うべくさらに体を乗り出した。
 実はこの時、双蓮の異変に気づいた水櫁が双蓮のためにも悟空のためにも間に入ろうとしたが、僅かに遅かった。

「さっきから煩いんだよ!!」

 ぴしり、と空気が凍りついた。言われた悟空だけでなく、三蔵たちまで目を丸くして双蓮を見る。
 今までくだらないことで三蔵と言い争ったり、酒量を自重しない水櫁にキレたりと気が短い彼女はこれまで何度も声を荒らげて来たが、今回はその比ではなく、苛立ちというより何か憎しみが含まれているよう。
 周り――特にどこか傷ついたような表情を浮かべる悟空――の反応にすぐに我に返った双蓮は己の失態を恥じ、バツの悪そうな顔で「あっ、すまん……」と謝った。本意ではなかった双蓮の態度に悟空も「俺もいきなり耳元で叫んでごめんな」と返した。しかし悟空の表情はあまり晴れなかった。
 何とも言えない空気が沈殿する中、水櫁の鼻がぴくりと反応した。

「ねえ、なんか臭いません……?」

 その一言に一同すんすんと鼻を鳴らす。鼻についた悪臭はただ嫌な臭いではなく、何かモノが腐った、本能的に危険と感じるようなもので、それは道を進むにつれ段々と強くなる。
 そして臭いの元にたどり着いたとき、全員が息を飲んだ。

「――おい、何だよコレ……」

 悟浄がそう漏らすのがやっとだった。
 行く手には妖怪の死体。しかも1人や2人ではなかった。そしてその死体には、妖怪たちを死に追いやってなお強い気を放つ札があちこちに貼られていた。



 結局全員の目論見通り宿に着くより先に降り出し、冷たい雨水に打たれながら宿に駆け込んだ。雨は激しさを増して今では窓の外は白く煙って見えるほど。

「お、光りましたね〜」

 雷光のあとすぐに鳴る音にどうやら近いところに落ちたようだ。
 客室は無事2人部屋を3つ確保することができた。今いるのは本来三蔵と八戒の部屋になるが、双蓮以外の3人もいた。
 道中の双蓮の一言からまだあまり立ち直れていない悟空は水櫁のように雷にはしゃぐことなく、大人しく八戒に世話を焼かれている。

「……悟空、すみませんね。双蓮ちょっと具合が悪いのをあなたに八つ当たりしてしまって」

 水櫁曰く、普段は何ともないが、天候が不安定になるとたまに酷く頭が痛むのだという。まだ水櫁と2人だけで旅をしていたとき、こういう時は先に進まずにもう一泊していたが、三蔵たちと行動をともにするようになってからは自分の我が儘のせいで進行の邪魔をしたくないと無理を通していた。しかしそれがストレスとして双蓮の中に溜まっていき、ついには爆発してしまったわけだ。「どーりで今日は口数が少なかったわけだ」とは悟浄の言葉である。
 そういえば、と口にはしなかったが、幼少期を過ごした三蔵はたまに辛そうな顔をした双蓮を膝に乗せて優しく頭を撫でている師匠をふと思い出した。
 コンコン、と扉を叩く音と一緒に可愛らしい女性従業員が温かいお茶を持ってきてくれた。

「災難でしたねェ。急に空荒れちゃって。でもしばらく続くみたいですよ、雨」
「あらら、通り雨じゃ済みませんでしたか」
「げー、マジかよ」
「――ちょっと」

 お茶を受け取った三蔵が道中見た妖怪の死体たちについて聞く。『妖怪の死体』という恐ろしい言葉にも関わらず、彼女は笑顔で「それは六道様だわ」と答えてくれた。

「『六道』?」
「誰ソレ」
「聞いたことありませんねえ」

 上から八戒、悟空、水櫁。

「お客さん達は東からいらしたから御存知ないえしょうけど、最近この辺では“救世主”とまで呼ばれているお坊さんです。妖怪を退治する為各地を転々としているそうで、姿を見たものは少ないんですけど……。なんでも体中に札を貼った大男で、彼の呪符にかかればいかなる妖怪も滅するという凄まじい力を持った法力僧だそうです」
「御札……?」
「ああ、そういえばさっきみた妖怪達の死体にも札が――」

 彼女が言うことが正しければ、あの妖怪達の死体はその六道という僧侶の仕業だろう。

「……結構特徴的な札でしたねえ」
「えっ、札ってどれも一緒じゃねえの?」

 悟空が聞く。

「ん〜、まだ法名を授かる前の修行僧とかは扱いやすさ重視で安っぽい量産型のものを使いますが、一人前になると自分の性質にあったオリジナルのものを作ることが多いですね。名刺がわりみたいな役割もありますよ」
「へえ〜、よく知ってるな!!」
「ちょっと、知ってるもなにも自分これでも元住職ですからね? それぐらい知ってますよぉ」
「ほぉ〜。まあでもどっかの金髪鬼畜生臭坊主よりはらしいな」

 知ってて当然という水櫁の顔には『もっと褒めてもいいんですよ』と書いてある。それを見て悟浄が揶揄するが、珍しく三蔵からは何も飛んでこなかった。幸か不幸か、何やら考え込んでいるようでまったく耳に入っていなかったようだ。その三蔵は例の札に見憶えがあった。頭にある男が浮上するが、まさかな、とそれ以上の思考をやめた。あるいは今ここにいない双蓮に聞けば疑惑は晴れただろう。

「――へえ、住み込みで働いてんだ。部屋どこ? 教えてよ」

 もう六道に興味がなくなった悟浄がもはや息をするように女性店員を口説いていた。彼女の方も自身の異性に対するハードルをクリアした悟浄に頬を染めて満更でもない返事をする。もうひと押し、というところで悟浄は目元をきりっと引き上げて決めゼリフを言った。

「外も雨だし、俺達も濡れようぜ」

 完全にアウトである。下心を全く隠そうとしない悟浄にすぐに三蔵が背後でハリセンを構えた。

「前の踊り子さんの時といい、相変わらず素晴らしい言葉遣いですねえ」

 もはや感嘆の域です、と褒めてるのか馬鹿にしているのかわかりづらい水櫁はお茶をすする。当時は八戒が教育的指導と規制したが、今回は三蔵に座を譲って水櫁同様呑気にお茶を飲んでいる。いつもどおり大声で口喧嘩が始まると、三蔵が口走った『紅孩児』の一言にようやく明るい表情で悟空が反応した。ちなみに双蓮が休んでいる部屋は悟浄&悟空の部屋を挟んでいるのでたぶん聞こえていないはず。

「紅孩児ッ! あいつ今度いつ来んのかなあ?」
「ダチかお前ら」
「あれ? 一度夕暮れの河川敷で拳を交わした相手はダチじゃないですか?」
「いつの時代だよ……つーか、シチュ全然違っただろ」
「まあまあ。何にせよ雨があがるまではここで休むことにしましょう。ウチのジープにホロついてませんし、双蓮も具合が悪いですからね」
「ああ、そうだな……」

 雨は止まない。

  |
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -