34


 忽然と姿を消したハルを見つけてきたのは、調書のまとめがあると偽って逃げ出した山崎だった。ひとに看病を押し付けたくせにサボリとはいい度胸だなと被害者の土方は今すぐ山崎を処したかったが、今はそれどころではない。
 雨に打たれて冷たくなったハルはまさに死人の如く青ざめ、動いたことでせっかく塞がった傷口から滲む血の色との対比でますます痛ましい。すぐさま医者を呼び戻し、再びハルは予断を許さない状況に逆戻りとなった。

「……」
「……」
「……」
「……あの、副長」
「アァ? なんだ」

 机に向かう土方に恐る恐る声をかける山崎。部屋に入る前から鳥肌が総動員するほどの威圧感に戸を開ければ部屋の中で溜まりに溜まったそれが山崎の心臓を握りつぶさんと襲ってきた。殺気の中に飛び込むことに慣れているが、それが外敵と身内とでは話が違う。何故身内にこれほどまでの殺気を受けなければならないのかとうっかり膀胱あたりに水気が集まる。端的に言って今すぐトイレに駆け込みたいほどやばい。
 
 雨は止んだ。

 残った湿気が隊服越しでも張り付いてくるが、それよりもやはり土方の殺気が勝る上に体の冷えを助長させる。隠そうともしないそれに山崎は一体何がそこまで彼をそうさせるのかわからなかった。
 自分が看病を押し付けたことか。
 さらに調書と偽って気分転換に外に出たことか。

 ……それともみすみすハルちゃんの脱走を許してしまったことか?

 それを言うなら屯所内にいた誰もがそうであり、土方が特別責任を感じることはない。
 ついでに言うなら極秘命令で攘夷一派かもしれない万事屋の旦那の素性も洗いに行った。これでもやることはしてる、はず。

 まあ何だかんだ人一倍気にかけてた節はあるけどなぁ。

 監察という所属柄、人一倍機敏に鋭い。
 土方がハルに対する気配りは、ふたりをよく見ている者なら気づく。過保護と言うほど度が過ぎているわけではない。むしろ扱いで言えば、かなり雑ともいえよう。それでも彼は何かと彼女を見ている。
 辻斬りへの見回り強化の際も選抜メンバーは自分で決めたにも関わらず「芹野」と呼んだ声にどこか苛立ちのような何か含んだものを山崎は感じた。
 ともあれ一刻も早く退出したいというのが山崎の心からの願いだ。

「土方さん、失礼しやすぜ」

 山崎があれほど入るのに躊躇ったのを沖田はひねくれた性格とは裏腹にまるで竹を割ったように開ける。あまりの豪快さに山崎は驚きを通り越して尊敬すら覚えた。当の本人は本当に土方の殺気など意も介さずに淡々とハルの容態を伝えた。

「とりあえず峠は越えたらしいですぜ。それに目ェ覚ますのもそうかからねェとさ」
「そうか」

 土方の受け答えも淡々としていた。殺気は少し緩んだ。そこで初めて山崎は土方が発していたのは殺気ではなく緊張感だったのかもしれないと少し思った。



――もう“遅い”なんて

 バッと跳ね上がった体は何かに締め付けらるような感覚に寝汗でべっとりとしていた。息も荒く、呼吸をするたびに肺が軋む。
 あれ、さっきもこんなことがあったような? 夢?

「……いや夢でも何でもいい」
 
 身体が行かなきゃと叫んでいる。
 頭はどこへ? と問いかける。
 決まっている。
 みんなのところへ。
 今度こそ守るために自分は行かなくちゃ。
 もう“遅かった”なんて後悔はしたくない……!

 布団から出ようとした瞬間、勢いよく障子が開いた。びっくりしてひるんだところをさらにヒュッと音が聞こえた。

「ふ、副長……?」

 その音が自分の息を飲む音か、右頬ぎりぎりに飛んできた刀の音なのかわからなかった。

「おう芹野、ずいぶんな寝相じゃねえかァ? あァ?」

 見上げた副長は何故かいつもに増して凄みと殺気にまみれてて、寝汗に冷や汗が追加される。はっきり浮きでた血管はひくひくと脈打ち、煙草なんかは今にも噛みちぎりそうなほど。

「え、えっと……」

 と、戸惑ったフリをして飛んできた刀を引き抜き、本来の目的を果たすべくその脇をすり抜ける。
 ようとしたらその前に副長の刀が自分の首の前に。あと少し前に出てたら完全に首を斬られていた。

「み、味方に刀を向けるなんて、副長とあろう人が局中法度では……?」
「俺ァいいんだよ。制定したの誰だと思ってんだァ?」
「横暴っ!!」
「そうやって軽口叩いて隙を狙おうなんて100年早えよ」

 ……まあ、デスヨネ。
 でも今は一刻も惜しくて必死なんだ。
 早く。早くしないと……!

「どうしても行かなきゃいけないんです」
「なんのために」
「大切な人たちを今度こそ守るために」

 沈黙は続かなかった。

「もう遅えよ」

 目の前がぐにゃりと歪んだ。
 嘘? 嘘だ。 そんなのは、嘘だ。
 また、自分は、間に合わなかったの?
 今度こそ。今度こそは守るって決めたのに。
 どうして? どうして自分は肝心なときにいないの? 
 どうして守れないの?
 どうして?
 どうして?

「……安心しろ。お前が守りたかったものは大丈夫だ」

 はっと視線を上に向けた。
 副長の目は静かでその言葉に嘘偽りはないことを証明していた。

「本当ですか」
「ああ。山崎が確認した。全員無事だ」
「……そう、ですか」

 ああ、そうか。かの子たちは無事だったんだ。
 力んでいた体がずっと崩れ落ちる。

「よかった……」



 時刻は少し遡る。
 山崎が銀時たちの疑いを確かめるために志村邸へ侵入し、幾度も命の危機に晒されたときのことだ。

「……あ〜暇。暇過ぎて死にそう。えっ、失血死とかならまだしも暇で死ぬとかありえなくない?」
「あーそうだな。わかるよーその気持ち。でもよ、この状態で何かできると思ってんのか」
「いやないっすね。そろそろ天井のシミ見すぎて心が虚無」

 方や夜の似蔵との傷も癒えぬまま再び紅桜と斬り結び。方や特別丈夫でもないのに失血死一歩手前。やんちゃもすぎるふたりは仲良く布団を並べてひたすら天井を見ていた。
 動けば死。それは傷云々ではなく身内に殺されるということだ。

「銀ちゃーん、かの子ー」
「おっ、神楽いいもん持ってきてくれたじゃねえか!」
「ナイス〜!! よっ、さすがリーダー!! メンバーの面倒見がいい!!」

 ジャンプを片手にひょっこりと神楽が二人のもとへ遊びに来た。これ以上ない退屈しのぎに両者どちらが先に読むか火花を散らすも、

「ダメネ! 病人にジャンプは刺激が強すぎるネ!」
「いやいやなんだよおかしいだろ。俺ら下手したらジャンプよりも刺激が強い目にあってんだぞ?」
「別にいいヨ? そのまま娯楽もないままただ虚しいだけの天井を見て発狂して床ずれで皮膚がグジュグジュになって――」
「あーーみませんでしたァ!! どうかこの病人どもにご慈悲を神楽様!!」
「わかればよろしいアル」
 
 謎理論により神楽のジャンプ朗読劇が始まる。最初こそ神楽の何とも言えない独特なイントネーションも合わせて笑っていたが、だんだんと虚しさを感じるようになってきたふたり。戦闘シーンでの効果音のみを聞いてるときなど、『一体何が起こってるんだってばよ』状態であり、二人の目から色と光が消えていく。
 効果音以外にももうちょっと状況がわかるようにと銀時が注文すると神楽は「わかったネ!」と意気揚々とリクエストに応えたがこれがいけなかった。いったいどこでそんな表現を覚えてきたのか、

「『あはん 真中殿電気を消してくだされ』そんな西野の言葉も無視して真中はおもむろに西野にまたがり獣の如く――」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「ステイステイステイ!! 神楽ちゃんステイ!!」
「いい! もういいって! 早い! お前にはまだ……」

 未成年にいったい何を言わせてるんだと一瞬前の自分の言葉を取り消したくなる。
 細かく生々しい描写に思わず起き上がり制止の手を伸ばす。

――たったそれだけのことで命の危機に晒されると誰が思うだろうか。

「何勝手に動いとんじゃあああ!!」

 襖を紙のごとく吹き飛ばし、銀時とかの子の髪を数本、研ぎ澄まされた刃が突き抜け、払った。銀時、かの子、そしてこっそり銀時たちの素性を洗いに来ていた山崎の絶叫が見事なユニゾンを奏でる。

「だめだよ、ふたりとも」

 怪我人を労わるようににっこりと笑うお妙と風香だが、何故かその手にはぎらぎらと輝く薙刀と槍。

「そうよぉー銀さんもかの子ちゃんも何度言ったらわかるの?」

 たぶんその笑顔は銀時とかの子たちにとって一番清々しいものに見えた。

「そんな怪我で動いたら今度こそ、」

『死にますよ』と言って『殺しますよ』と副音声が入るのだった。その幻聴は何とか話を聞いてもらおうとする銀時だけでなくかの子もしっかり聞こえていた。むしろここにいては余計な怪我どころか今度こそジ・エンドになりかねない。
 命の危機を感じて銀時の口から出た『入院』の言葉にかの子はハッとあることに気づく。

「宵はいいの!? あいつだってうちとそう変わんないじゃん!? なんであいつはここにいないんだアアアアア!!」
「素人が弾丸摘出手術したあとのケアができると思う?」
「あ、これマジだ、マジなやつ。かの子さん知ってるマジレスってやつだ。スンマソン」

 そのまま銀時とお妙があれやこれやとやいのやいのと騒ぐのをよそに置いて風香はそっと槍を置いてかの子を抱き起こして支える。
 ちなみに何故槍だったかというとあの紅桜から逃げるときのおこぼれものだったからと後に彼女は語った。

「お妙さんとお粥作ったんだけど、食欲はある?」
「えーっとそれはお妙さんお手製カナ……?」
「ふふ、大丈夫大丈夫。……銀時さんのはアレかもしれないけど」
「よかった〜」

 風香が持ってきていたのは卵の黄色が優しいほくほくとれっきとしたお粥であった。と同時にかの子は更なる銀時の行く末に僅かながら黙祷を捧げた。
 薄すぎずくどすぎず見た目通りの優しい味にふっとかの子の中から一気に湧き出るものがあった。それに気づいたときにはもう彼女の瞳からぼろぼろと大粒の涙がせっかくのお粥に落ちる。無言のままかの子自身すら何故涙が出るかわからず無言でいると、先ほどの荒々しい雰囲気とは打って変わって風香が慌て出す。

「えっ!? もしかしてやっぱり不味かった!? いい、い一応味見はしたんだけど! それとも傷が痛むの!?」

 何が原因かわからずとにかく落ち着かせようにも風香本人も焦ってあたふたと大げさに手を振るだけだ。
 溢れて止まらない涙にかの子が、「ああ」と短く納得したように呟いた。

「……ねえ、風香」
「な、なに……?」

 その感情はかつてを彷彿とさせる懐かしさに似ていたが、それとは違うものだと妙にかの子は違うと否定できた。
 本当は伝えたいことがたくさん、たくさんあった。でもいま言うべき言葉は結局ひとつだ。

「ありがとう」

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