31


 みんな、いつだって気づいた時にはもう遅いのだ。
 
 飛び起きる原因となった夢ですべてを視た。夢そのものはとても鮮明だった。けれど、それを観る自分はまるでテレビ越しにドラマを観ている感覚に近く、とても遠くの出来事のよう思えた。
 それからいままで無意識に取っていた行動のすべてはここからだと知った。戸惑いなく人を斬る。撃つ。自分に仇を成すものは何であろうとこの体で屠ってした。それが、何よりも大切な友人達でも……。
 代わる代わるテレビの中では真っ先に殺されたりすることもあったけど、ほとんどが返り血で染まった自分が立っている。
 斬った刀から血がぽたりぽたりと死体から流れる血に波紋を広げている。自分が犯してしまったことに呆然としているように見えたし、感傷にもひたらずただただ見下ろしているようにも見えた。
 自分のことのはずなのに。
 
「うぐっ……」
 
 何故だか上手く声が出なかった。なんでだろ。でもそのおかげで誰にも気づかれず抜け出すことができた。手元には慣れ親しんだ刀はなかったけれど、銃一丁あれば十分。それについてこの体に染み付いてしまったものに感謝すべきかはちょっとわからない。
 
「でもまだ間に合うなら」
 
 体もいつもより動きが鈍い。やっぱり何かおかしいな。そう思いつつ雨で白く煙るこの世界に飛び出す。上着無しに出てきた体はあっという間に濡れてしまった。寒いなぁ。
 勘というのは悪いほど当たる。それも一番脳に刻まれ、体が覚えている。刷り込まれている。
 だけど今度は、今度は違う。
 これまでにない感覚だったけど、今までのすべてをひっくり返せる自信が、いまのこの体には満ち溢れていた。
 どこにいくかは夢ううつの中で誰かがこそこそと話しているのを聞いていたので向かう先はわかっている。

「重い……」
 
 わけがわからない。本当に自分の体に何が起こっているのか。手足は枷がついているようだし、1歩踏み出すだけで呼吸がひゅうと音を立て苦しさを訴える。
 わからない。
 わからない。
 わからないけど、じぶんはいかなきゃいけない。
 いかないとぜったいに、こうかいする。
 
「ハルちゃん!?」
 
 霞む視界の中、ぼんやりと黒い何かが自分に向かってくる。だんだん輪郭があってきてそれが山崎さんだと知る。
 
「山崎さんまた副長のおつかいですかぁ。ごくろうさまーー」
 
 ふわっと浮遊。べちゃっと冷たい何かが当たって。



「こんなはずじゃなかった」

 これは紛れもない事実だ。確かにあった出来事だ。どんなに忘れようと、なかったことにしようと手を尽くしても逃れられない過ちだ。

 わかっている。わかっている。大丈夫だ。
 誰かに拒絶されることはもう何度も経験した。誰かの仇だと向けられる殺意にも幾度となくこの身は受け止めた。
 ここでもそうなることは何度もシュミレーションして、とっくに腹を括っていた。
 だからたった一度の拒絶にここまで取り乱されるはずはないのに。
 でも、それはこの性質からは逃げられない証拠だ。
 よりによって、自分はまた逃げた。

「よぉ、随分お疲れのようだなァ」

 走り逃げ続けてたどり着いた先の甲板。すぐ近くでは燃え盛る炎と立ち上る煙があるというのに、宵の眼前に広がるは境界線が曖昧な空と海の青。
 そこへいまにも飛び降りそうな彼女の背後にいつの間にか高杉がいた。不覚を取った身を低くし、懐に飛び込むためにナイフに触れるよりも早く高杉の刀が宵の首を一閃する。
 刃は薄皮一枚斬っただけで首が撥ね飛ぶことはなかった。

「どんなに衰弱してても一切屈しないと言わんばかりの威勢は嫌いじゃいぜ。だが、テメェはもう少し考えて行動できる人間だろ?」

 突きつけられた刀身に僅かに血が滲む。

「真選組の小娘のほうがもっと身の程を弁えてたぜ」

 ハルは祭りで高杉に会ったその瞬間にその圧倒的な差を悟り、臨戦態勢は崩さずとも決して鯉口を切りはしなかった。高杉としては少しでも動きがあれば、完全に斬る心づもりでいたが、ハルの賢明な判断を気に入り、こちら側に誘ったのだ。そしてある本能を見込んで。

「……ずいぶん守備範囲が広いことで」

 まさかハルにまで手を出してるとは、と高杉の目を離さずに最大級の嫌味を込めてぶつけた。
 宵は引かない。目の前の男とどれ程の力量差があって、決して一矢すら報うことすらできないと誰よりも宵自身が一番わかっていた。
 まったく勝算のない状況でも後退する選択肢を宵はやはり選ばない。そも選択肢すらないのかと高杉は見つめる。
 どこまでも虚勢を貫く彼女に低く笑うと、何事もなかったように刀を翻し、収めた。かちんと鞘と合わさる音もあいまって、宵は歯ぎしりする口の中にさらに砂を入れられたようで不愉快さに顔のしわがふかくなった。
 首が解放されてたが宵はもうナイフを出さず、地蔵のように動かなくなった。その隣を高杉が悠然と通り過ぎ、欄干に背中をあずけた。

「なに、すぐに取って喰いやしねーよ」

 また笑う。背後から殺気がないことに振り返ると、高杉は懐から煙管を取り出す。まるで茶屋で一服するような気楽さ。吐き出された煙は網のように広がり、すっと青空に消える。

 すぐに、とはなんて言い草だ。
 ああ、河上万斉といい、どいつもこいつも、どこまでも嫌になるくらい神経を逆なでするのが上手いな。
 腹の中で吐き捨てる。

「いくらか万斉から話を聞いていたが、随分な顔だな」
「だからなんですん?」

 実際青い顔をしているんだろう。顔の温度だけごっそり抜け落ちている。そんな時期でもないのに顔に当たる風が冬のそれのように突き刺さる冷たさがある。

「テメェは何をそんなに焦っている」

「……あせ、る?」自分でも驚くぐらいやっとの思いで絞りでた声。そして向けられた言葉の意味がわからない。
 本当にわかっていない宵に高杉は僅かに眉を上げた。

「気づいてねーのか?」
「……やかましいですねん。回りくどいのはこっちの専売特許なんで勝手に横取りしないでくれますん?」
「やかましい、ねェ。それをいうならテメェの中のもんのほうがよっぽどだぜ」
「いまの言葉聞いてました?」

 これまた面倒な。人の話を聞かない。

「……河上万斉が言う音といい、どうもみなさん抽象的すぎる表現がお好きなようで。過激派なだけに思考もぶっ飛んでるんですかねん」
「ほう、なかなかおもしれえこというじゃねーか。褒め言葉として受け取っておく」
「お高くとまる方々の定型句をどうも」

 本当はこんなところでこんな変人に付き合ってる暇などないのに。もう一度拒絶されたとしても何とか風香だけはここから助け出さねば。それさえ出来れば、こんなくだらないことにだっていくらでも付きやっててもいいと思わなくもないが……やっぱり御免こうむる。
 しかしこの殺気を感じられないくだらないやりとりのそのおかげでだいぶ気力も回復してきた。あとはタイミングを見誤らなければいいと高杉を見据える。
 なるほど、焦っているというのはあながち間違いでもなかったようだと宵は腑に落ちた。

「しかし本当に聞こえてねーのか?」
「だから何がですん。同じ話を繰り返すような痴呆男は嫌われますよん」
「テメェこそよく吠えるなァ。だが、ずいぶん可愛いもんだ。己の獣の唸り声には適わねェ」

 高杉の隻眼が隙を伺っていた宵の目に突き刺さる。喉に突きつけられた刃よりも鋭く、突如襲いかかる桁違いの殺気は宵からすべての自由を奪った。

「世界を憎み、嫌悪し、絶望した。その果て。お前からは今にも全てを喰らい尽くさんとする獣の唸り声が俺にはよく聞こえる。何故か、同類の声はわかって当然だろう?」

――喰らい尽くす。

 己の記憶が完全ではないことは知っていた。それでもほかの三人の誰より置かれている状況を理解していたし、宵は不知火宵に何があったかも知っている。
 
 宵はあの終わらない地獄の中で自身に向けられた感情を知っていたし、冷静に受け止めることができていた。しかし、自身が向ける感情を知ってはいても、流れ込んでくることはこれまで一度もなかった。
 どれだけ知識と記憶があっても、唯一不知火宵(おのれ)の感情だけは宵に届かなかった。

「あ、ああ、」

 隠し持っていたナイフとともに膝が崩れ落ちた。
 記憶と現実に霞む視界を両手で顔を覆う。短く切り揃えられた爪は瞼に食い込み、今にもその目を抉り出さんとする。叫びたい衝動を砂をすり潰していた歯の隙間に舌を入れ込むことで耐える。

「ああ、本当に気づいてなかったんだな」

 上から高杉の声が静かに落ちてくる。
 
 ああ、そうだ。自分はこの世あの世のすべてを拒絶してきた。

「どうだ、俺たちと一緒に来ねェか。お前の望みを叶えさせてやる」
「のぞ、み、……」

 血でねっとりとした口を開く。噛んだ舌の痺れる痛覚がここに宵を繋ぎ止める命綱。
 それらは忘れていただけ、もしかしたら自ら封印していたのかもしれないが。
 高杉の言葉は甘言であると同時に宵の一番やわいところにふれた。そしてそれは一番嫌いなもの。それが次の言葉を確かに紡ぐ。

「望みだなんて、笑わせないでくれますん? あたしゃあ世界を憎んでいてもあの子達が平和に生きていればいい。それだけでいい。それを自ら壊そうと誘おうなんて、」

――アンタ、ほんと話を聞かないな。

 たった一言であっという間に崩れ落ちたが、次の瞬間にはもう牙を剥く。

 一番嫌いなのは己の無力さと可愛さを前にすべて逃げてきた臆病な自分だ。

 高杉の右目が丸くなった。
 脆くて強いという言葉はこいつのためにあるものだなと高杉の歪んだ口元がさらに鋭い弧を描いた。
 何も獣を飼っているのはコイツだけではない。真選組の小娘も初めて会った時にその本人に自覚はなかったが、手負いの似蔵から聞いた垣間見えた獣の片鱗。純粋な殺意に磨き上げられた牙は、コイツとは比べ物にならないだろう。それを縛る鎖、収まる鞘から解き放ったときのことを考えると、高揚感に身が震える。やつ以上手駒に相応しい奴はいない。ある一点を除けば、だが。それもまたいくらでもひっくり返せるだろう。

 しかしただ壊すだけの、すぐ壊れてしまう玩具はつまらない。どうせ手元に置くなら、そう、壊しがいのあるものを。

「おっと、話を聞いてねーのはテメェのだろ?」
「……はい?」
「周りの幸せを願う大義名分のもとにある自己犠牲はさぞ美しいだろうな。だが、物は見る角度によって大きく変わるもんだと、そうは思わねーか?」

 息が詰まる音。そして痙攣する指がゆっくりと宵の視界から剥がれ落ちる。高杉を見上げる、苦悶に満ちた表情の中で、それでも目だけはまだ生きていた。
 宵のすべてを右目に映しながら高杉は追い詰めるように顔を近づける。そしてその耳元で囁く。

「――認めちまえよ。そうすりゃもっと生きやすくなる」

 その目をこの手で潰したい。

「――ふざけるな」銀色の線が走ったのは高杉が言い終わるのとほぼ同時だった。
 
 包帯を覆う黒髪が数本舞い、頬に赤い一線を残す。まさかの反撃に隻眼を丸くする高杉。ようやく彼の余裕を崩した宵はそのまま突き飛ばす。
 背後で「不知火殿」と桂の呼ぶ声と、銀時が紅桜と斬り結ぶ音が聞こえた。

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