28


 耳を貫き、直接脳を嬲るような絶叫に一瞬の震えと共に目が覚めた。悲痛で醜いそれは数秒響き渡ったあと、ばつんと鋏で切られたように聞こえなくなる。

「はぁ……またっスか」

 もう何度この絶叫に起こされたことか。見張りについてからろくに寝れやしない。
 小さい見張り窓をあけてそっと覗き見る。部屋の角に頭を抱えた小さい体をさらに小さくして、震えている。髪を引きちぎらんばかりに頭を抱え、耳を澄ませばかちかちと奥歯が鳴る音が聞こえる。下を見る目は焦点が定まらず虚ろだった。
 狂ってる。
 こうして監視についてからおよそ一、二時間おきに気に触れた声をあげている。長くは続かず、今のように怯え苦しんだあとは頭より体が疲れ果て、崖から落ちるようにふっと事切れる。
 最初は睡眠の妨げの苛立ちから、扉を蹴ったり、荒波のように怒号を叩きつけていた。睡眠不足は乙女の天敵だというのに。いっそ何発かぶっぱなして黙らせようと銃声を鳴らしたが、むしろ拍車が掛かるばかり。それが無意味なことだとわかればもう放置しかない。元々不規則な生活だからと割り切った。
 しかしそれだけで終わらなかった。無視を決め込むはずが、繰り返されるその絶叫にじわじわとこっちの精神が追い詰められていく。発狂を装ってこちらの精神をかき乱し、逃げる算段かと警戒したが、様子を見る限りそれが演技だとは到底思えなかった。
 怯え、嘆き、狂い果てる。その様子にまったく同情しないと切り捨てることはできなかった。ホントのところ、無理もない反応だと思った。
 アタシはあのとき自分がやったことに一切の罪悪感はない。アタシは骨の髄、髪の毛一本すべて晋助様に捧げると決めている。いまさら人を殺すことに戸惑いはないし、晋助様のためならいくらでもこの両手は引き金を引き、彼を拒む者、彼に仇を為す者、彼が殺す世界を共に壊そう。
 彼について行くと覚悟を決めてからそこに戸惑いはない。でも初めから人を殺すことに慣れていたわけではない、というのが本音だ。覚悟と慣れは違う。だからあの叫び声を聞くたびに遠い過去とは言えない、苦い気持ちが蘇る。
 この中で絶えず苦しむ小娘はあの時万斉先輩を殺せる是非は問わず、殺してやるという明確な殺意と覚悟が確かにあった。自分とそう変わらない、もしかしたら晋助様を襲ったガキと同じぐらいの年頃の、血なまぐさい世界とは全く無縁ですよというような小娘が、人を殺そうとした。アタシと違う柔らかな指で。
 そして事態は最悪へ転がった。小娘の弾は実際二人にこれっぽっちも掠りもしないどこかへ空を切った。なのに銃弾は小娘が助けようとした女に当たった。もしそれが誤射ならまだよかったのかもしれない。少なくともここまで酷くならなかった。女はわかっていたはすだ。小娘が己を助けに来たことを。だというのに女はあろうことか咄嗟に敵である先輩を庇うように自ら射線に飛び出した。

 どうして? どうして? どうして? どうして? ねえ、どうして庇ったの? ねえ、ねえ、ねえ、どうして? ねえ、どうして? あたしは宵を助けようとしたのに? ねえ、宵、どうして? どうしてなの? 宵、宵……?

 小娘が繰り返す問いの答えは黒い海と共に沈んだ。
 アタシはもちろん、庇われた万斉先輩もいま何が起こったかわからなかった。サングラスのしたではアタシと同じ困惑の色に染まっていただろう。

「また子」
「あ、先輩。おはようございます」

 朝の挨拶をするにはまだ暗いが、水平線の奥には暖色が見えた。

「して、様子はどうだ」
「どうもないッスよ。変わらず絶叫しては気絶の繰り返しッス」
 
 辟易する。
 
「その様子ではろくに話も聞けなさそうだな」

 事前の調べによると、チャイナのガキと繋がりがあると聞いている。けれど、昨夜の様子を見る限り小娘から有力な情報を得られるとは思えない。この件は晋助様も万斉先輩も強引に聞き出す気はなく、ほとんどスルーしている。まあ、そういうことなんだろう。晋助様がそう決めたなら異論はない。

「とはいえ、何か言ってなかったか?」
「何か、と言うとなんスか?」
「回収するときに宵殿が彼女のことを別の名で呼んでいたように聞こえたのでござろう?」
「あ、ああ、そのことッスね。アタシが監視してた限りは何も。それ以前にただの聞き間違えかもしれないッスし……」
「確かに近くにいた拙者でも聞こえなかったが、ああ呼ばれた時の反応は明らかに何かあるものだった。それは宵殿をこちらに落とせる切り札になる」
「……アタシとしては敵を庇うような奴を味方に引き込むのはどうかと思いますけど」
「しかし放っておくには勿体無い逸材だ」

「裏を返せば敵に回すと」と最後まで言わなかった。
 それから先輩は「満足に眠れてないのでござろう? 拙者が変わろう」と監視役の交代を申し出てくれた。アタシはありがたくその好意に甘えて自分に与えられた部屋へ向かった。その途中、一度だけ振り返った。
 大切な人を撃ってしまったら、自分も……と、くだらない仮定は即座に切り捨てた。仮定にすぎない。たかが仮定に怯えるほどアタシは弱くない。
 そんなことはしない。させない。そのためにアタシはここのいるのだから。



 真選組は実力主義だ。どれほど在籍期間が長かろうと、実力がなければ意味がない。新入りでも確かな実力さえあれば、すぐに即戦力として起用される。それに対して性別に固執する老害ではない。そして今日巫山戯たり笑っていた奴が明日死ぬことはよくあることだ。俺たちの命の灯火はいつ消えてもおかしくない。一般人に比べて俺たちの火は呆気なく消えやすい。例え生き残ったとしても、もう二度と剣を握ることも自分ひとりの力で生きることが出来ず、あの門を潜っていく者を何人も見送った。
 いちいちそんなことに気を揉むなんて馬鹿馬鹿しい。
 ポケットからすっかりくたびれた煙草のボックスを取り出すと、二、三回とんとんと端を叩けば、素直に一本だけ頭を上げた。咥えつつ、ライターを探す。しかし上着にもズボンはすべてのっぺりとしていてどこにも見当たらなかった。ろくな明かりもない静まり返った執務室ではただの舌打ちすら耳障りだ。確か机にあったはずと書類の海をかき分けた。安物だが、この際何でもいい。

「……クソッ」

 何度鳴らしても無駄だった。点いたかと思えば煙草の端すらろくに焦がさずに消える。苛立ちが募れば募るほどライターは働かない。ついにまったく点かなくなった。

「クソがッ!!」

 叩きつけたライターはほとんど音を立てることなく畳の上で跳ねて暗闇に消えた。咥えただけの煙草を山盛りの灰皿にねじ込んだ。ただでさえ苛立っているのにニコチンすら摂取出来ないとはどんだけツイてないんだ。自分で頭を掻く手に力が入る。
 追い打ちをかけるように掻き分けたある書類に目がいった。
 女らしさが垣間見える少し丸みのある文字。内容は普段の言動と裏腹に意外と出来がいい。それでもたまに誤字が垣間見えるあたりやはり詰が甘い。だが、いまはそんなどうでもいい間違いが俺の喉を締めつける。
 誰かが負傷することなど日常茶飯事。飽きもせず何かしら事件が発生するなかで、気にしている暇などない。何を今更。
 そう自分に言い聞かせても、今朝ひさしぶりの休日に年頃らしく着飾って出て行く芹野が脳裏からちっとも離れない。吸殻を擦りつけすぎてこびり付いて落ちない灰皿みたいだと傍らのそれを見て失笑が溢れた。女だからと侮ったことはない。だが、やはり総悟とそう変わらない――女性とも少女とも言えない――ことがどうしても気にかかってしまう。
 失笑のあとはただ長いため息が続く。
 障子の和紙がにわかに白く透け始めていた。人が動き出す物音が僅かに聞こえた。

「……少し根詰めすぎたか」

 ぐにぐにと目頭を押すと少し頭が楽になる。雨が降っていることもいま気がついたが、気分転換に外に出るのも悪くない。頭を冷やすのにはうってつけだ。重い腰をあげ、障子を開け放てばしっとりとした冷気に私情で澱んでいた心が洗われるような気がした。
 心地よい風につられて適当にぶらついていると前方に山崎がいた。

「山崎、榎の取り調べは終わったのか」
「副長! はい、今しがた終わったところです。一連の流れはわかりましたが、例の人斬りと高杉一派に繋がるようなものはありませんでした」
「そうか」
「あ、そうだ。副長、これハルちゃんのところに持って行ってもらえませんか? 医者によるとそろそろ麻酔も切れる頃らしいので」
「ああ?」
「俺まだ調書のまとめが残ってるんで! よろしくお願いします!」
「ちょっと待て!? おい!! 山崎テメェ!!」

 気が付けば一方的に薬や水、それから口にしやすそうなゼリー飲料の盆を押し付けられてしまった。襟元を掴もうにも盆で両手を塞がれ、あっという間に山崎は逃げていった。他人の胸裡も知らずにこのタイミング。加えて副長である俺に雑務を押し付けるとはいい度胸だ。この借りはすぐに返してやると奴が逃げた方にガンを飛ばした。いっそそのへんの誰かにたらい回しにしてやろうかとしたが、誰もいなかった。
 雨音のどさくさに紛れて舌打ちをし、腹を括った。頼まれたとおり芹野が寝ている部屋へ向かう。
 ただ置いてくるだけだ。起きていたとしても「ええっ、副長が見舞いとか自分はやっぱり死んだんですかね!?」なんて軽口のひとつやふたつ叩いてくるだけだろう。いつもどおりに鬱陶しいそれを一蹴して終わりだ。何を心配する必要があるんだ?

「芹野」

 一応礼儀として障子を開ける前にひと声かける。返答はない。もう一度少しボリュームを上げて呼んだが、身じろぐ音すらしなかった。
 眠っているならちょうどいい。さっさと用事を済ませて俺も回ってくるであろう書類に目を通さなくちゃならない。
 入るぞ、と障子を開けようとした手がぴたりと止まった。
 何か、おかしい。
 すっかり眠っているから物音はしない。それはいい。だが、呼吸音が聞こえない。……いや、ここに連れて来られた時点で虫の息だったから小さすぎて聞こえないことも雨音がかき消しているせいもあるだろう。しかしそれにしてもこの部屋はあまりに静かだ。
 盆を持つ手がじわりと汗ばみ、奥歯に力が入る。謎の焦燥感を遮断するように目を一度閉じ、今度こそ障子を開けた。
 僅かに血が滲んだ布団はもぬけの殻だった。

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