酒は憂いをはらう玉ぼうき


 銀時が現場に駆けつけたとき、その場は死屍累々。すっかり酒に溺れた教え子たちがいた。

「ああ……おつかれさまです……」

 彼を呼び出したのは確か夜兎工業高校の生徒の宵。銀時と直接関わることはほとんどなかったが、ほか三人の共通の友人ということで何度か顔を合わせたことはある。この中では唯一理性と意識があった。と言っても顔は不自然なほど青ざめており、いまにも吐きそう、というか酒気に混じって胃酸の独特な匂いが混じっていることは、ようするにそういうことだ。
 まだ爆弾を抱えている宵は水を何度もグラスに注いでは口にしながらこの惨状を説明した。
 全員晴れて二十歳を迎え、それに伴い自分たちがどれほどアルコールに耐性があるか試そうとなったらしい。高校を卒業後、それぞれ大学や専門学校、就職と学生時代と物理的に距離が出来てしまった。特に就職したやつとはなかなか他の三人と予定が合わず、久しぶりに集まれたのが今日だったという。各々飲みたい酒を持ち寄って、二年という短くも密度のある話をしながら飲んでいた。集まった中で一番酒に強そうだと言われた宵がチューハイを一口飲んで即ノックアウト。トイレでやることやったあと、しばらく横になって死んでいた。そして起きたらこの惨状が出来ていた。
 辺りを見渡すと、初めて飲むにはあまりに度数のおかしい酒瓶があちらこちら転がっていた。

「しかしなんでまた俺に」
「風香の着信履歴の一番上にあったのが先生だったんですよん」

 ほいと簡単に渡されてしまった個人情報の塊。大抵ロックがかかているが、指紋認証だったようだ。後ろめたさと少しの好奇心と……一瞬ほかに吹き出たものがあったが、即座に蓋をして銀時は発着信画面を見た。
 最近の若者はL○NEが主な連絡手段として使われているため、中身はバイト先の店主がほとんど。たまに実家が混じっている。それと彼女が所属しているサークルの人間。またちらっと何かが顔を出そうとしたのでモグラ叩きの如く叩き潰した。

「見る限り俺でもいいんじゃねえの」
「どこぞの知らない輩より顔馴染みのある先生のほうが安心かなぁと」
「はあ」

 なにか腑に落ちない。先日この教え子から卒業証明書の申請どうのこうのという連絡は受けたが、いたって事務的な連絡だった。
 卒業以来はじめての連絡に少し、ほんの少―し嬉しかったとかそんなことは断じてなくもない。いや、俺はいったい何に言い訳をしているんだ。別に教え子からの連絡など珍しいことでもない。足元で有名ブランドの一升瓶を抱き枕に寝ている奴など、卒業してからも何度も遊びに来てるし。だから決してそういうことはない。……そういうことってなんだというもうひとりの俺からの問いは聞かなかったことにする。

「ほかの奴らはどうすんだよ」
「ああ、ご心配なく。ほかの二人にも目星い人呼んでありますんで」
「めぼ、しい」
「こちらとしてはこのままうちに放置しててもよかったんですけど、あいにく自分のこの体たらく。とてもじゃないですが、介抱しきれないんですん」

 水のおかげでだいぶ顔色と喋りは落ち着いてきたように見えるが、目は銀時に劣らず死んでるし、時折嫌な呻き声が混じる。「……すみません、ちょっと失礼」と口元を押さえ銀時の隣をすり抜けてトイレに駆け込んだ。漏れる声を聞かないようにもう少しワンルームの部屋に足を踏み入れる。
 さっきの一升瓶抱き枕のほかに、なんの儀式か胸の前で手を組んで寝ている奴の周りに空き缶やビンをぐるりと並べてあった。顔には定番の落書きが施されている。ほかの空き瓶でボーリングをしたような痕が見られる。雑に書かれたスコアが半分ほど濡れていた。
 銀時が任された教え子、千鳥風香は窓ガラスに背中をぴったりくっつけてぐうぐう寝ていた。学生時代の生真面目さを知っている銀時はブレーキ役となってこんなことにはならなかったのでは? 思うが、手に握られているマジックを見る限り、そんなこともなかったようだ。

「……にしても」

 酒とはまったく恐ろしいもんだ。あの風香をここまで絆すとは。まあ初めてなら加減がわからないのも無理はないかとぼりぼりと後頭部を掻く。それに早いうちから自分のボーダーを知っておけば、後々とんでもない過ちを犯すこともないだろう。

「これが身内の飲みなら尚更いいか」

 しゃがみこんで見ると、寝崩れている髪は記憶より少し長くなっていた。だらんと垂れている前髪を少し開く。学生時代から変わらずの童顔。あの頃からここで醜態を晒している友人たちと出かけるたびに中学生だと間違われては怒っていた。おそらく今日の飲み会で酒を買うときも年齢認証を受けたんだろうと思うと、本当に変わっていないと笑いがこみ上げてくる。
 そのままそっと額に触れる。熱い。
 火照った顔の赤は童顔らしいふくふくと丸みを帯びた輪郭と頬に集中し、林檎のようにも桃のようにも見えた。銀時の記憶において、こんな赤い顔をしている風香はいつも怒りに血が上っているものしかない。
 目を覚まさない。
トイレから以前宵が出てくる気配はない。
魔が差した。
 銀時は熟れた頬をつつく。思ったとおり柔らかかった。一種の癒しグッズのようなそれにもう一回、もう一回と手が止まらない。
 そろそろやめなければ、でももうちょっと遊んでいたい、次で最後にしようと決心したところで風香の体がぐっと小さくなった。やりすぎたと後悔しても遅く、ゆっくりと風香が目を開けた。視線もばっちり合ってしまい、咄嗟に動こうにも身動ぎひとつ出来なかった。

「あ、えーっと……」

 じっと銀時を見つめる。黙って銀時の死んだ魚のような目を離さない。銀時も向けられる目に逸らすことができなかった。逸らしたら全部彼女の中で夢として消えてしまうのではないかと言う勝手な思いがあった。
 目にばかり気を取られていたせいで、銀時はそっと伸びてくる手に気がつかなかった。

「さかたせんせい?」

 銀時の頬に振れた手のひらはやけに冷たかった。風香が銀時を呼ぶ声に体内全ての温度が集約されたようで、七文字はこれ以上ない熱がこもっている。
 がたがたと必死に塞いでいた蓋の音が警鐘のように銀時の内側で強く鳴り響く。静かに飲み下そうとした喉は銀時自身の心臓が跳ねるぐらい大きい。
 まったく身動きが出来ない状態でも風香は変わらず銀時の目を捉えて離さず、触れている手も一向に銀時から離れない。
 とろとろと眠たげな半目と酒気で色づく目元は、正直目も当てられない。童顔は変わらないと言うのにいま銀時を見つめる風香の顔は完全に年齢に相応しい色を宿していた。

「せんせい」
「どうした」

 学生時代のように人を突き放すような気だるそうな声を装う。銀時の砦は崩落間近。
 頬で止まっていた手が静かに銀時の項までゆっくりと移動し、弱々しい力で引き寄せて、

「きゃあ〜これこれ〜このもふもふかん〜」

 そのままもふもふと銀時の銀髪を触り始めた。

「……えっ」

 銀時の、別の砦が崩れた。呆気にとられて動けない銀時をいいことに風香はいつの間にか両手で銀時の髪をもふもふと弄ぶ。ペットの毛並みで癒しを得る飼い主と同じ手つきだった。

「ちょっ、えっと、風香サーン?」
「んっふっふっふっ〜もふもふ〜もふ、も……」

 終わりと言わんばかりに風香の目は閉ざされ、縦横無尽に銀時の髪を堪能した両手もぱたりと落ちた。そして規則正しい寝息。
 数秒ほど固まって動けなかったが、大きく息を吸い、深〜く吐いて、

「それで終わりかよ!?」

 起こさないようにボリュームは絞ったが、やり場のない手と空を仰ぐ表情は苦悶に満ちていた。がたがたうるさかった蓋もいまはぴくりともしない。色々叫びたくなる衝動を抑えていると、背後でがたりと音がした。
 風香の金縛りから解放された銀時は素早く風香のそばから離れ、後片付けをしているフリをした。

「あれ、先生まだいたんですか?」
「……いたわ」

 そして空き缶を回収しているのをみて「片付けはこっちがしますし、どうぞお願いしますん」と宵は風香の荷物をぽんと手渡した。
 最初にも思ったが、本当に寄った女を男にこんなことをさせていいのか。

「そろそろ出ていかないとほかの迎えと鉢合わせますよん」
「いや、そうだけどさ、これ色々まずくね?」
「何がですか? こっちはもう高校も卒業して成人もしたんですよん? 別にやましいことなんて何もないですよん?」

 宵の辞書に送り狼という言葉は載っていないのかと疑わざるにはを得ない。いやそんなはずはないが、本当にこんなことが許されていいのだろうかと思わずにはいられない銀時。戸惑う彼に宵は、ちょいちょいと耳を貸せというジェスチャーを出す。おとなしくそれに従い、耳を傾け、

「いい加減腹くくったらどうなんですん? あの子と顔を合わせるたびに愚痴を聞くこっちの身にもなってくださいよん」

 ばっと銀時は宵から距離を取った。体温が急上昇して耳までじんじんと熱くなる。

「もう夜明けも近いんで流石に一線超えることはないでしょうけど」

 風香が背を向けていた窓を見ると夜の濃度が薄くなっているのが見えた。


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