27


「っえええいクソったれェ……」

 明け方。闇に生きる生物は姿を消し、また漁を生業とする人々がそろそろ動き出しそうな微妙な時間帯を狙い、宵は海面から顔を出した。そのまま万斉とやりあったところとは正反対の埠頭に片腕のみで何とか這い上がる。べちゃりと一歩一歩水音を立てながら物陰に隠れ、そこでようやく腰を下ろし全身の力を抜いた。
 しかし一息ついている暇はない。胸より右肩寄りに残ってしまった銃弾は素人で何とか出来るものではない。傷口に海水が滲みてじくじくと痛むし、血も結構海に溶けた。広大な海にたかが人間一人分にも満たない血で汚染されたなんて気にすることではないな、と笑うが笑えない。まあ血の匂いを嗅ぎつけた鮫に襲われなかっただけマシかと口残っていた海水を勢いよく吐き捨てる。
 銃創も緊急性があるがそれよりも濡れた着物がどんどん自分の体温を奪っていく。今まで海に隠れているだけの体力があったことにも正直自分でも驚いた体力――体力お化けのかの子やハルならまだしも――が、いつもなら明け方の清々しい風が真冬の突き刺さるそれのように容赦なく残り僅かな体温と体力を削っていく。
 低体温症による死が先か、銃創による出血死か。

「んなところで死んでたまるかってーの」

 こんな時の簪だ。長い髪をまとめていた簪を引き抜くと、容赦なくその傷口の傍に突き立てた。声を噛み殺したが、僅かに漏れる。とりあえず銃創はこれでいい。まともな治療を受けてる場合じゃないのはよくわかっている。

「馬鹿野郎、いくら焦っていたからって証拠品を残していくなんて馬鹿の所業だろ……」

 自分に向けて刺す。
 風香に強く言い聞かせたつもりだったが、どうやら何か、誰かがアレを彼女に見せてしまったのだろう。じゃなくてはあんなところにいるはずがない。自分の見通しの甘さが嫌になる。
 海に飛び込んだことで事の顛末を見届けることは出来なかったが、風香が殺されることはない。もともと風香の影をちらつかせて自分を釣りだしたのだから、餌そのものが手に入ったのだ。そう安々殺すはずもない。ついでに向こうもこっちが死んでないと思っているはず。
 ただひとつ心配することがあるなら彼女の今の精神状況だ。最後に見た表情はあまりに見るに耐えなかった。実際この体に撃ち込まれた銃弾は風香のさらに後ろにいた鬼兵隊のものによるが、あの子は自分の弾が当たったと思い込むだろう。銃だけに薄氷を打ち砕く引き金にならなければいいけれど、それはあまりに楽観的すぎる。

「あ〜……」

 いまあれこれ過ぎたことを考えても仕方がない。とりあえずまだどこかに残っているだろう強欲な裏の人間から追い剥ぎでもして体勢を整える必要がある。それと1人で鬼兵隊に乗り込んで風香を助け出すには無理しかないので、出来れば数人でもいいから増援が欲しいところだが……。

「っと、ちょうどいいところに適任がいるじゃないか」

 にたりと笑って重い腰を上げた。



「参ったな〜俺、こういう頭使うやつ苦手なんだよな〜」

 頭上では太陽が昇り始め、道を明るく照らすはずだが今日はあいにくの曇天であまりその恩恵を受けれないほの暗い道をかの子が行く。
 事情聴取の途中に割り込んできた山崎によると、宵、風香ともに行方不明。ちょうど銀時たちと似蔵、そしてかの子がどんぱちやっているのとほぼ同時刻にあったことらしい。
 もし自分が万事屋でおとなしくしていれば風香は看病につきっきりで、巻き込まれることもなかった。しかしその時は宵は何者かに、ハルは自我を失ったまま出血死するか、もしくは以蔵が逃げた後に、件の人切りと間違えて殺されていたかもしれない。全員にとっての最善の選択肢などなかったならば、とかの子は過去を見ることはやめた。

「とりあえずまともに動けるのは俺様何様かの子様だけってことは確かなんだな」

 銀時たちとはあの一戦後、離れてしまった。しぶといことで有名な銀時にかの子はとりあえず生きてはいるだろうと考える。もっとも動けるとは思っていない。

「あ、やっべ、降ってきた」

 そういえば昨日風邪で寝込む前に見た美人お天気キャスター曰く今日は雨だった。本格的に降り出す前に万事屋に駆け込まないと走り出した直後に「あ、かの子さん!」と呼ばれた。

「ぱっしんくん!!」

 ちょうどいいところに彼は傘をさしながらどこかへ向かうようだった。彼が歩いてきた方向を見るに万事屋から出てきたのだろう。

「ナイスタイミングぱっしんくん! ちょっと俺も入れてくれよぉ」
「えっえっ、ちょっと!」
「いいじゃん、こーんな美少女と相合傘するなんて滅多にない機会だぜ。ほら周りの独り身どもに見せつけてやろうじゃないか!!」
「自称美少女とか相合傘とか独り身とか色々痛いし、僕にも刺さるんですけど。ていうか僕はお通ちゃん一筋なんで」
「知ってる知ってる。まあとりあえず入れてよ。それでこんな朝早くにどこへ行くの?」
「えっと、銀さんの代わりに妖刀探しの依頼人さんのところに……」

 最初、新八はエリザベスから消えた桂を探す名目で人斬りを追っていたらしい。それが巡り巡って銀時の妖刀探しとかち合い、昨夜の出来事に発展した。かの子の思ったとおり、銀時は生きているし、意識もはっきりしているという。ただし下手に動かないようにとお妙がその監視についている。
 かの子もあの後、真選組での事情聴取とハルの容態も話した。
 それから少し戸惑って、何かを決意するように息を飲んでから新八はかの子にあることを言い出した。暴走したハルと直接対峙した新八は知り合いに刀を殺気を向けられる恐怖があったと。

「そんなの誰だって怖いよ。当然のことだからぱっしくんは気にしなくていいよ。いや実際遊びに来たハルに身構えるかもしれないけど、もしまたああいう時になったそのときはこのかの子様が止めてしんぜよう! だからあんまり心配しないでさ、なるべく今までどおり雑に扱ってよ」

 「ね?」とあざとく首をかしげるかの子。新八は「わかりました」と笑って返した。しかしその一方で新八はかの子の言うとおり、というより完全に自分の葛藤を見透かされたと思った。銀時や神楽と食卓であまりに低レベルすぎる仁義なき戦いに身を投じたり、難しい話にはぽかんとしているかわかんねえやと明後日の方向を見ているような、同い年の風香と比べるとずいぶんと子供のようにみえる。しかし時折、こちらが息を飲むほど冷静に周りを見て、でも穏やかに物事をなそうとする二面性に新八は図らずも沖田と似た思いを抱いた。

 それから2人はラブのロマンスの欠片もなく相合傘で依頼人の刀鍛冶屋のもとへ趣いた。



 依頼人、鉄矢は彼の父がまさに命を懸けて打った刀が例の辻斬りに悪用されていることに酷く衝撃を受けていた。同じく鉄子も顔に暗い影が見えたが、かの子にその影は兄とは別のようだと思った。そして気分が悪いとこの場を離れていった。
 状況を報告した後、新八たちは鍛冶屋を後にした。

「ぱっしんくんはこのあとどうすんの?」
「僕ですか……? とりあえずエリザベスのところに行こうかと」

 それから一緒に桂を追っていた神楽も行方をくらましている。それは謎の地図を咥え、一匹だけで帰ってきた定春が暗に告げていることも話した。

「かの子さんは?」

 恐る恐る新八が尋ねる。かの子は腕を組んで、「うーん……」をしばらく考えた。

「神楽ちゃんのことも気になるけど、うちは風香たちについて調べてみるよ。うちらが辻斬りとやりあってる時に2人ともに何かあったのはただの偶然と思えないんだなぁ」
「もしかして例の鬼兵隊が……?」
「そこはわかんないけど……たぶん何かあるはず。全く無関係とも否定できないから」
「わかりました。もし風香たちに鬼兵隊が絡んでいるとしたら僕にも連絡ください、かの子さん」

 最後にかの子を呼ぶ声は少し震えていた。銀時は重傷、桂や神楽、風香、あまり接点がないとは言え宵、親しい人がこぞっていないのだ。不安だった。昨日まで笑っていたみんながいない。寂しい、怖い。それはかの子も同じで、「うん。新八くんもね」とやけに小さい声で返ってきた。

「お互い気を付けようね」

 ひとり突っ走って、これ以上誰も傷つかないように。
どちらもそれを口にしなかった。歩いていく方向は違えど、2人の思いは一緒だったから、今更言う言葉ではないとわかりきっていた。

「と、別れたはいいけどやっぱり傘ないと辛いね!!」

 どさくさに紛れて新八のを奪っておけばよかったと適当な軒下に避難する。コンビニで安い傘を買おうにも昨日のプリンで使ってしまったため、少々心もとない。もしかしたら「あっ、ちょっと」とお金が足りず、レジで恥をかきたくはない。
 そして雨足が軽くなる様子はないし、まだら模様を作る水たまりは強く跳ねてはどんどん江戸の町を侵食していく。
 雨で空は曇天一色だったが、それでも天はかの子を無碍にしなかった。
 ぼちゃんとやけに響く音が耳についた。上ばかり見ていたかの子の視線が降りる。

「あ、鍛冶屋の?」
「……え?」

 先ほどの水音は分厚い封筒が落ちたものだった。そしてそれを拾い上げたのは、つい先ほど鍛冶屋で初めて顔を合わせた鉄子だった。2人して驚きを隠せなかったが、鉄子は落とした封筒からひらりとすり抜けた紙に目を見張った。その様子に軒下から出て雨に濡れるのも構わずかの子はその紙をのぞき見た。
 実に男性らしい大雑把な字で『鍛冶屋で待ってろ 万事屋』と書かれていた。

「……ねえ、もっかいお邪魔していい?」

 本当は風香の働いているえいげつ堂や宵の住処へ行く予定だったが、かの子は鉄子にお願いした。


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