25


 これはあたしが銀時さんに助けられてからようやく思い出したことだ。



 とにかく無我夢中で走った。後ろで山崎さんがあたしのことを呼び止める声が聞こえたが、走り続けた。場所は紙に書いてあった。紙よりすぐに血濡れの布に目が行ったが、そんな一瞬でもはっきりと覚えている。記されていたのは港だ。北の沿岸部の方。
 もう頭の中から辻斬りに襲われるなんてことはなかった。それどころかかの子と宵の天秤すらなくなって、そこに残ったのは宵のことだけだった。あんなに揺れていたのにその時のあたしは迷わずに宵を取った。
 同じ過ちを繰り返すべきではない。
 記憶にはないのに体が覚えていた。混乱でぐちゃぐちゃの頭の中だけど、今思えば少しずつ思い出していたのかもしれない。ずっとどちらを選ぶか迷って、結局両方失うのはもう嫌だと。
 走って走って、息も絶え絶えでついた港は月が雲に隠れていたせいでとても暗かった。辛うじて人の夜目でぼんやりとコンテナなどの輪郭が見える程度。
 辻斬りはいなくとも、真っ当な人間いるとは思えない港。地球人、天人含め良からぬ取引が横行しているし、それを横取りしようとする浪人もいるだろう。
 本当は一分一秒惜しいところだが、ここからが正念場。物陰に隠れて荒い息を沈める。焦っては駄目と言い聞かせながらとりあえず呼吸を整えることに集中する。鼻から吸うと潮の匂いに混じって、雨が降り出す前兆の独特な匂いが肺に取り込まれ、全身を駆け巡る血液に酸素が送られる。走ってきた反動の動悸は収まったが、今度は緊張でどくどくと強く脈打つ。
 懐から、無いよりマシということであのお祭り以降に宵が渡してくれた小銃を取り出した。あくまで護身用で、脅し様の殺傷力が低いとは言え、当たり所が悪ければ簡単に人を殺せる。手に取った銃は重く冷たい。小銃そのものは軽いのに、それらに馴染みのない手に持てば重い。けれど、どうしてかその重さに違和感を覚える。入っている銃弾も本物なのにどこかしっくりこないのは何故?
 でもそうしている間に呼吸は整った。手には自己防衛という体のいい銃。一寸先は死かもしれないのに心臓が強く脈打つ以外、不思議と手や足が震えることはなかった。物陰で最後にもう一度深呼吸して、ボーッと遠くて近いような汽笛を合図に飛び出した。
 コンテナからコンテナの影に隠れながら目的地へ進む。四方の前方だけを警戒していたせいか、次のコンテナに隠れる途中何か踏んだ。明らかに柔らかいものを踏んだ感触に心臓が跳ねて飛び退くように物陰に避難した。暗いのでそれが地球人か天人かはわからなかったが、明らかに人の形をした生物だとわかった。必死に悲鳴を抑えて飲み込む。辻斬りに殺された死体がフラッシュバックするが、付近の足元は乾いていた。よく見ると、それは殺されたわけでなく、ただ気絶してるだけだとわかった。
 暗闇に目を凝らせば、同じように倒れてる人がところどころに幾人かいるのがわかった。彼らの先に宵がいると思い、さらに気を引き締めて進む。
 やがて汽笛と波の音以外、耳障りな金属音が断続的に聞こえてきた。

 焦るな。焦るな。

 銃を握る手に力が入る。同時にじわりと汗が手のひらを始め、体中から滲み始める。

 落ち着け。落ち着け。

 細心の注意を払いながら音のする方へ息を出来る限り殺して近づく。一番近いコンテナにたどり着くと、それにぴったりと背中を合わせながら顔を少しだけ出して様子を伺う。
そこにいたのは間違いなく宵だ。相手はわからない。けれど、宵にとって戦う程の相手ならば間違いなく彼女の敵で、そしてあたしの敵だ。
 あたしがすることはただ一つ。持ってる武器はこの小銃だけ。今すぐ飛び出したところで敵の注意を引きつけることは出来てもそれ以上に宵が過剰に反応し、致命的な隙を生むことになる。
 寄りかかってるコンテナの向こうの広い空間では、まだ鋼と鋼が甲高い音を響かせては、お互い距離を取り、再び切り結ぶ。時折光るのは宵の細長いナイフと敵の日本刀。それは素人なあたしでもわかるぐらい、宵は相手の太刀筋を受け流すことで精一杯だ。むしろ敵はまだ全力を出していないのか、宵で遊ぶような余裕すら感じられた。
 時間がない。宵の限界はそう遠くない。時間がないのはわかってる。でも今じゃない。一瞬、ほんの一瞬でいいからその余裕な背中をこちらに向けろ。命中率なんてお世辞にもいいとは言えない。けれど、ここから少し踏み込んだ距離ならば、心臓でなくても身体のどこかしら当てれるぐらいの自信はある。そうすれば、例え宵に隙ができたとしても敵がそれを好機とする前に宵が動く。
 はやる気持ちを押さえつけて時が来るのを待つ。宵の限界が来る前にと必死に祈りながら。
 そして時は満ちた。
 命懸けで戦う宵と遊ぶ敵がこちらに背を向けた。敵は恰幅がよく、宵を隠してしまえるほどの男。
 力いっぱい踏み出す。あたしの命中率を少しでも上げてくれるようにちょうど月光があたりを一帯を照らした。
 脇を締め、銃身がぶれないようしっかりと左手もグリップに添える。

 今だ、撃て!!

 トリガーを引き、撃鉄が起き上がって爆発と共に銃弾が勢いよく飛び出たら。硝煙の匂い。発砲による反動。

 一瞬の間。入れ替わる人影。

 誰かの呼び声が劈く。
 パァンと月光の元、一発の銃声が響いた。
 遅れて排出され、高い音を立てて落ちた薬莢。
 ほぼ同時に鳴った異なる音をあたしは一生忘れることはできないだろう。

「う、そ」

 血飛沫は、狙った敵の背中からではなかった。
 背を向けた敵の前にいたはずの宵が、何故かその男を庇うように両手を広げてあたしの射線に飛び込んできた。
 吸い込まれるように宵の胸にあたしの銃弾が撃ち込まれ、血で出来た赤い花を一輪咲かせ、散った。

 本当に一瞬の出来事だった。



「万斉先輩無事っスか!?」

 コンテナから飛び降り、来島また子が駆け寄る。彼女の腰にはまだ熱を持った銃が一丁収められている。

「また子か」

 ところどころ切り傷が目立つ。しかしどれも浅いものばかりで万斉にとってはほぼ無傷のようなものだ。彼愛用の仕込み刀も特に汚れてはいなかったが、つい癖で血を振り落とす仕草の後、鞘の三味線に納めた。

「貫通、はしてないようっスね」
「ああ、絶妙な加減のおかげで拙者は何ともない。恐らく彼女の肉体にとどまったままだろう」

 万斉の言葉にまた子が黒々とした海面に目線を落とした。
 また子の撃った弾は確実に宵に当たった。しかし彼女ははその場で仕留めれると狙ったが、急所から少し逸れてしまった。そして血飛沫を上げたあと、彼女は誘われるように海に落ちた。すぐに万斉が海面を確認するが、また雲に隠れた月が血の赤と海の色を黒に混ぜ合わせてしまい、わからなかった。

「それで、この小娘はどうします?」

 目の前で仲間を助けるために撃った銃弾がその仲間に当たってしまったと思った彼女は、その手から銃を落とし、静かに何かを途切れとぎれにつぶやいたあと、発狂し言葉にならない悲鳴をあげてそのまま完全に意識を失った。

「このまま殺すというのも手だが……せっかくだ、晋助に委ねよう」
「え、それマジで言ってます?」
「お主の話によると、先ほど母艦に乗り込んできた小娘と関係があるかもしれぬ」
「はあ、そうっスか」

 また子が風香の持っていた銃を回収し、万斉が彼女を担ぐ。そのまま母艦に戻る途中、また子は先ほどの銃撃戦で気になったことを万斉に聞いた。

「その小娘、確か千鳥風香って言うんスよね?」
「ああ、そうでござるよ」
「でもあの海に落ちたほうは、なんか別の名前で呼んでなかったスか……?」
「……さあ、どうでござろうか。近くにいたが、拙者には何と呼んでいたかわからなかったでござる」

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