17


 ハルへの差し入れを持たせて風香にお守りを任せた宵はというと祭り会場の臨時トイレの個室で吐いていた。

「……まさかこんなことになるとは」

 たい焼きを買う前、仕事柄町内会の老人たちと強い交流のある宵はその集団に見つかるや否や引きずられるように屋台に連れ込まれしこたま飲まされた。
 その飄々とした態度からザルだと思われがちだが、その実、酒が一滴でも入ると寝るか吐くのどちらかというまれに見る下戸なのだ。全く悪意のない、まるで孫を愛でるように構ってくれる彼らを無碍にできなかった。結果、醜態を晒す前に子供たちを風香を預けることで回避したが、おかげで20分ほどトイレにこもっている。
 もはや胃液しか出てこなくなってからようやく外に出ると先程まではなんともなかった夜風に全身鳥肌が立つ。

「風香には悪いけど、ちょっと休憩してから合流しよう」
「あれ、不知火さん?」
「んあ?」
「うわっどうしたのその顔!?」

 適当なところに腰掛けていると、いつかどこかで聞いたことある声に顔を上げると、やけにモブ顔の男と目があった。

「あれ、えっと……ろりらさまで?」

 体調が最悪のせいか頭が働かず、舌も回らない

「あ、ほら、いつか迷子の子から助けてもらった山崎だよ」

 早くも痛む頭を抱えながら宵は必死に記憶の引き出しを開けていく。たっぷり10秒後思い出したように手を打った。

「ああ、あの時の方ですねん? 真選組の方だったんですねん」
「そうそう。俺は山崎退。具合悪そうだけど大丈夫?」
「ええ、ちょっと、まあ」

 ちょっとどころでない顔色に山崎は「ちょっと待っててもらえる?」と一言言い残し、人ごみの中に消えた。その言葉に背く理由もないので宵はおとなしくその場に待っているとペットボトルとなにか小さな袋を持った山崎が帰ってきた。

「はいこれ、吐き気止めの薬とお水。少しは楽になると思うよ」

 山崎が薬とペットボトルを渡す。おぼつかない手つきで封を切り、薬を口に含み一気に流し込む。そのままペットボトルの半分ほど飲み干した。

「すみません、ありがとうございますん」
「いやいや。困ったときはお互い様だからね。即効性だから少し安静してれば楽になるよ」
「本当助かりました」

 心なしか胸や胃のあたりがすっと少し軽くなるのを感じた。

「さっきも言いましたが、山崎さんは真選組にお勤めなんですよね?」
「頼りないふうに見えるかもしれないけど、そうだよ」
「高杉晋助」

 指名手配犯なので知れ渡っているものの、今このタイミング、この場でその名前が出されるとは思ってもみなかった山崎はお腹を蹴られたような気分になった。

「今この祭り会場にいるとは言えませんが、先日高杉晋助が平賀源外というカラクリ技師の元に訪れているのを見ました」
「それって――」
「もしかしたら彼は平賀の旦那を使って何かしでかすかもしれません」

 突然の告白に山崎は狼狽える。

「警戒、怠らない方がいいですよん」

 それじゃあと宵は立ち上がり、風香と合流すべく催し会場へ向かった。



 やがて歩き疲れた子供たちが目を擦り始め、立ってるのもやっとな一番小さい子を背負い、風香は宵の帰りを待つ。本当は探しに行くべきなのだろうがすれ違っては元も子もない上、ふらふらと足元がおぼつかない子供たちを連れて歩くには危なすぎた。

「宵ちゃん遅いなあ」

 祭りに来た頃はまだ橙が残っていた空も完全に藍色に染まり、提灯や屋台などの人工的な明かりが夜空を賑やかにする。視線の先で行われている見世物もどんどん仕掛けが大掛かりなものへ変わっていき、クライマックスが近いことを示していた。

「お嬢さんも花火待ちかい?」
「え?」

 振り向くとそこには異様な姿の男がいた。
 紫地の着物には蝶の刺繍が施されており、提灯の明かりを受けてぼんやりと輝きを放っていた。さらに頭には包帯が巻かれ、長い前髪で隠されているが、それは左目を完全に覆っていた。手にはお酒が入っているだろう瓢箪を片手に風香に話しかけてきた。

「……えっと、宵ちゃんのお知り合いですか」

 その人こそ宵が山崎に告白していた高杉晋助だった。しかし不幸なことに 風香は彼の名前を知っていても顔までは知らなかった。ただ奇妙な格好をした人にしか映らなかった。

「さてな」

 何とも言えないその返事に風香は僅かに眉をひそめ、子供たちを自分の後ろにやる。

「そう警戒するな。何も取って食おうってわけじゃねえ」
「……じゃあ、あたしに何か用でも?」

 腰に差してある刀にますます警戒心が募る。

「いや何、あの白夜叉の近くにおもしれえ女がいるって聞いたもんでな。だが、アンタじゃなかったようだ」
「……どういうことですか?」

 風香の問いには答えず、言いたいことだけ言って高杉は人ごみの中に消えていった。
 それと入れ違いに宵が現れた。

「ごめん。ちょっと時間かかっちゃったよん」
「ううん平気。それより今さっき派手な着物に左目包帯巻いた人に話しかけられたんだけど、宵の知り合い?」

 どこか申し訳なさそうな飄々とした笑みが一変、急にこわばった。

「その人がどうかしたのん?」

 極めて平静を装うも口元はどうにも強ばってしまう。さきほど水分補給下にも関わらず急に渇きを覚える喉に宵は山崎からもらったペットボトルを一気飲みしたい衝動に駆られる。

「いや話しただけだけど……」
「何もされてないんだね?」
「うん。ただ話しかけられただけ」
「そっか」

 宵はほっとしたように胸をなでおろした。

「全く子連れだっていうのにナンパかねん?」
「いやそんな風には見えなかったけど、それよりあんまり危ない人と関係もっちゃダメだよ?」
「きみはお母さんか!」

 なんて笑いを上げるが、実は知り合いかどうかをはぐらかされてしまった。もう一度聞こうにも背負っていた子供を代わるよと言われ、結局聞けずに終わった。

「どうする? これから目玉の平賀さんの催し物だけど?」
「ん〜手伝っただけに見たいけど、この子達もいるしねえ……」

 よいしょっとずり落ちてくるのを持ち上げながら言う。舞台に平賀と相棒の三郎が上がるところだった。

「そうだね、あんまり遅いとこの子達のご両親も心配するよね」

 そのとき一際大きい音が空に響いた。見上げると夜空に大輪の花火が咲いた。

「うわあ!」

 その音で目が覚めたのか子供たちも空を見上げ、眠たかった瞳いっぱいにその大輪を映し込む。きゃあきゃあと再び活気づき、花火に夢中になる子供たちに今から帰るよとは言えず、素直に楽しむことにした。
「綺麗だね」と言おうとして風香隣を見たとき、宵はなぜか険しい顔をしていた。

「宵ちゃん……?」

 一瞬で散る花火がくっきりと宵の整った横顔を照らす。

「ん? 何か呼んだかい?」
「あ、ううん、何でもな――」

 その時だ、爆音とともにすぐ近くにいた宵さえも見えなくなるほど目の前が真っ白に染まった。

「えっ何!?」

 咄嗟に周りに居た子供たちの手を強く握る。そしてすぐに「離れないでなるべく煙を吸わないで!!」と指示を出す。てっきり慌て出すと思いきや、子供たちは風香の言うとおり逸れないように手や服の裾を掴む。
 どこかの誰かが「カラクリが火を噴いた」だの「テロだ」だのなんだの叫びだすのが聞こえる。そこでようやくこの騒ぎの原因が平賀だと思い知る。

「そんな……平賀さんなんで……」

 煙幕が少しゆるくなったところ、隣にいた宵の姿がそっくりそのままいなくなってることにようやく気づく。
 まさか宵が風香や子供たちを置いて逃げるはずもない。

「宵!? 宵どこ!?」

 逃げ惑う観客たちに押し戻されそうになりながらも必死に子供たちを守りながら宵と呼びかける。

「お姉ちゃん後ろ!!」

 女の子が風香の指差す先には平賀のカラクリが今にも風香に鉄槌を下そうとしていた。

「伏せて!!」

 咄嗟にしゃがんだその上を宵が飛び越え、カラクリの頭に手をつきそのまま後ろへ回り込むと、左腕から一本の刀身の細いナイフを頭部と胴体の隙間に差し込み、中のコードを数本まとめて切った。ぷしゅうと短い音を立ててカラクリは停止し、煙幕とともに横に倒れた。

「あの時から嫌な予感はしてたけどやっぱりねん……。風香、大丈夫かい?」
「あ、ありがとう。あたしは大丈夫。子供たちも」

 その言葉を聞いて宵はふうと安堵の息を漏らす。そして子供たちに絶対に風香から離れないようにと言いつけると、ここから避難するように促す。

「宵ちゃんは!? 一緒に逃げないの!?」
「……ごめん、こうなったのは宵さんのせいでもあるから」

 もう一度「ごめんね」と子供に言い聞かせるように笑いかけると、煙幕の中大量のカラクリと戦う真選組へ加勢に入った。


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