09


 真選組監察筆頭の山崎は困っていた。
 どれくらい困っているかと言うと、学校の体育でプールの時に替えのパンツを忘れたときぐらい困っていた。

「おがあざああああああああん!!」

 彼の左手に捕まりながら泣き叫ぶ齢10にも満たない女の子。まあるい瞳からこぼれ落ちる大きな涙に枯れるという言葉はない。
 珍しく非番をもらった山崎は隊服を脱ぎ捨て私服で休日を謳歌しようとしていたが、持ち前の人の良さが転じて迷子を預かってしまった。最初こそ最寄りの交番にでも届けようとしたが、肝心の女の子がこの場から一歩も動かないのだ。強引に動かそうとすると、ただでさえ甲高い泣き声を張り上げるものだから鼓膜が持たない。
 何より通り過ぎる人々の白い視線が痛い。

「な、泣かないで〜」

 と、裏声であやしてみても効果はない。これまで色々試してみたが、どれも失敗に終わっていた。

「あああもうどうしろっていうんだよォォォ!! 泣きたいのは俺もだよォオオオ!!」

 もういっそのことこっちも泣いてやろうかとヤケになったところでピタリと隣の鳴き声が止まった。

「のりちゃんどうしたのん?」

 ふと見れば、女の子と視線を合わせるように誰かしゃがんでいた。狐に見立てた右手指先がのりちゃんと呼ばれた女の子の涙を掬う。きょとんと涙が止まったかと思うと、次の瞬間には笑顔で「不知火先生だ〜!」と抱きついた。
 僅かに「うぐっ」とうめき声が聞こえたが、不知火先生とやらは何でもないように振舞う。

「先生、先生、あのね、お母さんとはぐれちゃったの」

 山崎がどれだけ手を尽くしても泣き止まなかった少女こと、のりちゃんはするすると自分のことを話始める。不知火はただ、「うん」「そうなのん」と相槌を打つ。
 これで俺もお役御免かなと彼女に任せてそっとこの場を離脱しようとすると、ズッと袴の裾を引っ張られる。無様にこけそうになったが、そこは真選組監察山崎、寸でのところで踏みとどまった。

「のりー!」
「あ、お母さん!」

 よく通る声にのりちゃんが反応する。少し遅れて山崎たちもそちらを向くと、着物の裾をまくりながら慌てたように一人の女性が走ってきた。

「もう! あんなにはぐれちゃだめって言ったでしょ!!」
「ご、ごめんなさい」
「まあまあお母さん。のりちゃんも悪気があったわけじゃないですから。この時期はみんな好奇心旺盛でじっとしてられないんですよ」
「不知火先生、そうは言いましても……すみませんうちの子が」
「いえいえ。あたしゃあ何もしていませんよ。お礼を言うならこちらの方に」

 そういうと山崎を引っ張り出す。深々と頭を下げる母親に山崎は慌てて言葉を並び立てる。

「あ、いや、俺も結局何もしてませんし。むしろ彼女が泣き止ませてくれたりして」
「それでものりと一緒にいてくださってありがとうございました」

 それから二度三度と頭を下げて無事再会を果たしたのり親子は仲良く手を繋いで帰っていった。帰り際に「おにーさんもありがと!」と言うのも忘れずに。
 たった一言ではあったが、山崎の心はふわりと暖かくなった。

「うちの生徒さんのことありがとうございました」
「い、いや俺のほうこそ助かったよ……」

 もし彼女が現れなかったらきっと今頃別の意味で交番行きだろうだっただろう。

「先生、生徒ってことは寺子屋でも?」
「いんやあ! まさか。そんな大層なもんじゃあないですよん。ただちょっと書を教えてるだけですよん」

 先程から気になっていたが、聞きなれない語尾に首を傾げるが、「へえ!」と思わず言葉が漏れた。
 先生と呼ぶには随分若いが、雰囲気はとても落ち着きがあり、見た目には釣り合わない貫禄がある。

「紹介が遅れまして、わたくしこういうものです」
「あ、どうも」

 あいにく職業柄名刺は持ち歩かない山崎は差し出された名刺を受け取るだけしかできなかった。

不知火仏像商 代表取締役兼仏像師 不知火宵

「不知火仏像商?」
「書のほうは、まあ副業みたいなものでして。本業は仏像を彫ってますん」
「はあ……」

 世の中にはこんな職があるのだなあと山崎は思った。

「そういうことですので、もし何かご依頼があれば是非うちに」

 人々を救う仏とは正反対のことをしている山崎にとって一生無縁そうな名刺をそっとしまった。

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