04


「しっかしお前も呑気なもんだなァ」
「捕鯨? あっ、ちょっ!」

 銀時は我が物顔でソファに寝っ転がって占領しているかの子から先に読まれていたジャンプをかっ攫う。ポテチを食べながら読んでいたのか、ところどころ油が滲んでしまっている。

「あ〜あ、油まみれにしやがって」

 場所を空けろとしっしっと手を払うと、意外にもすんなり言うことを聞いた。

「どっこいしょッ」
「わ〜銀ちゃんジジ臭い」
「うっせえ。この前どっかの誰かさんに一本取られたおかげで体バッキバキなんだよ。労われ」
「いや、マジでじじ臭い。言動がじゃなくて加齢臭的な意味で」

 かの子が鼻をつまみながら真剣な顔で言うものだから焦ったように左右の腕の匂いを嗅ぐ。ふんわりと嫌な臭いに銀時は胸がスッと冷たくなるのを感じた。

「いいいい、い、いやな、これはな、さっきの仕事場がジジイ共の集会場だっただけで、その臭いが移っただけでまだまだぴっちぴちの銀さんから加齢臭がするわけ――」
「うっそぴょーん」

 してやったり。
ちろりと舌を出しながらゲッツポーズを取るかの子の脳天めがけて持っていたジャンプで振り下ろす。しかし綺麗な空振りが決まっただけで終わった。その表情がまた人をおちょくるようなものでますます銀時の苛々は募る。
 異世界に飛ばされてきたという同じ境遇でも風香のほうが何倍、いや何乗も可愛げがある。

「まあまあ、これでも飲んで一息つこうぜ旦那」
「誰のせいだと――」

 差し出されたイチゴミルクに先ほどとは違う意味でスッと胸が冷たくなった。
 ものすごく敗北感とデジャヴを感じる銀時だったが、イチゴミルクがちょうどいい具合に冷えていたのでとりあえずそれ以上考えるのをやめた。

「で、どうなんだよ」
「ん? 風香のこと?」

 今までになく話が早い。また話をはぐらかされても困るので「そうそう」と続きを促す。

「どうって言われてもなー?」
「なんとも思わないのかよ?」
「ん〜……そりゃあ記憶喪失でうちのことも思い出も全部忘れてるって聞いたときはショックだったけど、まあそれは仕方ないというか。実際うちもここに来るまでのこととかはすっからかんに忘れてるし、人のことは言えないっていうのかな。だからって今までの繋がりがぜーんぶ消えちゃったわけじゃないし、こんなよくわかんない世界に吹っ飛ばされてもこうしてまた一緒にいれるから今のところはそれでいいやって感じ」

 ほぼ一息で言い切ると、なんの屈託もない笑顔を浮かべる。しかしかの子とは対局の表情を浮かべる銀時。

「……お前の言いたいことはわかった。でも本人はそう思っちゃいねえみたいだったぞ」
「え?」
「お前はそういうつもりで接してたかもしれないが、俺にはあいつを無視してお前の知ってる風香を見てるように見えたし、本人もそう感じてるだぞ」

 銀時の意表を突かれた言葉はかの子から先ほどの威勢を削ぎ、すうっと彼女の顔から血の気を奪う。その表情は風香の記憶喪失を知ったときのものと一緒だった。

「もちろん本人が言ってた、聞いたわけじゃねえよ。でもお前と話してる時の顔は見てて気持ちいいもんじゃねえことは確かだ。俺もアイツと出会ってちょっとしか知らねえが、人から寄せられる好意を無碍にするような人間じゃないってことぐらいわかってるつもりだ。例え自分の向こう側にいる人間に向けられてるものでもな」
「……っ」
「お前だって本当は気づいてたんだろ。無理してお前に合わせてくれてんの」

 かの子の一文字だった口にぐっと力が入る。

「わかってる」

 かの子とてわかっていた。
わかってはいたが、どうすればいいかわからなかった。せっかくまた会えたというのに記憶がないという理由で距離を置かれるというのが怖かったかの子はそうやって今まで通り接することでしか風香を繋ぎ止める方法がわからなかった。
そんなかの子の強引な態度にも風香は彼女の知っている、彼女が求めている風香になろうと必死になった。本当なら全くの他人なのにそこまでしてくれる優しさに記憶を失っても彼女は何も変わらなかった。

それがたまらなく嬉しくて、同時にたまらなく悲しかった。

「記憶がない風香はうちの知ってる風香じゃない。……さっき今までの繋がりが消えたわけじゃないって言ったけど、それってあくまでうち自身を中心に考えたときであって、風香の中では本当に何もない。けど、千鳥風香その人であることは違いないし、当然代わりもいない。だから、えーっと、あああっと――」

本当に勢いで言っていたのだろう、そのあとに「あらるぬれもむアァアアイアアアッ!!」と盛大に舌が縺れ、言葉にならない何かが続いた。

「とりあえずまた一から始めればいい!!」

 言い切ったかの子の両肩は上下しており、顔にはうっすらと汗をかいていた。

「もうなんだっていいだ! 記憶があってもなくても風香がただ傍にいてくれればそれでいいのっ!! だからっ、だからっ!!」

 「うわああああん!!」と完全に我を見失ったかの子は見境なく銀時に強烈な右フックを決めた。女子とは思えない威力に成人男性代表の銀時の体は軽く吹っ飛び、玄関と今を繋ぐ廊下まで放り出された。

「いてて……。まあ、そういうことだ。なあ風香チャンよ?」
「え?」

 銀時の後ろ、玄関には今まさに渦中の人物がいた。

「あ、えっと……」
「あんだけ大きい声なら聞こえてただろ」

 棒立ちの風香の視線が二度銀時とかの子を往復すると、次の瞬間にはかの子自身が飛び込んできた。後ろに倒れそうになるのをぐっと踏みとどまる。

「あ、あの」
「ごめん」
「え?」

 かの子の顔は風香の右肩にうもれているため見えない。

「ごめん。うちの我が儘に付き合わせてごめん。そのせいで不愉快な思いをさせたこともごめん」

 その声はあとに続くにつれ、どんどん弱々しいものになっていく。

「……本当迷惑ばっかりかけて、ごめん」

 最後の言葉は泣いてるように震えていた。

「だからもう――」
「あたしのほうこそごめんね」

 続くかの子の言葉を遮ると、風香は右手で同じようにかの子に抱きつき、左手で優しく彼女の頭を撫でる。

「あたしのほうこそ混乱させてごめんね。あたしってばひとり勘違いして勝手に傷ついてた。馬鹿みたい。かの子、は一生懸命あたしのこと考えて接してくれてたのに。酷いよね」

 かの子の服を掴む左手に力が入る。

「……ねえ、こんなあたしでも隣にいてもいい?」

 するとかの子は風香から体を少し引き離し、顔を合わせる。
 かの子の目元と鼻は既に赤く、それは風香も同じだった。

「もちろんだよ! 記憶があってもなくてもうちの傍には風香がいればそれで十分だよ!!」

 だから無理しないで。

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