難題



※現パロ
※若干年の差あり
※ただの片思い

 とあるカフェにてふたつのため息が混じりあった。ただでさえこじんまりとした店。その隅にふたり用座席に向かい合う成長期をとうに過ぎたふたりにはあまりに狭すぎた。重々しいため息とは裏腹に店内を舞うジャズは実に穏やかで程よい華やかさがある。落ちたため息はペンを握る手に負荷をかけ、先程からほとんど進んでいない。
 
「その様子だと若先生はなんもないようですねぇ」
「そういう志摩くんこそ」
「否定はしません」
 
 建前としてふたりは大学の課題をするーー志摩は雪男のそれを写すーーためにそのカフェに来ていたが、その実はお互い抱えてる恋わずらいの愚痴こぼしだ。
 志摩は長いこと、それこそほぼ年齢と同じぐらいずっと同じ人に片想いをしていた。実家の近所に住んでいた6歳年上。四男の彼には姉と妹がいたが、一家を束ねるは母なあたり彼女達の性格は大変たくましかった。そんな中で年上の彼女は志摩にとって唯一と言っていいほどの女性を意識させてくれる癒しだった。面倒みがよく、兄弟喧嘩をして外へ飛び出したとき、誰よりも先に彼女が志摩を見つけ、慰めてくれた。志摩にとって彼女と過ごす時間は至福のときだった。
 最初はやさしいお姉さんという甘えたいという子供ゆえの純粋な好意は、いつの間にか形が変わっていった。そんな昔を思い出して、あん頃はほんまによかったなあと耽っている。形が変わったと自覚したあとの彼は早かったが、彼は遅かった。
 そこへ来客を知らせるベルがなった。
 
「こんにちは。杜フラワーです」
 
 控えめなベルと同じぐらいの声量。その声はその手にある花に劣らないほどの可愛らしさと清らかさがあった。
 がたんと音とともに立ち上がりそうになるのを志摩は必死に堪えて上半身だけ捻ってそちらを見る。その視線に気づくというよりもっと自然な流れで彼女が志摩を見て微笑む。それだけで志摩は今日という日に感謝を捧げたくなる。彼女は「こんにちは」と言おうとしたが、それより先に彼女を呼ぶ声が奥から聞こえた。

「こんにちは、マスター!」
「奏、マスター呼びはやめろといつも言っているだろう……」
「でも綴のお店なんだから何も間違ってないでしょ」
「それはそうだが……」

 奏はいたずらっ子のように口は大きな弧を描き、細められた目は薄暗い室内でも輝いて見えた。対する綴は居心地悪そうに肩が上下している。しかし羞恥のいっぽうで満更でもないというのがわずかに染まった頬がそれを証明している。このとき雪男の視線はとうに参考書から離れ、照れる綴に浮気していた。

「それはともかくいつもありがとう。今日も綺麗なアレンジだな」
「こっちこそありがと! 今日のは自信作なんだ。しえみちゃんにもすっごい褒められたの!」
 
 渡された小さな花束は誰もが思い浮かべるような華やかさはなく、とても控えめな色合いだ。しかしそれはこの小さなカフェにとてもよく馴染みながらも、文字通り華を添えてくれる。ふっと綴が笑い、奏もつられてふふふと小さく声を漏らした。
 そんな微笑ましいやりとりを志摩はもちろん雪男もじっと食い入るように見ていた。そして先程とは違う、もし息に色があるならば桃色のため息を同時についた。
 
「はぁ今日も可愛いわぁ」「綺麗だなぁ」と全身の力が抜けるようだった。

 雪男が綴に想いを寄せているのは一目瞭然。
 彼がこのカフェを見つけたのはそう昔のことではない。彼はとても真面目だったが次から次へと波のようなレポートに追われていた雪男は、自宅、大学、図書館とどこへ行ってもそれに向き合う意欲がわかなかった。いわゆるマンネリ化していたとき、たまたまこのカフェにたどり着いた。赤と黄土色のレトロガラスから覗いた店内に人気はなく、ぼんやりとカウンターにここの従業員らしき人影がひとつだけだった。
 疲れきっていた雪男は、勉強と言うより息抜きのためにその店のベルを鳴らした。店内は外から見たとおり。来客に気づいた従業員、今となっては想い人である綴が「いらっしゃい」と小さく笑って歓迎した。ひと気はなくとも不思議ともの寂しさはなく、肺の中で淀みきって溜まっていた空気がすうっと抜けていくのをはっきりと感じた。それだけで雪男はこのカフェが気に入った。そのときはコーヒーを1杯分過ごした。そして後に通いつめていくうちに顔を覚えられるようになる。ある日レポートに追われ、焦燥感にかきむしられるような思いをしているとき、ふっと雪男に影が落ちる。
 
「大変なのはわかるが、ここらで1度休憩をとった方がいい」
 
 まだ少し残っているもだいぶ冷めてしまったコーヒーと入れ替わるように芳しい香りと湯気が立つ新しいコーヒーと一緒にチーズタルトが現れた。顔を上げれば、彼女はしぃと口元に人差し指を当てて「試作品だがよかったら」と優しく笑ったのだ。その笑みに雪男は恋に陥ったのを悟った。
 
「それじゃ、あたしはまだ配達残ってるから」
「ああ、気をつけてな」

 奏は綴から受け取りのサインをもらうと次の配達へ出ていった。またそれと入れ替わるように入ってきた客に綴は「いらっしゃいませ」と迎えた。
 
「……」
「……」
「しょーじき眼中にナシって感じですねえ」

 奏にとって志摩はあくまで昔よく遊んだ年下の"男の子"、綴にとって雪男はただの常連客でしかなかった。
 この先、この関係からどうすればステップアップできるのだろうかと自問自答した。
 これは課題よりも難しい問いだ。

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