10月1日SS×2
◎コーヒーの日(雪男と綴)
「あなたちょっと甘すぎませんか」
「なんだ、藪から棒に」
「珈琲のことです」
不貞腐れた雪男が自身がサイフォンで淹れた珈琲を流しんだ。
甘いとはどういうことだろうと綴も口にする。昔は角砂糖とミルクというのが彼の主な飲み方ーー仕事中は眠気覚ましのため常にブラックだったがーーだった。今はほとんど液体クリームだけ。淹れたのも彼で、綴は買ってきた昼食の焼きたてのパンと珈琲の芳しい香りに身を任せたきりで砂糖をいれるなど一切手をつけていない。
「あなたの判断基準が、ですよ」
「ますますわからん」
彼女はサーモンとアボカドの色鮮やかなサンドを大口でかぶりついた。雪男は小分けにされたたまごサンドを一口。
「……あなたは僕の淹れた珈琲をいつも美味しいと褒める」
「事実美味しいのだからなんだって言うだ」
「そこです。そりゃあ、あなたの淹れたものに適うはずがないです」
「まあ伊達に長年やってるからな」と誇らしげに言う。
「まだ『上手くなったな』とか『前より良くなった』とかなら僕もこんな話をあなたにする必要なんかなかった」
はぐりとかぶりついて咀嚼するなかで綴は何となく彼が言わんとしていることを察した。
「『あなたはいつも僕が一番喜ぶような言葉を言う』とかそんなところだろう」
お前が考えそうなことだなとまだ半分残っている珈琲をひとくち。雪男は雪男で、心中を読まれることにある程度慣れたのか、過剰に反応しなくなった。
「お前は頭はいいのにそういうところは馬鹿だな。誰だって好きな人が自分のためにと作ってくれたものは何でも美味しいものだ。お前だってお前の兄が作ってくれた料理はなんだって美味しいだろう? そういうことだ」
ずばんと言い放つ。雪男は、男として何か大切なものが奪われた気がした。正論に雪男は言葉に詰まるしかない。
「愛しいと思う確かな証拠だよ」と大きなサンドをぺろりと平らげながら締めた。
「……そうですか」
「そうさ」
満足げに彼女は彼の珈琲を飲み干す。
「……じゃあ、」
雪男は腰を浮かせ、テーブルに乗り出す。
「あなたが淹れてくれる珈琲を美味しいと思うのも、僕があなたを愛している証拠なんですね」
「なんて、もとから証拠なんてものは僕らに必要ないと思いますが」と彼は彼女の口元に着いたアボカドを指で掬い、わざと見せつけるように蠱惑な指使いでぺろりと舐めた。
◎眼鏡の日(志摩と奏)
「あれぇ?」
休講で自由な放課後を想い人と過ごそうと誘いに彼女のクラスを訪ねた。クラスメイトと何やら話しているなか割り込むのも無粋だなと入口で様子を伺っていたが、彼女になにか違和感を抱いた。なんや? とその横顔を注視してみると、白く、すうっと通った鼻筋にかかる赤い橋。そしてべっこう飴を引き伸ばしたようなものが談笑で優しく緩む瞳を志摩に見せまいと邪魔をする。
まじまじと見つめていたせいか、志摩の視線に気づいた奏はクラスメイトに手を振ってぱたぱたと駆け寄ってきた。
どうしたの? と柔くて少しくすぐったい声で用事を聞かれる。ここに来た目的を思い出し、最近新しく出来た洋菓子店へ誘うと、ガラス越しに目を輝かせて乗ってきた。
道すがら彼女の足取りは軽やかでいつもより速い。余程嬉しいんだなぁと横目で見た奏は想像に違わず嬉しさに溢れていた。それを見て志摩の心も愛しさで満たされる。しかし、やはり気になるその存在。
「奏ちゃんってそんな目ぇ悪かった?」
塾では見たことがない。覗き込むようにそう言うと、奏はすっかり忘れた! というように足を止めた。そのまま掛けていた赤いふちの眼鏡を外し、鞄から眼鏡ケースを取り出していそいそと片付けた。
「日常生活には支障はないんだけど、学校じゃ席が後ろの方で黒板が遠すぎてちょっとね。塾ではほぼ最前列だし、たぶん学校の授業中だけかな」
なんでも数学の教師が数式を黒板に余すことなく書くため、その分小さすぎて裸眼では見えないと言う。クラスが違えば、担当する教師ーーましてや授業のレベルが違うーーも変わるので志摩は「そら難儀やなぁ」と流した。
恐らく自分だけしか知らない彼女の一面に自然と志摩の足取りも軽くなった。
「眼鏡姿も賢そうでえらい似合うとったけど」
志摩くんよりはマシだと思うよという呟きは無視して、
「綺麗な目がガラスで歪んでしまうなんてもったいないわ」
白くふっくらとした目元をまるで涙を拭うように優しくなぞった。