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「先輩、もう俺どうしたらいいかわかんないっス……」

 食券争奪戦で勝ち取ったA定食を前にしても切原の表情は沈んでいた。
 彼の向かいにはジャッカル、丸井。それから珍しく柳生もいた。

「どうしたらいい、とはなんだよぃ」

「誰の何の話だ?」と丸井は先にお腹に収めたカツサンドのフィルムを横にやり、次の生クリームたっぷりのミックスフルーツサンドの封を切る。
「あいつらっすよ、四条と七森のやつ!」とがたんと切原が軽く腰を浮かせた。
「まあ、落ち着けよ赤也」
「なんだ? あいつら喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩ならどんなに可愛いものかっ」
「切原くん苛立ちをから揚げにぶつけるのはやめたまえ」

 腰を下ろした切原は直情的に目の前のから揚げをグーで握った箸で勢いよく刺した。食事のマナーとしてもちろん柳生が注意するも彼はそのまま大きく口を開けてひと口で食べ、少し大きすぎたのかもごもごと左右の頬が揺れる。まるでハムスターのようであった。
 よく噛んで飲み込んだ後、切原は話を戻す。

「なんつーか空気がやたらピリピリしてるんスよ」
「喧嘩じゃないのにか?」
「たぶん違うっス。喧嘩だったらもっと露骨に『うるせえ!』ってなるので」
「とりあえずおふたりに何かあったことは確かのようですね」
「別にあいつらのことなんて俺はどーでもいいんだけど、席順的に間に挟んでピリピリすんのはマジで勘弁」

 さきほどの乱暴さとは打って変わってげんなりと首が項垂れる。その隙を狙って丸井がさり気なくから揚げをくすねる。切原は気づかない。

「まぁ識はともかく有梨のほうは前からおかしかったな」
「そうだったのか?」

 後輩の不調に気づけなかったジャッカルは自身の不甲斐なさに苦しい表情を浮かべるが、所詮切原を通してしか交流がないので無理もない話だ。ジャッカルのお人好しさがよく現れている。
 柳生は黙ったまま白米をちまちまと運びながら、先日仁王からさりげなく聞かされた識の様子や仁王がしてしまった粗相を頭の中で展開する。あれから彼女はどうしているだろうか。仁王はちゃんと謝れただろうかといらぬお節介を思った。

「この間幸村くんの見舞いに行った時の事なんだけどさ、」

 ぞろぞろと病院内を歩いていた中で丸井は1番後ろにいた。そしてその前には有梨。最初丸井の興味は通り過ぎる看護師の運ぶ医療器具やすれ違う点滴を杖のようにして歩く年老いた患者だった。見世物じゃないとわかっていても自然と非日常に目は行ってしまうものだ。ところが急に前の有梨が決して薄くはない肩をすぼめ、何かに耐えるように縮こまりながら歩いていた。それからこちらからは聞こえない声でぼそぼそと一瞬何かを呟いたことを思い出す。

「そのあとはフツーに前の柳を見ながら歩いてるふうに見えたけど、明らかにおかしかったぜぃ」
「うえー……部長の見舞いなのにけーき悪ぃなぁ」
「けーき……?」
「恐らく切原くんが言いたいのは景気でしょう。確かに変ですね」
「変っていうかあれはもう一種の病気なんじゃねえかってぐらいっスよ」
「病気、ねぇ」

 丸井はふと感じた視線、柳生のそれに、もしかしたらこれは相当センシティブなものではないかと感じられた。

「まぁそのうち元に戻るだろぃ」

 所詮それは丸井の願望でしかなかった。それでも先程から不満そうにしていて不安で、ふたりを心配するような可愛い後輩に何とか言ってやらなければと思ったのだ。

「だといいんスけどねえ……」

 そこでようやく切原はほとんど食べてもいないのに減っている唐揚げに気づいて丸井に食ってかかった。



「と、まあそういうわけで何があったんだ?」
「はぁ……先輩って結構直球なんすね……」

 冬休みも近づくということは期末試験もすぐそこまできていると同じことである。部活停止期間に入ったいま、あっさり丸井先輩に捕まり、近くのファストフード店に連れ込まれた。その理由はよくわからない、とは言い切れない。

「別に……と言っても無駄なんすよね?」
「ったりめぇだろぃ」
「まあ、デスヨネ」

 はぁと深いため息をこぼさないようにLサイズのコーラを少し多めに飲む。丸井先輩はポテトをつまみながら黙ってこちらの動向を伺っている。
 さてどうしたものかとストローから口を離し、肘をついてそのうえにどかりと顎を乗せた。正直な話、ついでに非常に癪にだが、あのくそ跡部のおかげである程度は心の整理が落ち着いた。多少なりとも冷静に話せるはず。でもむっと結んだままの自分の口はすんなりとは喋りたくないらしい。

「うーん……」
「言いづらいってことはわかってっから有梨のペースでいいからーー」
「オレの弟、今年の春死んだんすよ」

 さっきのが嘘のようにするりと出てきた。あんまり勢いよく出たのと内容が内容だけに先輩は摘んだポテトをぽてっと落とした。まさに時が止まったみたいに動かないから思わず吹き出した。
 たぶん内容に対しての軽さとオレの笑いに対しての「お前っ」を言ってと立ち上がる先輩を見上げて思い出す。
 そういえばこの人も弟がいたんだっけ。

「ま、落ち着いてくださいよ」

 がたりと立ち上がっても同じように帰宅途中の学生らでごった返すファストフード店では聞こえない。誰もこちらを見ることなく、それぞれ好き勝手にざわざわと喋ってる。
「とりあえずメインだけでも冷めないうちに食べやしょーや」と言ってハンバーガーを差し出した。
 ぺろりと食べられたハンバーガーに残されたのは少し湿気始めたポテトと氷で薄まったコーラ。

「弟が死んだってのは、」

 先輩がまるで幽霊みたいな顔つきでオレを恐る恐る見る。もしかしたらくそ跡部と会う前のオレもそんなふうに見られてたのかもしれねえなとかちょっと思った。

「そのままの意味っすよ。オレには一つ下に弟がいて、今年の春に心臓病で死んだんです」

 さっきもそうだが、あんなに口に、言葉に出すことを恐れていたはずなのにオレの心は静かだった。

「オレの1つ下で、小六でした。卒業式にも出られませんでした」
「……そうなのか」
「オレは弟を部長と重ねてたんです」

 また大切な人が自分の傍から去っていく。消えていく。いなくなる。

「識から部長さんのは命にかかわるもんじゃねえって聞いたけど、やっぱり、ほらさ……怖くって」

 静かに目を伏せた。
「またね」と言った部長さんがもう2度と戻ってこない、と思ってしまうのは無理もない話じゃないだろうか。ずっとあの小さな部屋に閉じ込められて、枷のように点滴を繋がれて、夜はひとりぼっちで、目が覚めて清楚な天井が見える朝が来るたびに自分はここから一生出れないのではないだろうかという思いが積もり積もって――。

「幸村部長のことは本当に心配してるに、どうしても弟――優雨が重なって見えて、結局オレが本当の本当に思ってるのはそっちじゃないかって考えると、部長さんにすっげえ失礼な気がしてさ」

 そうだ。

「もうこの際だから洗いざらい話しますけど、部長さんのお見舞いに行ったのも優雨からの罪悪感なんすよ」

 結局オレはどこまで行っても優雨の面影を部長さんに重ねてたんだ。
 丸井先輩は黙って聞いててくれた。
 沈黙が続いたが、オレから言うことは全部言ったので「話はこれで終わりです」と言わんばかりにポテトをつまむ。もう萎びていてへにゃっと折れ曲がっていて、最初のかりっとほくほくした感触はなくなっていた。
 そこで丸井さんが「これは俺の意見だけどさ、」と前置きをする。

「例え弟と幸村くんを重ねてても本気で心配してたんだろ?」
「オレはそう思ってたんですけど、さっきも言ったとおりやっぱり弟が……」
「別にいいじゃねえか。って割り切れるもんじゃないだろうけどさ、幸村くんすげえ喜んでてくれたじゃん。見ただろぃ?」

 言われて思い出した部長さんは終始嬉しそうに笑っていた。

「お前が来てくれて嬉しかったのは間違いない。例えお前にどんな思惑があったとしても結果的に幸村くんは喜んでくれた、いまはとりあえずそれだけでいいじゃねえか」
「……っす」
「それに例え幸村くんがお前の事情を知ってたとしても喜んで出迎えてくれたと思うぞ」

「俺らの部長がそんな懐狭いわけねえだろぃ?」と丸井先輩は得意げに口元をあげる。いやに自慢げな笑みに何となく澱んでいた心にさらりとした風が吹いた気がした。

「不思議っすね」
「んん?」
「なんつーか、いやなんて言えばいいかわかんないっすけど、うーんと……」
「なんだよぃ。全然伝わってこねえぞ」
「だからいま何とか言葉にしようとしてるんじゃないっすか! えっと……あ〜〜〜〜〜やっぱり出てこねえ!!」
「伝える気ある?」
「ありますよ!!」
 
 ただうまいこと言葉が出てこないだけで! と声を上げた。
 あ〜こういうとき識がいれば何となくわかってくれて言葉にしてくれたんだろうけどなあなんて思う。
 ……そういえば、あいつはどうしてんだろうな。

「憑きものが落ちたような感じがして俺はちょっと安心したぜぃ」
「そうっすか?」
「赤也も言ってたけど、見てらんねえぐらいひどかったからな、お前ら」
「あー……って、『お前ら』ってことはやっぱり識も先輩たちの目から見て変ってことっすよ?」
「俺は最近会ってねえから何とも言えねえんだけど――つーか、もともと赤也がお前らの様子を見かねて相談してきたんだよぃ」
「切原が?」
「つまりよっぽどってこと」
「そうなんすね」

 やっぱりあいつも相当参ってるんだろうなぁ。オレはこうして跡部や先輩のおかげでちょっとずつ整理がついてきたけど、あいつは……。跡部のときだってひとのお節介ばっかり焼いて自分はそのまま普通に学校行ったし、なんだかんだ家でも一応普通――さすがに無理してるってのはわかる――に振舞ってるけど、相当溜まってんじゃねえのかな。
 あいつはオレと同じところで動けなくなって思ってることも同じだろうけど、行き先は違う。

「丸井先輩」
「おう、なんだ?」
「もしよかったらあいつのこともちょっと見てやってくれませんかね」
「識のことか?」
「オレが話しても説得力がねーっつーか、火に油注いじまうような感じになっちまうので」
「そうは言ってもなあ」

 いままでは真剣だったり、こっちを安心させるような表情でいた丸井先輩の顔が曇る。

「あいつ、お前みたいにこうしてすぐに応じてくれるほど単純じゃねえだろぃ?」
「そうなんすよね〜ってさりげなくオレのことディスってません?」
「言葉の綾だって」
「でも先輩の言うとおりあいつ無駄に頑固だからなぁ」

 そうおいそれと話してくれる想像がつかない。

「それに何か仁王のやつがヘマしたらしいから」
「におー先輩が?」
「ヒロシがなんか言ってた」
「マジか……」

 こりゃひと波乱起きそうだ。
 そしてオレの直感が正しいと証明されたのはそれから二週間後の冬休みに入ってからだった。

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