Are you an angel? | ナノ
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08 もう一度あの夜を止めて


明るい朝日の中でベッドサイドに座り、僕の手で掬い上げ息をかけて冷ましたお粥の一匙を、なまえちゃんの口元に運ぶ。ついさっき抱き起してベッドヘッドにクッションを置き、凭れさせた時はされるがままだったのに、今の彼女は動きを止めて、匙を口元に運んでも頑なにその唇を開かない。卵を入れて綺麗な黄色のそれは、僕の眼から見ても美味しそうなのに、彼女の唇は閉じたまま。時間を掛けて丁寧に作ったんだけどね。一君の料理にも負けていないと思うんだけど。
彼女はまるで美しい人形のようだ。髪に触れてもその頬を撫でても無反応で、人形は呼吸をしているのかも怪しいくらいに身動き一つせず、ぽっかりと開いたその瞳には光がない。
それなのに透明な滴をいくつもいくつも、瞬きを忘れた眼から零し続けている。それと熱のせいで上気した頬が、彼女が生きているのだとやっと教える。彼女は間違いなく僕の目の前で生きて呼吸をしている。だから僕は根気よく彼女に話しかける。

「なまえちゃん、少しでいいから食べてよ」
「…………」

いつもの僕ならここで癇癪でも起こしているところだ。だけど痛々しい君を、愛おしい君を僕のものにする為ならば、このくらいのことは何でもない。僕の部屋で目の前になまえちゃんがいるってだけでも、嬉しくて叫び出したいくらいなんだ。
スープ皿に入れたお粥は手の中ですっかり冷めている。もう小一時間もこうしていた。僕は諦めて脇のテーブルにそれを置いた。
彼女の頬に指を伸ばし、目覚めてからもう何度目だろう、その涙を拭う。熱い涙は僕の心を擽って愛しさがさらに募るんだ。この涙を必ず幸せな涙に変えてあげるから、僕が。
拒むことをしない彼女を抱き締める。
人形のような彼女の身体はそれでも温かい。服を脱がせて裸のまま抱き合ったら、どんなに気持ちがいいだろう。
だけど彼女の熱は未だ高い。彼女を大切にしようと思う僕は、今は無理な事をするつもりはない。体調がよくなったら、溢れそうなこの想いを君の中に沢山注いであげる。早くその時が来ないかと、待ち遠しくてうずうずする。

「今日は天気がいいよ。まあ、天界はいつもこんな感じだけど今日はいつも以上だよ。部屋の中にいるには勿体ないけど、君は熱が出ているからね」

どうでもいいことをずっと話しかける。彼女は反応しない。
なまえちゃんを一度寝かせてキッチンでお粥を温め直している時、土方さんから電話があった。一度は無視しようかと思ったけれどそれじゃかえって疑われてしまいかねないと、嫌々対応すれば彼の話の内容は想像通りだった。
一君がなまえちゃんを捜していると、山崎君がHEAVENでなまえちゃんを見かけたと言っていると、想定内の言葉が僕を上滑りする。どうせそんなことを言われるだろうと思っていたからね。
眠りを妨げる迷惑電話に対するように、殊更に眠そうに怠そうに、めいっぱい迷惑気な声で「他人の彼女のことなんて知りませんよ」と言ってやれば、流石の土方さんも「そうだな、すまねえな」と引き下がってくれた。
夜に紛れたつもりだけど、山崎君は流石だと思う。彼もなまえちゃんに一度は懸想した男だから当然かもしれないね。それにしても油断がならない。
一度はほっとしたけれど、これも時間の問題だ。こんなところは隠れ家にはならない。直ぐに一君は来るだろう。僕は大人しく彼女を一君に返すつもりなんてない。
彼にはっきりと宣言しようと思っていたのだけど、やめた。無表情のなまえちゃんをみているうちに、僕の気は少しずつ変わってきていた。





手を差し伸べれば触れられるほどに近く、甘い吐息が耳を擽り、これ以上に欲しいものなど一つもないと抱き締めようとした。細い身体は、しかし逃れていく。
待ってくれと声に出しても、喉が震えるばかりで音にはならない。捕まえたいと焦る俺の手をすり抜け、なまえが離れていく。胸を抉る様な切ない泣き顔を向けたままで遠ざかっていく。
待ってくれ、あんたの温もりに触れたい。あんたの声が聞きたい。か細い泣き声が俺の心を締め付け、苦しさにふと目を覚ます。
浅い眠りの中で虚しい夢を見ていた。気づけば右側があまりにも寒いのだ。
俺の右側にはいつもなまえがいた筈だ。目覚めると決まって彼女を抱き締めてその髪に顔を埋め、幸福に酔い痴れた。昨日までの俺は迷いなく彼女の名を呼び、その瞼に頬に口づけ、そうすれば花が綻ぶように笑う彼女に、これ以上ないほど満たされていたのだ。
伸ばした右腕にいつも感じていた愛しい重みはなく、冷えた自身の頬に触れれば。
俺が、泣いていたのか?
耳に残る声はなまえのものか?
いや、泣き声は今も確かに聞こえるのだ。
ここはどこだ。
不意に我に返り、跳ね起きて見回す部屋には見覚えがなく、昨夜の記憶を辿れば俺を拒否したなまえの蹲る姿が浮かぶのみ。そして聞こえる押し殺したすすり泣き。
ここはどこだ?
暗闇の中に目を凝らせば、耳から伝わるこの音声は、薄ぼんやりと映るドアの向こうから聞こえているようだった。無意識に息を潜める。

「……ん……っ、だめ、聞こえ……ちゃう、」

…………?

「斎藤は寝てる」
「……だって、あ……っ、左之……さ……っ、」
「もっと、声出せよ、カナエ」

…………!

こ、この声は、左之か?
完全に覚醒した脳が拾うのは、聞いてはならぬ音声であった。一度起き上がった身体を思わず戻し、頭から布団を被る。
落ち着け。一体これはどういうことだ?
熱の上った身体を潜り込ませた布団の中は更に暑苦しく、煮えたような頭で改めて昨夜のことを一つ一つ辿る。
そうだ。なまえを泣かせた俺は、頭を冷やそうと部屋を出て、意識が消える直前に確かに左之とその恋人の、俺を気遣う声を聞いた。
では、ここは、左之の部屋か?
多分俺は運ばれて、そして今意識を取り戻したと言うわけなのだろう。
回想する間にも漏れ聞こえてくる声は恐らく、いや、疑いようもなく男女の睦み合うそれで、俺の頭には浅ましくも先程夢で見たなまえの白い肢体が浮かび上がった。その途端あり得ないことに俺の一部が反応しかける。理性を完全に離れた自身に驚愕しつつ動揺する。
ま、待て。なまえは今頃どうしている? 俺はここで、このような不埒な状況に陥っている場合ではない。
心頭滅却心頭滅却……と小声で唱える。なまえのところへ一刻も早く戻らねば。
しかし、今ここで出ていくことはとても出来まい。俺は思考のループの中で焦燥感とともに気が狂いそうだった。
それからどれ程の時間が経ったのか。疲弊した頭ではもはや時間の流れさえ掴めていなかった。
俺はこの数時間で自身が窶れ果ててしまったように思った。

「いい加減にしてくれぬか、左之」
「ははっ、悪かったな。お前が起きてるとは思わなかった」

明けかけた夜が早朝の光に凌駕されかかっているのが、窓にかかった明るい色のカーテン越しに見て取れる。
左之の恋人カナエがひっそりと玄関を出ていく音を聞き、やっとの思いで這い出したベッドからリビングに続くらしきドアを勢いよく開ければ、何やらさっぱりした表情の左之がおり、俺は礼よりも先に非難の声を上げてしまった。
左之は呑気なしぐさでシャツを羽織りながら軽く謝って見せると「何があった?」と改めて問うてくるが、事情を説明する気にもならず、俺は焦る気持ちのまま玄関に向かう。しかし左之に「その恰好で行く気かよ?」と声をかけられる。はっと見下ろせば、俺は少し大き目の左之のジャージを着せられていた。しかも気づけば下着も付けてはおらず、直接ズボンを穿いている状態なのだ。一瞬にして固まる。いつの間に、このような。

「お前、パンツまでぐしょぐしょに濡れてたからよ」
「……お、俺の、き、着替えを、だ、誰が……っ」
「俺に決まってるだろうが。いくらなんでもカナエにさせられねえだろ?」
「そ、それは、そうだな。すまん。感謝する……」

振り向いた部屋の真ん中にぶら下がった角形ピンチに、昨夜着ていた服や下着が干されているのを見て、俺はまた赤面した。この光景の中でこの者らの先程の行為が行われていたのか。
あまりのカオスにまた気が遠くなりそうになるが、俺は気を取り直して昨夜の事情を、掻い摘んで左之に話した。早く家に戻らねばならぬのだと。
取り敢えず電話をしろと言う左之に、俺は改めてスマフォを持っていないことに気づく。忘れたのはわざとではない。ほんの僅か頭を冷やすつもりで部屋を出た筈だった。しかし現実には、マイナス思考に占められてしまい戻るに戻れず、彼女を放り出したまま結果としてこんな場所で朝を迎えている。
総司が言った言葉を幾度反芻しても、そしてそれが真理なのだと悟ったとして、俺はなまえを手放すことが出来るのか?彼女を諦めることが出来るのか?そのような事は改めて考えるまでもない。答えなど決まっている。それなのに、俺は。
気持ちが焦る。身体よりも心が逸る。
一刻の猶予もならぬと、干されたピンチからまだほとんど濡れたままの衣類を外し、寝室に再度入って全てを身に着け、改めて左之の部屋を飛び出した。風邪を引くと言う左之の言葉は耳を素通りし、それでも「天使は風邪など引かぬ」と返せば「どっから聞いて来た迷信だよ。天使だって引くときは引くんだぜ」との言葉は無視した。
息を切らして走り戻ったアパートの鉄階段を三段飛ばしに駆け上がり、なまえと二人の部屋のドアを開く。鍵はかかっていなかった。

「なまえ……、」

応える声はない。
人の気配がしない。
予感はしていたが、信じたくない思いでバスルームから寝室までを丁寧に見て回る。
何もかもが昨夜のままだった。俺が彼女を残し出た時と寸分違わぬ様子の中で、なまえだけがいない。リビングのテーブルの上に、彼女の用意した食卓が虚しく残されていた。それを目にして、また心臓が握られたように痛む。
なまえはここにはいない。
彼女を連れ去ったのは総司だと確信する。奥歯を噛み、戦慄いて握りしめた拳の爪が手のひらに食い込んだ。憎しみに似た感情がせり上がる。
だがこれは、総司のせいなのか?
否。
全て俺の過ちだ。俺は何故なまえを、独りにしてしまったのか。
あの時とは違う。これは全て俺の招いたことだ。何故、俺は彼女を泣かせ、独りにしてしまったのか。俺は何故、惑い迷ったのか。命と引き換えてもいいとさえ思い恋い求めたなまえを、何故。
何故と幾度繰り返しても意味などない。時間が戻ることはない。
しかしとにかくなまえと会うことだ。誠心誠意謝罪をして、もしも、もう俺のところには戻らぬと言われても、それでももう一度想いを伝えて…、目を閉じてこれからすべきことを考える。
まず行くべき先はHEAVENだ。
玄関へ取って返し再び部屋を出ようとすると、ドアが向こうから開いた。

「だからそんな恰好で行くなよ、斎藤」
「左之」
「さっき人の話を聞いてなかったみてえだがな、天使だって風邪くらいは引くんだよ。知らねえのか? 少し落ち着けよ」

言われるまま、俺は濡れた衣服を着替えた。左之の言う通り、ここは落ち着かねばならぬところだ。
俺はどうもなまえに関することでは、左之に迷惑をかけ通しであることに気付く。思えば風間の隠れ家に赴いたあの時もそうだった。
なまえを見失いかけて不安に駆られる俺は、ここでつい本音を吐露してしまう。左之は暫く黙って俺の話を聞いていた。だが最後に働いた理性で総司の事だけは伏せた。

「左之は人間の女性を恋人とすることに、不安や心配はないのか?」
「そんなもんねえよ。これだけ惚れてんだ。カナエには俺以外いねえ」
「俺は、愛し過ぎて、それが彼女の負担になると……」
「お前そんな事で悩んでるのか?」
「そんな事、とは……」
「お前らしいな。でもな、そんだけ想われてるなまえは幸せに決まってるじゃねえか」
「そうだろうか」
「ああ絶対だ。だがな、お前には一つだけ決定的に足りねえものがある」

左之はふっと笑ってこの上なく優しい目で見つめてくる。俺はその言葉の続きを、息を詰めて聞いた。
出来ることならば、もう一度。
もう一度この手に戻して欲しい、幸福な夜を。
俺の失態を忘れてくれとは言わない。だが、やり直させてくれないか。
目を閉じればやはり手に取るように近く、確かに感じられるなまえの息遣い。俺の首に回されたしなやかな腕。温かく柔らかな愛しい身体。俺の腕の中でたおやかに撓る愛しいあの身体をもう一度、抱き締めたいのだ。
限りない幸福を俺に運んでくれる彼女の声を聞きたい。輝くような笑顔をどうしても見たい。彼女の全てを取り戻したい。
そしてもう一つだけ、望むことが許されるのならば。
あの夜のまま、時を止めて欲しい。
なまえが俺を確かに愛してくれていた、そう信じていられた、あの夜のまま。


This story is to be continued.

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I am in love with an angel every day!



MATERIAL: blancbox / web*citron


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