青よりも深く碧く | ナノ
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51 Reincarnation(1)  


気だるい夜気の中、名前を背中から抱いたまま斎藤が静かな声で言葉を紡ぐ。胸に回された腕に手を置いて名前はその声を聞く。

「話していない事がまだある」
「はい」
「俺は最初の夜、初めて会った筈のお前の事をわかっていたような気がするのだ」
「……え?」

名前が身体の向きを変え、驚いたように斎藤の瞳を覗き込んだ。

「最初からお前を知っていた……のではないかと」
「……どういうことですか?」
「時を渡った話を聞いた時は認識していなかった。いや、その時は忘れてしまっていたと言うべきか。お前の顔を初めて見た時に愛しいと思ったことを思い出した。出逢って以来よく面妖な夢を見るのだがいつも同じで白い夢だ。……それに、何故か会えない時にもお前の声が聴こえていた気がする」
「私の声……?」
「お前に見せたいものがあるが今宵は遅い。明日にしよう」
「なんですか、見せたいものって? 気になります……」

そわそわと起き上がろうとする名前の細い身体を、引き寄せて抱き締める。斎藤が身体を起こし再び彼女を下に組み敷いた。

「急ぐ事はない。明日も明後日も共にいる。それよりも、今は」
「でも、はじめさん……」
「ずっとお前を求めてきた。だから、もう一度」

斎藤の言う意味がよく理解出来ず気になりながらも、悩ましげな声で吐息と共に囁かれれば身体は抵抗の力を失い、いとも簡単に斎藤のなすがままになってしまう。
愛してやまない名前に心ゆくまで触れ、奥深くまで沈み、極限まで充足感と至福に酔いながら斎藤はまた別の事を考えていた。

俺達は元々一つだった。

何故かその思いが強く胸に迫ってくる。元から身も心も二人で一つであったのだと。一つであったものが二つに割かれたならば、どうして生きていく事が出来るだろう。生身を引き裂かれて生きるなど死よりも苦しい。
だが失ってもまた見つける。俺は必ず名前を見つけるだろう。

「どこに居てもどこの誰であっても、俺はお前を愛している」
「私も……、」
「お前と、今ここで、夫婦になりたい」

名前の瞳から温かい涙が零れた。
名実ともに夫婦となる。その事実を胸に抱きしめて、名前は斎藤の瞳を見つめしっかりと頷く。
それから半時後、貰い物だがと斎藤が私物の中から酒の瓶を取り出した。勝手場から持ってきた何の変哲もない猪口に酒を注ぐ。
交互に唇をつけて固めの盃を交わす。真夜中の二人だけの祝言だった。誰に見届けられることもなく祝福もなかったが、心も身体も深く通わせて契りを結び、二人は幸福の極みにいた。



不動堂村の屯営には初めから斎藤の部屋が用意されてあり、局長と副長しか知らないその部屋は幹部のみ立ち入る事の出来る一画の更に奥に位置していた。言うまでもなくそれは土方の計らいであり、斎藤が残していった私物は全て手つかずに保管されていた。
翌日、たった一日ではあるが斎藤は休みを与えられる。

「斎藤、任務が終わったらまとまった休みをやると言ったんだがな、今の情勢だとお前に留守をされるのがちっと厳しい。一日だけですまねえな」
「いいえ、充分です」
「副長、ありがとうございます」

大政奉還後の政情は揺れており、いつ何が起こっても不思議でない程に不安定である。土方が申し訳なさそうな声で言ったが、一日だけでも誰にも隠れることなく二人で過ごせることが嬉しかった。名前が微笑めば土方も照れ臭そうに笑う。
三浦の警護に出ている間にどう説明をつけたのか、斎藤の帰参は内部にも通達されていた。そして、平助は驚異的な回復力を持って意識を取り戻していた。世はまだまだ不穏ではあるが、新選組内部は一時穏やかだった。
斎藤の部屋に入り「見せたいもの」と言って彼がゆっくりと行李から取り出したものは、丁寧に畳紙に包まれていた。畳の上に置き紐をほどいて広げれば、中から現れたのは緋色の着物である。

「これだ」
「これは……?」
「最初の夜お前が身に着けていた着物だ」
「……これを私が」
「黙っていてすまなかった」
「全然、知りませんでした」

斎藤はきまりが悪そうに少し顔を俯ける。どこからどのようにしてここへ来たのか、あの時のはっきりとした記憶は未だに名前にはない。目が覚めたら斎藤が目の前にいた。現在名前が持っている彼との記憶はそこから始まっているのだ。
それにしてもこの着物が三年近くも斎藤の部屋に仕舞われていたとは。艶やかな緋色地、熨斗目と花車などの古典柄に桜花が咲き誇る鮮やかな京友禅の振り袖である。幕末期のこの時代に巷で見かけるような品ではなかった。手に取りしげしげと眺める。

「でも、どうして」
「どうして、だろうな。あの夜はこの屯所から逃がさない為に脱がせた。……お前と心を通じてからは、伝える気になればいつでも言えたのだが、」
「私、逃げようとしたこと、ないです」
「わかっている。しかし、これを返したらお前が消えてしまわぬかと、そう思ったのだ」
「え?」
「時を越えたと聞いてますます言い出せなくなった……」

名前が顔を上げると俯けた髪の間から見える彼の耳が真っ赤に染まっていた。思わず手を伸ばし首にしがみつく。名前の身体を受け止めた斎藤が優しく抱き締める。髪を撫でながら染まったままの目元を緩ませて名前を見つめれば、彼女は花が咲き綻ぶように笑った。

「どうして? 私にははじめさんの傍以外居場所なんてないのに」
「名前……」
「離れたりしませんよ?」
「ああ、そうだな」
「私は必ずあなたと生きると決めています。もしもいつか、また時を越えたとしても……」



しばし微睡んで、横たわった俺の腕から身を起こした名前が、俺の顔を覗き込む気配がする。彼女の言葉を目を閉じたままで聞いていた。

「はじめさんの瞳、青色よりも深くて碧い、澄んだ空の色みたいで大好きなんです。見つめられると空の彼方まで飛んで行けそうですね。目を開けて。見せてください」

ふっと笑いながらゆっくりと瞼を上げて上から見下ろす彼女の瞳を見返せば

「それともやっぱり、紺碧の海の色かな」
「独りで飛んでいかれては困るな。……海ならばすぐにでも共に深く沈んでいけるが」
「え?」
「お前とならば俺はどちらでも構わぬ」

笑いを滲ませてそう言えば名前が頬を染める。
彼女の腕を引き抱き締めて、身体を入れ替え今度は上から見下ろした。そして言葉通りに身も心もどこまでも深く一つに繋がり飽くことなく快楽の海に沈み、時の許す限り幾度も繰り返し混ざり合い融け合う。




十二月一日、岩倉具視を初め公卿達が王政復古の実現を決意した。江戸幕府の廃絶、摂政関白等の廃止と三職の設置による新政府の樹立、これを宣言した政変であった。大政奉還によって幕府は消滅したが、薩長同盟の真の狙いは公武合体派を抑え込み徳川宗家を完全に排斥することにある。十一月のうちに進軍を開始していた。
十二月十八日には新選組は不動堂村の屯所を僅か半年で後にして伏見奉行所に布陣した。
近藤は金戒光明寺で会津藩の人間と面談し伏見奉行所に帰る途中で、伏見街道で伊東の残党に鉄砲で撃たれ右肩を負傷する。それは元高台寺党篠原泰之進の報復であった。篠原は新選組に在籍した頃は柔術師範を務めるなど、近藤や土方に何かと重用されたものだが、後に投降する事となる近藤の処遇について話し合われた時、薩摩軍の一員として斬首刑を強行に主張したのだった。
明けて慶応四年。一月三日、鳥羽伏見の戦いが勃発。戊辰戦争の初戦である。 新選組の主戦力も参戦したが僅か数日で旧幕府軍は敗れ、新選組は海路江戸へと移動した。
江戸へ戻った新撰組は旧幕府より甲府城を守る事を命じられ、三月になると甲陽鎮撫隊と名を改め進軍することとなったが、しかし到着した時には既に官軍によって城を奪取されていた。永倉と原田が戦況を見誤った近藤に対する不信感を愈々顕にし始める。
見誤ったというよりも、それ自体熟考されたものでなく、逸るばかりのお粗末な戦略だったからである。兵を次から次へと失った。二百対三千と圧倒的な兵力の差がある戦は、そもそもやる前から勝敗が明らかだ。旧幕府にとって薩長に散々恨みを買っている新選組は、今や懐刀ではなく目に余る存在となっていたのだろう。それを見抜けない近藤に二人は苛立ちを募らせた。
六日、勝沼で交戦するも僅か二時間で敗走。破れた時の打ち合わせなどされていなかった為、皆はばらばらに江戸へと落ち延びた。永倉、原田は江戸到着後新選組離脱の決意をする事となり、ここにおいて新選組は実質上瓦解した。
甲府の後、近藤、土方は下総流山へと転戦した。



斎藤は名前を伴い甲州街道沿いを一路江戸へと歩を進めていた。新政府軍は新選組の残党を見逃す程甘くはない。敵は性能のよい銃を持っている為、陽の高いうちは気を抜けない。
顔を引き締める斎藤の隣を歩きながら、名前は先程から斎藤の姿を直視出来ずにいた。

「名前?」

脚を急がせながらも、常に名前を気遣う斎藤がその様子を訝しみ立ち止まって顔を覗き込む。

「体調でも悪いか」
「い、いえ、……大丈夫です」
「どうした?」

また歩みを進めながら問えば名前は目を逸らして俯いた。そうしてからおずおずと口を開いた。
「……怒りませんか?」と問われて、訳が解らないという表情を浮かべると、名前は頬を赤くして呟くように小さな声で言った。

「あの、恥ずかしくて……」
「何がだ?」
「はじめさんが、素敵だなって、……こんな時に不謹慎な事を言ってごめんなさい……」

あまりにも意外な答えに斎藤の目が丸くなる。
甲陽鎮撫隊に改称した際に、幹部隊士達は皆洋装に改め短髪にした。斎藤も長い髪を襟足位に短くし黒い上着とズボン、ブーツを身につけ腰に刀を差していた。髪紐としては用を為せなくなった名前と揃いの白い組紐は、刀の鞘に下げ緒として大切に結びつけてある。きりりとしたその洋装姿に名前は何故だが頻りに照れていたのだ。
意図が解ると斎藤も名前に負けない程に真っ赤に染まった。もう一度立ち止まり照れ隠しに抱き寄せ、そうして名前の耳元で囁く。

「惚れ直したか?」
「はい」
「お前の夫だ」
「夫……」

夫という言葉に更に顔に熱が上って仕方ない名前の目を覗き込むと、その表情がたまらずに口づけをした。林檎のように染まる名前が愛らしく、このままここで抱き締めてどうにかなってしまいたい欲望に負けそうになるが、そう呑気にはしていられない。

「日が落ちるまでまだ間がある。もう少し歩けるか奥方殿?」
「は、はい……、大丈夫です」

三月に入り野宿がしやすくなったことは有難いが、陽の高いうちは敵に見つかりやすい。日没の伸びた事を少しばかり恨みに思いながら、斎藤は名前の手を引き先を急ぐ。
ふと斎藤の耳が少し離れた所で藪を掻き分ける音を捉えた。

敵がいる。

足を止め、素早く頭を切り替えて活路を探索する。
敵は銃を持っているだろう。単身ならば突っ込んで行って斬り伏せる手もあるが名前を伴っている。彼女も腰に刀を差してはいるがここは市中とは比較にならぬ過酷な戦場だ。
とにかく名前を危険に晒す事だけは極力避けたいと思う。下手に動いて悟られるよりやり過ごす方が得策と考え、名前に耳打ちして音を立てずに身近の木の陰に潜んだ。
名前を背にして気配の方を凝視していると、藪を踏む音が少しずつ遠ざかっていく。

はぐれ兵か。

安堵しかけたその時、野分けのような強い風が起こり大きく木を揺らし、ごく低い所を飛ぶ鋭い鳥の声と羽音が響いた。驚きに身じろぐ名前の足元で草が鳴った。

「そこにいるのは誰だ!?」

敵兵の声が届くよりも早く、斎藤は反射的に名前の手を掴み全力で走り出した。刹那名前の手が斎藤から離れる。

「……あっ!」
「名前!」
「か、簪が……ない!」

胸を押さえた名前はそこにある筈の青いギヤマンの簪がない事に気づいてしまった。
何処かに落としてしまったのか、いつも大切に懐に入れていたのに。
戸惑いを見せ足を躊躇わせる名前の手を、斎藤は強く掴み直して走る。彼女は走りながら後ろを何度も振り向いた。

「構わぬ、捨て置け!」
「でも……っ」
「名前!」

銃声が一際高く響いた。



振り仰ぐと比翼の鳥が紺碧の空を飛ぶ。
あれはつがいだろうか。
何故空はこれ程晴れ渡っているのだろうか。
眩しさに目を細める。
返り血を浴びた身体を手拭いで拭き、手は草の葉で拭った。
まだ幾らか明るいが今日はもう歩ける気がしない。太い木の幹の根本に座り込み脚を投げ出す。腕に抱いた名前の髪の薄紅色の結い紐をそっと解いた。彼女の手首に巻き付ける。簡単には解けぬよう固く固く結びつけた。目が霞む。顔にも大層血を浴びていた。

流れる涙が血のように赤い。


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表紙 目次



MATERIAL: 精神庭園 / piano piano / web*citron

AZURE