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43 上七軒  


上七軒に入り地図と照らし合わせながら軒先を見ていけば目指す茶屋は直ぐに見つかった。想像したような陰鬱な建物ではなく意外に小奇麗なので少し安堵する。
躊躇いながら入り口を小さく開けて声をかけた。

「ごめんください」

そっと覗くと女将らしき初老の女が一瞬だけ奥から顔を出してまた引っ込んだ。

「土方さんのところから来た人かい。傘はそこに立て掛けて」
「はい」
「こちらですよ」
「お邪魔します……」

声だけで応対する女将の言う通りにしながらおずおずと高下駄を脱ぎ、上がり框の端に寄せると少し湿った足袋が気になる。脱ごうかと迷った。

「いいから早く上がってくださいな」

急かされる声がして、足袋を気にしながらも、結局名前はそのまま女将の後をついて薄暗い階段を上がっていった。
女将が小声で一部屋を指す。

「このお部屋ですよ」

顔を俯けたままそれだけを言うと女将はそそくさと階段を下りて行った。ふいに、客とあまり顔を合わせないようにしているその態度に気づき、名前は戸惑う。

ここはまさか、盆屋?

このような所にはこれまでに来たことがなかった。だが何となく雰囲気で悟り始める。心臓がきしりとする。
副長は心配するなと言っていたが、何故女の形で行けと言ったのか。この中にいるのは多分男の人だ。でも書状を渡すだけ。
先程の副長の様子や言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。副長は間違いを起こす人じゃないと言ったけど、でも。激しい動揺で心臓がどきどきと早鐘を打つのを感じ暫し逡巡する。引き返してしまいたい。
しかしこれは与えられた任務なのだ。
唇を噛み心を強くして思い直す。書状を届けたら直ぐに辞去すればいい。それだけのことだ。
腰を落とし震える指先でゆっくりと目の前の襖を開けた。

「失礼します。書状をお届けに参りました」

名前は俯いたまま中に入って襖を閉じると手をつき深く頭を下げた。刹那感じた部屋の中の様子は、廊下と同じように薄暗いというだけで、それ以上は掴めなかった。名前が黙ればしんとする。音もない部屋で雨音だけがやけに響いている。
窓際で外を眺めていたらしい男が立ち上がった気配がして、頭を下げたままの名前の方に向かい静かな足音が近づいてくる。
顔の前に足音が止まり、びくりと身体を固くし目を閉じた名前の耳元に、低く優しい声が降ってきた。

「名前」

瞬間、息が止まった気がした。
耳を擽ったのは一日も忘れた事のない声だった。弾かれたように顔を上げる。
斎藤がそこにいた。
畳に手をついて固まったまま声も出ない名前に、屈んだ彼の手が伸ばされてそっと肩に触れる。

「名前……」
「……はじめ、さん?」

やっと掠れた声が出る。

「ああ、」
「ほんとに……?」

まだよく事情が飲み込めずに目を見開いたまま、斎藤に引き寄せられ力強い腕の中に抱きすくめられた。
温かい腕に包まれてやっと、名前の驚きがじわじわと喜びに変わっていく。耐えていた寂しさと会えた喜びの綯い交ぜになった涙が溢れだす。

「よく、来てくれた」
「はじめさん」

名前も腕を回しすがりつくように斎藤の背を抱き締めた。
一頻り無言で確かめるようにお互いの身体を抱き締め合っていた。漸く少し身体を離した斎藤が名前の頬を手のひらで包み瞳を覗く。止まらない涙を親指で拭いながら微笑む。

「ほんとに……はじめさんですか?」
「本当に俺だ。もっとよく顔を見せてくれないか」

お互いを見つめ合う。
ああ、この澄んだ蒼い瞳をずっと見たかった。何だか夢を見ている心地で、名前が斎藤の瞳を見つめたまま「会いたかった」と呟けば「俺もだ」と静かで穏やかな声が答える。

「副長のお使いで来ました」
「解っている。遠かっただろう? 何も言わずにすまなかった」
「いいんです、そんなこと」
「誰にも悟られたくなかった故」
「会えただけでいいの。嬉しいです」

再び抱き寄せられながら着物の合わせ目から土方の書状を取り出し渡すと、受け取った斎藤は名前を片腕で抱いたままもう片手で持ったそれに目を走らせ、その手を伸ばして燭台の火にかざし焼き捨てた。
内容は不動堂村の屯所の場所と間取りである。このような物をいつまでも残しておくわけにはいかぬのだ。

「……はじめさん、書状を?」
「もう頭に入った」

斎藤は襖を細く開けると短くやり取りをした。

「全て了解した。未明に迎えを」
「承知」

名前が訳がわからずにいると山崎だ、と笑った。

「え? どうして山崎さんが」
「このような所に副長がお前を独りで寄越す筈がないだろう?」

まだ理解が追い付かず驚いてさらに目を見開く名前の髪を撫でる。書状には他に名前を朝までに帰すようにとも書かれていたと言う。

「これは副長の計らいだ」
「え……?」

名前の脳裏に土方の昼間の様子が再度甦った。
どうしても私をここに来させようとしたのは、はじめさんに会わせてくれる為だった。それなのに疑ったりして、私。
口には出さなくともどれ程斎藤に会いたいと思っていたか、副長は解ってくれていたのだ。山崎を護衛につけてまでここへ来させてくれた副長の気遣いが胸に来る。
名前が頬を染める。

「副長にはなんでもお見通しなんですね」
「ああ、そうだな。長い時間ではないが夜明けまでは共にいられる」

名前の濡れた瞳に口づけ微笑んだ斎藤は、指先で名前の顎を持ち上げ仰向かせると唇を重ねた。片手を名前の首の後ろに当てれば口づけは深まっていく。
狂おしく求めながらそのまま膝にのせ上げて、斎藤の手が身体の至る所を撫でていった。膝を折った名前の脛に這わせていた手が足先へと動いていき、足袋に触れてふと止まる。

「こんなに濡れて……」
「あ、ごめんなさい、入口で脱ごうと思ったんですけど」

斎藤が鞐をそっと外していく。名前は頬を上気させてその様を見つめる。両の足袋を脱がせてしまうと斎藤が冷えた足先を手のひらで包み込んだ。

「冷たくなっている。雨の中を寒かっただろう」

名前が「平気です」とちいさく首を降ると、また壊れるほどに抱き締めて再び口づける。合わせた唇から斎藤の温もりが身体中に染み透っていった。触れあう隙間から名前の声が零れる。

「ずっとずっと、会いたかった」
「ああ……」

濡れたその声に斎藤の箍は容易く外れた。
名前への想いを溢れるに任せ、背に当てた手で支えながら細い身体を押し倒す。見下ろす瞳は蒼く燃え立ち、切なく眉を寄せる。

「名前……、俺もだ。苦しいほど、お前に会いたかった」

ゆっくりと首筋に唇を落とされれば名前は瞳を閉じ、愛しい人にされるがままに全てを任せた。


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