斎藤先輩とわたし | ナノ
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act:14 恋はいつもオートフォーカス


右手に持った本はソフトカバー。
そのページの半分あたりで、はじめさんがふと顔を上げこちらに視線を向ける。ほんの少し横目に見下ろす角度で私を見た。
美しい静止画がふいに動きを取り戻し、私の心臓がドキリと音を立てた。

「何をしている?」
「べ、別に……」
「…………、」

つい今まで、足を組みソファに深く背を預けたはじめさんの横顔は微動だにせず、瞳だけが文字を追っていた。
左手が一定の間隔でページを捲る以外の動きも音もなく、目の前に静謐な映像があった。
長めの髪はふわりと額や頬にかかり、覗くのは伏せられた睫毛、計算されたかのような角度の鼻筋にきりっと閉じられた口唇。鋭角に整った形の顎から喉仏に続くラインはもう芸術と言ってもよかった。
身につけている生成りのシャツは休日に彼が好んで着るシンプルなもので、内側に隠された肩や胸元の綺麗な筋肉、見慣れている筈のそれをいやに思い起こさせる。
なんだか今日の自分は変だと思う。
彼の周りの様子がソフトに霞んでいて、私の目は彼だけに焦点を絞っていた。
梅雨の晴れ間、土曜の昼下がり。リビングの窓から入り込む柔らかな日差しを逆光に受け、それはまるで一枚の写真のようだった。
開いていたページに右手親指を差し込んだはじめさんが、ソファの背面から僅かに背を浮かす。

「何をしていると聞いているのだが」
「え、だ、だから……、」

私が何をしていたかと言えば。
飽きてしまった雑誌を膝の上に広げたまま、はじめさんが本を読む姿に見惚れていたというわけなのだけど。
でも彼が聞いているのは、多分それではない。言いたいことが別にあるのはわかってる。
彼と同じソファの反対側の肘掛けのあたりにいる私の手にあるのはスマホ。カメラレンズは真っ直ぐに彼の方を向いている。
深い意味なんてなかった。無意識に手にとってカメラのアプリを起動したことに。
ただ私は、この絵を切り取って残しておきたい、そう思っただけなのだ。
ただ、それだけ。
はじめさんの唇の端が、よく見なければそれとわからないほど、ほんの僅かに上がった。

「あんたは、知らないわけではないだろう?」

上体をこちらに捻るようにしながら組んでいた足を解き、左手を私の座っている腰のすぐ横につく。座面にかけられた体重のせいで私の身体が少しだけ沈む。
彼の右手の本はすぐ前にあるテーブルに閉じて置かれ、その手はそのままゆっくりと上がり、私の目線の高さにあったスマホを私の手ごと掴んだ。

「な、なにを……?」
「しらを切るな。俺は写真を撮られるのが好きではない」
「わ、わかって……る」
「そうか。わかっていて、か」

はじめさんの口角がまた上がる。スマホは既に彼の手に移った。至近距離に近づいた綺麗な顔は、なんというんだろう、すごく悪そうな笑みだ。それでいて藍色の瞳は楽しげだ。
私の心臓がさっきよりも大きな音を立てた。まるで身体の中から鳴り響く警鐘みたいに。
でも写真を撮られるのが嫌いだなんて随分昔の話だよね。多分出会った頃の話。
この人、いま、何か企んでる?
固まる私にお構いなしに触れてくる口唇は、想像以上に熱を持っていた。

「ちょ……、と……っ、んんっ!」

塞がれた唇はいきなり深くまで重なり、すぐに息が苦しくなる。でもそこまでは想像がついた。
はじめさんの不意打ちのキスはいつものことで、だけど次の瞬間耳元にシャッター音、ぎゅっと閉じた瞼の上からフラッシュが閃くのを感じた。
私はぎょっとする。

「んっ! や……っ、」

抵抗しようと胸を押した両手はあっさりと取られ、覆い被さってきたはじめさんにソファの座面に沈められた。
太腿の間にすぐさま割り入る彼の足ははっきりと意思を持っていた。
薄く笑う彼を見上げて睨みつける。

「い、いま……カメラ……」
「撮りたかったのだろう?」
「違……っ、こんなの……。写真嫌いなんて嘘でしょう」
「いや、嘘ではない」

口唇は弧を描き、切れ長の目元が僅か緩む。わかってはいた。美しいのは彼の姿。
いや、中身だってとても素敵な人なんだけれどね。
ときどき彼はこうなる。
もうとっくにわかっていたことだけれど。
……だけど。
見下ろす瞳はなんだか本当に嬉しそうだ。
青く焔立ち、追い詰めた獲物を舌なめずりして見おろす捕食者の目。その妖艶さに魅入られ、身動きも取れずに絡め取られ、いつだって彼の思うままにいただかれてしまうのだ。
はじめさんを知る殆どすべての人はきっと、こんな彼を見たことがないに違いない。普段の彼の涼しげで心持ち冷徹そうな無表情から、こんな貌は想像がつかないと思う。私だって以前はそうだったのだから。
流されそうな意識を必死に保って思い出す。
いや、だめだ。今はこんなふうに彼のペースにのせられている場合じゃない。
カメラを。
スマホのカメラで撮られたキスシーンを早く消さないと。気を落ち着けてここは説得でいくのがよさそうだ。
このままでいたら彼の思い通りになってしまう。

「ね、ごめんね、はじめさん? もうしないから……、どいて?」
「聞けぬ」
「え、」
「あんたには仕置きが必要だ」
「……はじめさんの、ばか、」
「何とでも言え」
「ばかばか、へんたい」

無駄な努力だったみたいだ。彼を説得なんて。
くくっと小さく笑うはじめさんはとにかく楽しそうだ。

「まだ、明るいよ」
「今さらだろう」

拘束された手から力が抜けていく。それを見て取った彼が私の腕を自由にして髪を頬を撫でていく。首元へ肩へと滑り降りる手はすべてを知り尽くした巧みさで、丁寧に執拗に這い回り本能を呼び覚ます。
はやく、消去をしないと、誰かに見られたらたまったものじゃない。
……そう思いながらも。
ふたたび合わさる口唇から侵入してくる舌に理性を毟り取られて行く。
あんなことはきっかけに過ぎないんだって本当は知っている。そう、きっかけはなんだっていいのだ。
写真が嫌いだなんて。人に見せられないようなシーンを撮ることも全部、彼が仕掛けたただのプロセスだって私はよく知っている。

「なまえ、」

リップ音を立てて離れた口唇が私の名前を囁く。その低い声に肌が粟立つ。
スマホがどこに放り出されたのかなんてもうわからないし、はじめさんの手にかかればそんなことはどうでもいいという気さえしてくるのだから、私の方もかなりタチが悪い。
彼の首に腕を回し続きをねだる仕種をすれば、はじめさんはまた吐息で笑い、まんまと引っ掛かった獲物をさっきよりもすこしだけ優しい目で見下ろすのだ。


2015.06.26



illustration by Rinneko




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