斎藤先輩とわたし | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



04:until Christmas


気のせいかな。何だか冷たい空気が漂ってくる気がする。
嫌味なほどに高級な車で高級なレストランへと連れてこられた私を、風間社長から取り返してくれた斎藤さんと部長。だけど騒ぎが治まってみれば二人はもちろんすごく怒っていた。

「説教は明日だ。とにかく今日は帰れ」

当たり前のように私を斎藤さんに託し背を向けた土方部長は、今度は何故か風間社長に向き直って何やらくどくどと苦言を呈していたけれど、社長も社長で言われっぱなしじゃなく何やら言い返している。あの人達って仕事以外のプライベートでも交流があるのかな。
なんとなくそっちの方をぼーっと見ていた私の肩が急に強く引かれた。はっと見上げればまっすぐ前を向く斎藤さんは無言で大通りへと出ていく。
平日のおかげですぐにつかまったタクシーに乗り、こうして私達は現在車中の人となっているのだけれど。
ついさっきの劇的な救出劇が嘘みたいに、車内のテンションはものすごく低い。さっきはあんなにきつく抱き締めてくれた斎藤さんなのに。
そっと横顔を伺い見る。整ったその輪郭は微動だにしない。しかもである。私と彼との間にほんの僅かではあるが隙間が開いている。
そして何よりもこの空気だ。これはやっぱり気のせいじゃない。
私はこれをよく知っている。あの時によく似ているのだ。まだまだ記憶に新しい、ハロウィンの時のあの氷点下のタクシーだ。あまりにも酷似してるこの寒々しい雰囲気。
口を開くのがとても憚られた私はこの日も深く俯いて、むしろあの時以上に盛大に落ち込んでしょんぼりと項垂れていた。





翌日出勤するなり土方部長は待ち構えたようにデスクに私を呼びつけ、一通りの怒号が炸裂する。

「お前は人が注意したそばから勝手なことしやがって、何を考えてやがる! 俺達が間に合ったからよかったようなもののあのままだったら、お前……っ、なんであの店に行きやがった!」

そ、それは彼のクリスマスプレゼントを……なんて言えるわけもなく、今回ばかりはなんの反論も出来ない私は下を見てずっと黙ったまま、謹んで叱責を拝聴した。当たり前だ。反論の余地なんかない。
怒声は10分ほども続いて土方部長は一度黙ると、くるりと椅子を向こうに回した。
私にとって最も心配だったことが語られなかったので、恐る恐る聞いてみる。

「あ、あの、部長。それで昨日の、風間社長の受注の方は……、」
「あ?」

久し振りに見るこの迫力のある目つき。半顔だけ振り向きギロリと横目で私を睨んだ部長を目にして、私は背筋に冷たい物が流れるのを感じる。

「ま、まさか……私のせいでキャンセルに……、」
「なってたとしたらお前どう責任取るってんだ」

恐ろしく低い声に「す、すみませ……、」と膝に頭がつきそうな程腰を折れば、一呼吸おいてふっと吐息で笑う声が聞こえる。顔を上げれば「心配すんな」と今度は思いの外柔らかい声がかけられた。
ニヤリと笑った部長は「俺を甘く見るんじゃねえ」と意味深に笑い「風間もしばらくは大人しくなるだろうな」と言ってもう一度笑って見せる。やっぱり部長と風間社長って個人的な知り合いか何か?
いや、詮索はよそう今は。
あの契約がキャンセルにならなかったことにせめてもの安堵を感じ、もう一度深々と頭を下げて「すみませんでした。以後必ず気をつけます」と心から反省の意を示し、流石にしんと静まり返ったオフィスの中をとぼとぼと自分の机に戻った。

「もう絶対あの店に行くんじゃねえぞ」

という釘刺しに「はい」と小さく頷いて。
蝋人形のように固まった千鶴ちゃんが「だ、大丈夫ですか、なまえさん……」と怯えつつも小声で労ってくれた。
今の部長の大声で昨日の出来事の全てがこの小さな社内で周知となった。だけどそういうのはいつものこと。取引の継続も大丈夫みたいだと解ればもう誰に何を思われてもいい。
問題が残ってるとしたら、ここからはもう個人的なことだ。

「でもよかったです。なまえさんがご無事で」
「…………、」
「だって昨日本当にすごかったんですよ、斎藤さん。もうすごく怒っちゃって」
「…………そう。もう私、彼とは駄目になる気がしてきたよ」
「え? どうしてですか?」

どうしてって言われても私にも正直よく解らないんだけど。
「実は、昨日……、」いつになく気の弱っていた私は、空気なんて読みませんよな天然少女千鶴ちゃんにさえ縋りたいくらい、すごくすごく追い詰められた気持ちになってしまっていた。
昨夜斎藤さんは私をタクシーでアパートまで送ってくれた。翌日もお互いに仕事があるわけだしそこまでは予想の範囲内。だけど問題はその後だったのだ。
停車したタクシーから私は疑いもなく彼が一緒に降りるものだとばかり思い込んでいた。果たして彼はそうしなかった。時間はまだ20時にもなっていなかったと思う。

「ゆっくり休むといい」
「え?」

短いたった一言を告げた彼は私の方を見ようとはしなかった。
斎藤さんが私に向かって言葉を発したのはレストランの前で「なまえ、大丈夫か」と言った以来だ。外に降り立った私の前で程なく車のドアは無情にもバタンと閉じ、前を向いたままの彼はその時も私を振り返る事なくそのまま去って行ってしまった。
あんなことは初めてだった。つまり恋人として深い関係になってからという意味だけれど、少し距離を感じる彼のその行動は、独りぼっちにされたような寂しさだけを残し、それは思った以上に私を落ち込ませた。
抱いて欲しいとかキスをして欲しいとかそういうことじゃなくて、いや、そういうことをほんの少しも思わなかったかと言えばそれも嘘になるけれど、だけど本質はやっぱりそう言う部分のことではなくて、なんかこう斎藤さんがとても遠い人に見えたということだ。
まるで知らない他人みたいに。
確かに私の軽はずみな行動が皆に迷惑をかけてしまった事は事実で、それは反省しなければいけないことで、だけど彼のことをこれほどまで怒らせてしまったなんて。
どうする事も出来ずに私はタクシーのテールランプを見送るしかなかった。

「うーん、それは斎藤さんもショックだったからでしょうかね」
「ショック?」

千鶴ちゃんが重い一言をくれた。私が風間社長の車に乗せられたシーンを斎藤さんが見ていた事を聞かされて心がまた騒ぐ。
斎藤さんはどちらかと言えば独占欲の強いタイプだということは以前からよく知っている。
これまでに幾度となくそんなやり取りを繰り返してきたんだし、痛いほど解っているといってもいいくらいだ。
だけどいつも彼はそういう想いを比較的ストレートにぶつけてくれていたように思う。
今回はなんだか違う。
何かひどい誤解をさせてしまったのかな。
折しも今日は金曜日だった。
私は一日中モダモダと悩みながら、それでも何とか入稿だけはしっかりと済ませ、スマホを手に取ってみる。
午後六時。
斎藤さんからの連絡は一つも入っていなかった。





月曜日の朝。この週末は全くよく眠れなかった。はっきり言ってこれはもう精神疲労だ。昨夜は取り敢えず絶対寝なきゃと思った所為で飲み過ぎてしまい(だって飲んでもなかなか寝付けないので)瞼のむくみっぷりも酷いものだ。
目の下に黒々とクマを作った私がデスクにドサリとバッグを置けば、私とは正反対に今日もぷるぷる艶々な頬を輝かせた千鶴ちゃんが早速やってきた。

「おはようございます、なまえさん。斎藤さんと仲直りできました?」
「…………、」

出来てないよ。私の顔色見ればそのあたり予想つくんじゃないかな、千鶴ちゃん。
金曜日には待てど暮らせど彼は連絡をくれなかった。いよいよ焦燥の限界を超えた土曜日の朝、何度も心を奮い立たせてやっとかけた電話に出た彼は、不自然なほどに平静な声ではあったけれどやっぱりそこには僅かな逡巡があるように感じた。

『すまん、今日は仕事だ』
「あ、そ、そうなんだ。それならいいの」
『……明日なら』
「うっ、ううん、いいんです。明日は私も少し予定があって」
『予定?』
「忙しいところほんとにごめんなさい。お仕事頑張って」

最後に一息に言ってしまってからぽちと電話を切り、その時私の眼からぽろりと涙がこぼれてしまった部分は割愛したけれど、事の経緯を話せば千鶴ちゃんも神妙な顔をした。

「それならクリスマスに仲直り作戦ですよ」
「クリスマスって言ったって……」
「前に言ってたじゃないですか。斎藤さんの欲しいプレゼントはなまえさん自身なんですよね?ここはセクシーなサンタコスでもして自分にリボンかけちゃって贈り物ですって迫るとか!」
「そんなこと出来ないよ……」
「でも明日の祝日はお家に来る約束なんですよね。その時に思い切って甘えてみるとかどうですか?」
「この分だと来てくれるかもわかんないもの」

千鶴ちゃんなりに心配してくれてるのはわかる。だけど私はもう何もかもが悪い方にしか考えられなくなってしまっていた。
だってこの間のタクシーのことを思い出してみても。
斎藤さんはもう私に触れることさえ嫌になってしまったのかもしれない。
だって本当にあんなこと初めてだったの。
鼻の奥がツンと痛い気がした。
これ以上喋ってると何だかまた泣いちゃいそうだい。やだ、そんなみっともないこと、会社でしてたまるかーっ!
ぐっと口を噤んだ私を悲しそうに見ていた千鶴ちゃんが「サンタコス……、」と小さく呟いたけれど、もう答えなかった。
今日も外出先がある。今年一年お世話になったお客様にカレンダーと粗品をお渡ししてご挨拶をしなければいけない。
私の担当先は土方部長程あるわけではないけれど、それでもまだいくつか行くべきところが残っているのだ。気を取り直し営業鞄にツールを詰めて席を立つ。
その時の私はまだ何も知らなかった。
あの日私の前をタクシーで走り去ってから、斎藤さんは斎藤さんで幾度も自分のスマホを手に取っては思い悩んでいたことを。
土曜の朝、通話の切れたスマホを握り締めて唇を噛んでいたことも。
そして私の部屋のクローゼットの中に私の知らない物がそっと隠されていたなんてこと、この時の私には全くわかっていなかったのだ。

I wonder if Santa is coming to see you.



04:until Christmas

prev 17 / 30 next

Loved you all the time