He is an angel. | ナノ
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01 ポールが波に乗る?


仰け反って口をパクパクとさせているなまえの顔つきから見て、俺の事を覚えていないのは明白だ。
落胆の気持ちが襲ってくるが、それは致し方のない事だろう。彼女は呆然とした目で俺を見ているが、それも無理からぬことだ。
俺はこれから彼女に説明をしなければならぬ。
彼女と出会った経緯、そして彼女が忘れ去った俺が何故再びここにいるのか、を。
だが、俺に関しての記憶だけを失くしたなまえには、如何に説明したところで荒唐無稽な話としか受け取れぬであろう。
俺は逡巡した。
天界における絶対的な存在、それは神だ。
俺達天使の任務は、神の命において恋や愛といった浮ついた感情に傷つき苦しむ人間にその愚かさを教え、幻想から目覚めさせて導き救う事だった。
俺は長い事そう信じ続けて職務に邁進してきた。
そんな俺がある日知ってしまった感情。
それは他でもない今目の前にいるこの人間、みょうじなまえに抱いた恋心だった。
俺は当惑した。初めての恋心は甘く苦しく、そして切なく俺の心を責め立てた。抑えようにも抑えられないのが恋というものなのだと初めて思い知る。
それを愚かだと教える立場の己がこのような感情に陥る事は、破滅を意味した。
抗いきれぬ想いに俺は自身の破滅を覚悟で、彼女の元へと走った。無論、天界における法度は俺を見逃しはしなかった。
課せられた処罰は消滅であり、存在はもとより存在していた事実も丸ごと切り取られることになった。結果なまえの記憶の中に僅かでも残っていた筈の俺との時間がすべて消えたのだ。
しばし考え込む俺を前になまえは説明を求めるでもなく、あっさりと驚愕から立ち直ると言った。

「取り敢えず、ビールでも呑みませんか?」
「は?」

どのように説明すべきかと思い巡らす俺にかけられたのんびりした一言は、肩すかしを食らった感覚と、僅かな安堵をもたらした。

あんたは全く変わっておらぬのだな。

好きになった時そのままに明るく屈託なく、そして少しだけ抜けた愛すべき女。
思わず頬を緩めてしまったが、しかし彼女の無警戒な性格は治っておらぬようだと、再び俺の表情が強張る。
相手が俺だからいいようなもののなまえはまさか、誰に対してもこうなのか?

「あんたは誰に対しても……、」
「ねえ。どうします? 飲みますか?」

俺の言葉は遮られた。
少しの困惑と、それでもやはり愛しい女と過ごす時間の心地よさに、ふがいない事だが喜びを禁じ得ない。
暫し考えて、答える。

「……いただこう」
「じゃ、待っててくださいね」

なまえは飛び跳ねるようにソファから立ち上がると、キッチンに向かった。

「すまぬがグラスに注いでくれぬか」
「え?」
「あんたも女子ならグラスに入れるなりして飲め」





私の中に小さな違和感。
ビールを缶のまま飲む事に文句を言う人なんて今までいなかったと思う。
過去にそんな事を言われた記憶はない。
つい、さっきその考えが胸を過ぎったばかり。
次の瞬間にはすぐに忘れてしまったその考えが今この天使、もといはじめさんの口から発せられた事に驚いた。
その一言は何故かひどく懐かしさを伴って私の胸にきた。
いきなり現れた(それも窓から!)知らない男性を相手に、独り暮らしのこの部屋でビールを呑もうと言う私は少しおかしいと思う。
いくら、イケメンだからって、私はそんなに軽い女ではなかった筈。(多分きっと、いや間違いなく、断じて!)
そもそも天使ってなんだ。
それでも何故なのか、彼は安心していい人だと、心のどこかの別の私が私に告げる。
グラスを渡し冷えたビールを注ぐと、はじめさんはグッと半分程開けた。

「おっ? いける口ですね」
「あ、ああ」

難しい事を考え始めた私の頭がはじめさんの豪快な呑みっぷりに、また豆腐のようにふにゃりとしたものに戻る。
豆腐と言えば。

「あ、冷奴食べますか?」
「冷奴……、」

ぬるくなりかけたビールをグラスに入れて一口呑んだ私は、顔をしかめながらまたキッチンへと立った。
彼が黙ってついてくる。

「豆腐にマヨネーズと醤油をかけるのがマイブームなんです」

冷蔵庫からイケメンズ豆腐店の波乗りポールを出し(今気に入っているメーカーの商品なのである)ペロッとパッケージを剥がして小皿につるっと入れる。
独りだったらパックのままスプーンで掬って食べたいところだけど、そこはホラ、食事のしつらえにこだわりのあるはじめさんがいるから。
……ん? なんで私、はじめさんがそんな事にこだわるって思ったんだろう?
一瞬首を捻って眉間にしわが寄りまた思考の迷路に入り込みそうな私の目の前で、彼は私よりももっと難しい顔をして小皿に入れられた豆腐を見つめている。

「こ、これは豆腐なのか?」
「そうですよ」
「豆腐とは本来、きっちりとした狂いのない立方体をしていて……」
「これはサーフボード型なんですよ。波乗りポールだけに」
「サ、サーフ……」

彼が絶句している。
再度冷蔵庫を開けて取り出したマヨネーズの蓋を取り、二つの小皿うちの一つにニュルルーっとかければ
「ま、待て」とはじめさんがひどく慌てる。

「なんですか、さっきから」
「冷奴には醤油だけでいいだろう? それに、葱……」
「あ、すみません。葱ありません。マヨネーズと醤油をかけると美味しいんですよ?」
「……俺には全く理解不能ではあるが、人の趣味嗜好とは様々である事は解っているつもりだ。あんたがそれでいいと言うのならば、それでいいのだろう。だが俺は断じて冷奴には醤油だけを……」

ブツブツ言いながらまだ両手で持った小皿の中身をひどく不審げに見つめているはじめさんをキッチンに残し、私は引き出しから割り箸を二膳取り出すと、さっさとリビングのテーブルに戻った。

「何してるんですか? 早く座りましょうよ」

小皿からまだ目を離せずにゆっくりとテーブルに歩いてくるはじめさんを見ていると、つい笑いが漏れてしまう。
イケメンって困惑顔も可愛いんだ。
転がるビールの缶はどんどん増えていき、はじめさんも幾分寛いだ顔になって来た。
初めのうちは葱なし醤油を難しい顔でモソモソと口にしていたはじめさんも、波乗りポールの舌触りはお気に召したようだ。
これは本来しっかりと大豆の味がして美味しい豆腐なのだ。
それならばと私は自分の小皿をはじめさんに差し出す。

「だまされたと思って一口食べてみてください」
「俺はだまされたくはない」
「そんなの言葉のアヤですよ。本当に美味しいから、ね、一口だけ」

嫌がる彼に冷奴のマヨネーズ醤油バージョンを押しつける。
はじめさんがゆっくりと小皿の中身から私の顔に視線を移す。
私は真剣な顔で彼を見据えている。
やがて根負けした彼は恐る恐るといった手つきで、左手に持った箸でマヨネーズと醤油のたっぷりとついた豆腐の一片を器用につまみ上げた。
口に運ばれていくのを私はじっと見つめた。

「…………」
「……どうですか?」
「うん……」
「うんじゃわかりませんよ」
「……悪くは……ないかも、知れぬ、」
「ねっ、そうでしょう?」





手を叩かんばかりに喜ぶなまえの、まるで太陽に向かって咲く向日葵のような笑顔に暫し見とれてしまう。
これだ。
俺はこの笑顔に魅かれたのだ。
彼女の好むマヨネーズのかかった豆腐は、正直を言えば俺の好みではなかった。
だが、この笑顔を見られるのならば、波乗りポールであろうがマヨネーズかけ豆腐であろうが、いくらでも食べてやろうとさえ思った。
今宵ここに来る前から、彼女に説明をしなければと気負っていた心が、この笑顔を見て緩んでいく。
何も急ぐ事はないかもしれない。
受け入れられたかと言えばそうではなく、俺は現在彼女の前で非常に微妙な立場にある。
不審者と言われても致し方ない。
しかし少なくとも拒絶されたわけではないようだ。
相変わらずの警戒心のなさは気にかかるが、それはこれから俺が追い追い矯正していってやればよい。
いつもの任務の時のように人間界に潜入して自然な形で近づくという手順を踏まなかったのは、一種のショック療法を狙って、敢えて以前出会ったときと同じシチュエーションを作ってみたつもりだが、彼女はどう感じた事か。
ビールで顔を赤くして笑っているなまえはどうやら何も感じていないようだ。
俺の顔に無意識に苦笑が浮かんだ。

「はじめさん、何笑っているんですか? あ、ポールおかわりします? マヨネーズ醤油で」

先程目にした波乗りポールとやらのパックの中は三つに仕切られていて、豆腐が一つ残っていた。

「いや、もう沢山だ」

これ以上あれを食べさせられては適わぬ、いくらでも食べてやろうと思ったのは、それこそ言葉のアヤというものだ。
慌ててその親切を辞退する。

「それなら私、食べようかな」

俺はまた立ちあがった彼女の華奢な背中を眺めながら、説明は後回しにして今はこの時間を楽しもうと、そう思った。


This story is to be continued.

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