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暮れ方の紫陽花


巡察の帰途、急に降りだした雨に隊士達を従え足を速めていた斎藤は、目先の軒下になまえの姿を認めた。
青く色づく紫陽花の大きな一株の脇に佇み、止みそうにない灰色の雨空を見上げている。

「所用を思い出した」

そう言って隊士達を伍長の島田に任せて帰らせた。
隊士らが行く手の角をぞろぞろと曲っていったのを確認し、なまえの元へ足早に近づいていった。
草鞋が雨を跳ね上げる音に気づいた彼女がこちらを向く。

「雨宿りか?」
「降られてしまって……」

微笑むなまえは綺麗だった。
以前巡察中に浪士に絡まれている彼女を助けた事があった。
別の日に馴染みの刀剣商に寄ったところ天の配剤だったのか、彼女が隣の春日屋と暖簾を下げた小間物屋の娘だということが解かった。再び会えた彼女に心が高鳴る。
それ以来、なまえの事が日に日に気になり始め、いつしか巡察の帰り刀剣商に寄る口実で、なまえの店にもさりげなく立ち寄るようになっていた。


軒下に並んで降りしきる雨を眺めながら横目でなまえに視線をやる。
鮮やかな青色の紫陽花に引き立てられたなまえの姿は美しく、結い髪から幾筋かほつれた後れ毛が雨に濡れ首筋に張り付いているのが目に眩しかった。
隊服を頭に被せてやって家まで送ろうかとも考えたが、暫くこのままでいたい、斎藤は心密かにこの時間を楽しんだ。
小半時もそうしていたが、雨にけぶる紫陽花の影でいつか二人の影が一つに重なった。


「一君、今日も出かけるのかよ。ここんとこ非番の日、いっつもどこ行ってんだよ」

九つ半、昼餉を済ませ玄関を出ようとすると、平助が声を掛けてきた。

「どこでもいいだろう。用がないのなら行くぞ」
「待ってくれよ。千鶴がさあ……」

雪村千鶴は事情があって新選組預かりとなっている娘である。

「雪村がどうした」

千鶴は独りでの外出を認められていない為、用がある時は隊士の誰かが付き添ってやらねばならない。平助の背後から千鶴が遠慮がちに頭を下げている。

「小間物屋に行きてえらしいんだ。でも今日は皆出払っちまってるし、俺は土方さんに使い頼まれててさ」
「今日でなければいけないのか?」
「一君。女子にはさ、俺達男には解らなくても、必要な物ってのがあるんだよ」
「そうか、」

あれからなまえと非番に約束して会うようになっていた。
一度だけ彼女の細い身体を抱き締めたことがある、ただそれだけの淡い関係だったが、川面を散策したり古びた寺の境内で話したりといった他愛もない時間をなまえと二人で過ごす事が、斎藤にとっては日頃の疲れが癒される、この上なく大切な時間になっていた。
しかし千鶴の面倒をみる事は、隊務の一環でもあった。
ちょうどよいことになまえの家は小間物屋であると思い至り、千鶴を伴いいつも彼女と待ち合わせる寺へと向かった。
斎藤と並んで歩く事に千鶴の心は浮き立っていた。

「ありがとうございます。でも斎藤さん、何かご予定があったのでは……、」
「いや、気にするな」

千鶴が新選組に身を寄せてから半年程になる。
京の町で人斬りと恐れられ壬生浪の巣窟と言われたこの屯所で、早い時期から気を使い優しくしてくれたのは平助や永倉や原田だった。
斎藤は端整な容貌をしていたがいつも無表情で口数が少なく、最初は少し怖い人だと思った。
しかし共に生活をするうちに、感情を露わにすることが苦手なだけで心根は優しい人だと言う事が解ってきた。
騒がしい平助達をいつも窘めたり叱ったりはしているが目には優しさが含まれていたし、巡察に同行する時もそれとなく気を使ってくれる。
特にここ最近は表情が柔らかくなったような気がする。
秘かに憧れていた気持ちが恋心に変わりつつあったのだ。
以前原田がよく出かけるようになった斎藤に、冗談交じりに聞いていたのを思い出す。

「最近よく出歩いているが、女でも出来たんじゃねえか?」
「あんたには関係ない」

斎藤はいつもの無表情で淡々と答えていたが、その声音は恋をしているというそれでもなく、まさか斎藤さんがと思う。
よしんばもし恋仲の人がいたのだとしても、いつも傍に居られるのは自分の方だと千鶴は高を括っていた。
斎藤が迷いのない足取りでいつもの寺の門を潜ると、先に来ていたなまえが顔を輝かせて駆け寄って来た。

「斎藤さん」
「ああ、遅れてすまない」

なまえが斎藤の肩の向こうに小さく佇む姿に眼を止める。

「あの?」
「ああ、屯所で預かっている娘で小間物屋に用があるらしい。なまえの店に連れて行ってもいいだろうか」
「……雪村、千鶴と申します」
「千鶴ちゃんね。私はみょうじなまえです。喜んでお連れします」

おずおずと名乗る千鶴になまえが明るく微笑んだので斎藤は内心ほっとした。
彼女の家の方向へ向かい歩きながら、千鶴は先程まで浮き立っていた気持ちが急速に萎んでいった。
千鶴を挟む形で三人で連れだっていたのだが、斎藤の目線が度々自分の頭上を越えてなまえに注がれる。
ちらりと見上げればそれは常日頃見た事のない様な温かな眼差しで、なまえに対しての並ならない想いを感じさせた。
今なまえを前にする斎藤はいつも屯所で目にする彼とは別人のようだ。
苦い嫉妬の感情が身の裡から俄かに生れて来る。


春日屋につくと店内には巾着や簪、櫛、手鏡を初め、白粉や紅など女子の好む可愛らしい小物が所狭しと並べてあった。
本来ならば嬌声を上げて見入ってしまうような品々である。
だが千鶴の目は上滑りしていった。

「なかなか綺麗だな」

斎藤が色とりどりの組紐を見ている。
髪に結んだり女子であれば羽織や巾着の紐にしたり使い勝手の良さそうな様々の太さや色が揃っていた。

「父が職人をしているので私も好きでよく手伝わせてもらうのですが、あ、これ」

斎藤が目を止めた中の一つをなまえが細い指先で取り上げる。

「私が作ったんです。下げ緒にいかがですか?」
「ああ。これはいいな」

手渡されたそれをしげしげと見つめ斎藤が微笑む。
下げ緒には身分により身につけられる色が慣習化されており、美しい緋色は将軍や大名、紫や御納戸色も一定の石高以上の武士だけに許された。
一般武士である斎藤は黒いものしか身に付けられない。
それを知っているのか勧められた組紐は、一見黒にしか見えないがよく見れば銀糸を組み込んだ洒落た黒色だった。

「貰っていこう」

金子を取り出す斎藤を押しとどめ、なまえが贈り物です、と言う。

「しかし、」

戸惑いながら尚も支払おうとする斎藤の金子を受け取らずに、彼女は所在なく佇む千鶴にも笑顔を向けた。

「お友達になれた記念に贈りますから、千鶴ちゃんも好きなものを選んでくださいね」

千鶴は固い笑みを頬に張り付けていたが小さな簪を選んだ。

「みょうじさん、ありがとうございました」

千鶴は唇を噛み締めて頭を下げる。
優しく微笑むなまえの顔をまともに見られなかった。

「ありがとう。大切にする」

聞いた事のない優しい声音にまた盗み見れば、斎藤の笑顔は愛情に溢れて見えた。
そのすぐ後になまえに小さく耳打ちした言葉もはっきりと耳が捉えた。

「雪村を送り届けねばならぬ。後ほどまた、寺へ行く」
「はい。待っています」


本当は小間物屋に用などなかった。
いつも屯所では男のなりをしているのだ。櫛だの簪だの紅だのは当面必要もない。それでもわざわざ小間物屋に行きたがったのは、今日斎藤が非番で他の幹部に所用があるのを知っていた為だった。
屯所に千鶴を送り届けた斎藤が再び玄関を出ようとする。

「……斎藤さん」
「どうした」
「すみません、お腹が痛くて……」
「腹が?」

千鶴が苦しそうに上がり框に膝をつき崩れるように倒れた。
行かないで欲しい、このまま自分といて欲しい、切実な想いが千鶴に嘘をつかせる。
先程の綺麗な人が目の裏に浮かぶ。
彼女は身綺麗な女性の姿をしていた。
いつも斎藤さんの食事を用意したりお洗濯物のお世話をしているのは私なのに。


斎藤は困惑した顔で千鶴を見ている。
きっと今頃なまえは境内で待っている、自分も早く行って彼女に会いたい。
しかし、目の前に頼りなくくずおれたこの娘を放っていく事は人として、してはならない気がした。
逡巡の末、斎藤は千鶴を玄関から程近い部屋に運び、布団を延べて寝かせてやった。
少し横になればよくなるだろう、その間に誰かが戻ったら千鶴を頼み急いでなまえのところへ向かおう。
千鶴が彼を引き留めている事を知らない斎藤は、じりじりと焦る気持ちを抑えて千鶴の枕元に付き添っていた。
千鶴は千鶴で斎藤の優しさに付け込んでいる自分を浅ましく思いながらも、嫉妬によって更に募る斎藤への気持ちを抑える事が出来なかった。
切なさから涙が溢れて来る。

「どうした。それ程に痛むのか?」

千鶴は涙を零したまま首を振る。八つ半を過ぎようと言うのに、誰も屯所に戻っては来なかった。


なまえがいつまでも現れない斎藤を待ってそろそろ一刻になろうとしていた。

「どうしたんだろう……、」

千鶴ちゃんを送り届けたらまたここへ来ると彼は言ったが、何かあったのだろうか、と不安が過る。
寂れた境内の階に腰かけて美しく咲く紫陽花の花にそっと触れる。
昨夜の雨の雫を残す小さな可憐な花の集まりに触れながら、あの雨の日の彼との思い出が甦る。
それは大切な宝物ようにいつも心にしまってあった。
恋仲という言葉が頭に浮かび、独りで頬を染めてしまう。
両親は斎藤との淡い交際に目を瞑ってはいるが、まさか彼が新選組の幹部だとは知っていない。
新選組は町で評判がよくなく、それを知っている彼女は今まで屯所に近付いた事はなかった。
待てど暮らせど斎藤は姿を見せないが、誰かに様子を聞いてきてもらう事も出来ない。
彼と会う度にその優しさや誠実さが身に沁みて解ってくる。
そうして彼女は斎藤をどんどん好きになっていく自分に気付いている。
きっと何か事情があるのだろうと思った。
寺を出たなまえの足は知らず知らずに屯所の方角へと向かっていく。
場所は知っている。それ程遠い距離ではない。



「腹はどうだ」

千鶴は首を振り泣き続ける。

「医者を呼んだ方が」

千鶴が再び強く首を振る。止め処なく涙が零れる。
開け放たれた縁側から外を見やると、日暮れの遅い初夏の陽も勢いを無くし始めている。
心を締めつける焦燥感に耐え切れず、斎藤の口から苛立った声が漏れた。

「何故泣くのだ。もう痛まぬのなら、俺は行ってもよいか」

常なら斎藤はこんな物言いをしない。彼が苛立っているのはあの人を待たせているから。
嘘をついて彼を引き留めている事の後ろめたさと、それでも抑えきれない想いで千鶴の心の中は混沌としてきた。説明出来ない気持ちが涙となって溢れ出て来るのだ。

「い、行かないで、ください」

ふいに千鶴が床の上に起き上がると、斎藤の胸に縋りついた。
斎藤が驚愕に固まる。

「私……っ、斎藤さんの事を……」

腕をだらりと下げたまま自分の胸に顔を埋めて泣きじゃくる千鶴を、呆然と成す術もなく見下ろしていた。理解に頭が追いつかなかったのだ。
その時、かさっと背後で微かな音がした。
咄嗟に振り返る。
斎藤の目に映ったのは、目を見開いたなまえの姿だった。
何故ここに彼女がいるのか、信じられぬ思いで見つめる。
斎藤と視線を絡めたまま彼女が後ずさった。

「なまえ、」

次の瞬間彼女が踵を返し駆け出した。
はっとして斎藤は千鶴の身体を離し縁側から飛び降りると、庭を突っ切りなまえの後を追って門を走り抜けた。

「待て、なまえっ」

追いついて腕を掴んだ。

「待ってくれ、」

背後から捉まえるが、息を上げたなまえは答えずに彼の腕を逃れようとする。
抗う細い身体を強く抱き締めても、彼女の抵抗は止まない。
実際に斎藤自身なんと説明してよいか解らない。
心ならずではあるが約束の場所へ行けず、千鶴に縋りつかれる姿を見られたのだ。
人の視線を感じた。
彼はなまえの手を強引に引き家と家の狭い隙間に入り込む。
それでも誤解を解きたい。自分の気持ちを伝えたい。
向きあって肩を掴みなまえの瞳を見つめる。

「なまえ、俺は」
「ごめんなさい。のこのことこんな所まで来てしまって」

なまえが乾いた瞳で斎藤を見上げた。

「何を言って、」
「私、少し自惚れていたみたい。斎藤さんと千鶴ちゃん、そうだったんです……ね、」
「違う、俺は」

なまえは斎藤の言葉を聞かず、ふいに彼の手を振り払ってまた走り出した。

「なまえっ」
「来ないで!」

強い拒絶の言葉に、後を追おうとした斎藤の足が止まる。
想いを言葉にする事の苦手な斎藤は、彼女に何をどう伝えたらいいのか解らずに、その場に佇んでいた。
彼はその時初めて、自分が履き物も履いておらず、足袋のままだった事に気づいた。


溢れる涙を拭う事もせずに、なまえはただ闇雲に走っていた。
綺麗な着物に女らしく髪を結った姿で走る彼女を、道行く人が奇異な目でじろじろ見ていたが、そんなことはどうでもよかった。
斎藤が伴って来た千鶴ちゃんに、彼の恋仲気取りで簪を贈ったりして恥ずかしい。
非番の日にただ何となく一緒にいて、他愛なく過ごす事がとても幸せに思えたけれど、好きだと言われたわけではなかった。
いつしか辺りが薄く暮れ始めているが、こんな顔で家に戻ったら両親に心配されてしまう。
迷う足は気がつけばあの寺へと向かっていた。
先程あんなに綺麗に見えた紫陽花の色も翳って見える。
どうしたらいいのだろう…、途方に暮れて境内の階に歩み寄って行った時。

「なまえ」

紫陽花の陰から斎藤が現れた。


斎藤にはこの場所しか思いつかなかった。
あの後一度屯所の玄関に取って返し、足袋を履き替える事もせず雪駄を引っかけて再び往来に出た。
春日屋へ行ってみたがなまえは戻っていなかった。
そして思いついたのがここだった。
彼女が来るまで、いや、来なくともここで待とうと思った。
身も心も疲れ切ったなまえはその場から動けずに呆然と斎藤を見ている。
突き上げる想いに急かされて求めるように手を伸ばし、斎藤はなまえを強く抱き締めた。
身体を固くしたなまえだったが、もう逃れる力が残っていなかった。
その耳に斎藤の切ない声が囁きかける。

「お前を、好いている、」
「…………、」
「どのように話したら解ってもらえるのか、わからぬ。だがお前を好いている」
「…………、」
「初めて会った日から、ずっと」

言葉を紡ぐごとに想いが溢れてなまえに回した腕に力がこもる。

「信じてくれとは言わぬ。だが俺は真実、なまえだけが好きだ」

首元に顔を埋め絞り出すように囁くその掠れた声に、嘘は感じられなかった。

「ほんと……に……?」

乾きかけたなまえの頬を新しい涙が伝う。

「本当だ」

彼女もまた切ない想いに胸を塞がれながら、細い腕を彼の背中に回した。
いよいよ暮れ始める薄闇の中、やっと確かに心を通わせた恋人たちを、紫陽花が優しく見守っていた。





2013.06.07


▼伊織様

この度は三万打企画への参加ありがとうございました。お待たせいたしました。
千鶴ちゃんの横恋慕と言う事でこのようになりましたが、千鶴ちゃんが嫉妬する役割になってしまいました。
恋心というのは時としてこんな風に切なく歪んでしまう事もあるのではと。
それが恋と言うものではないかと…(←遠い目)千鶴ちゃんのその後を書いていませんが、彼女本来いい子ですから!立ち直って斎藤さん達を祝福出来るようになってくれるといいな。←無責任。
このお話の設定は新選組が、天下にその名を轟かせる池田屋事件の起こる少し前辺りを想定しています。
ヒロインさんを敢えて屯所住まいにさせなかったのは、そのような設定のお話をどちらかのサイト様でお見かけしたことがあるからなのですが、その為前半から説明に字数を費やし、非常に長くなってしまいました。
簡潔に纏める事が苦手で毎回打ちひしがれます。ダラダラ長くて読むのが大変かと思いますが、相変わらずの力量不足で申し訳ありません。
でもヒロインさんを追いかける斎藤さん。正直ワンパターンの感は否めませんが、やはり好きです(笑)
伊織様、素敵なリクエストありがとうございました。

aoi




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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