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05


誰だ? 大晦日のこのような時分にインターフォンを鳴らす奴は。
緋紗子ではないだろうかと思ったが義兄の実家にいる筈であり、無論旅行中の両親である筈もない。新聞の勧誘の類ならばやり過ごしてしまいたい。何しろ今から俺はなまえと風呂に入ろうとしているのだ。
なまえにもまるで心当たりがなさそうだ。余韻のせいで表情はまだどこかしどけなく、着衣を直したと言ってもこれからまた脱がせるのだからと、完全に整え切れていない彼女の姿には行為後の乱れがありありと見て取れる。
逡巡しているうちにインターフォンがもう一度鳴った。なまえを見つめ「大丈夫だ」というように一度頷いてみせ、俺は意を決して応答した。果たして小さなモニターに映し出されたのは想像もしない人物だった。画面の顔を凝視する俺は緊張する。
『斎藤……』
「……土方……室長?」
『寛いでるところ、すまねえ』
「いいえ、何かトラブルでも起こりましたか?」
すぐに念頭に浮かぶのはそれだ。
『聞きてえことがあってな』
電話で済ませられないレベルの案件だろうかと、頭が仕事のモードに素早く切り替わる。誰であろうがすぐに追い返してやろうと考えていたが、室長に足を運ばせておいて門前払いというわけにもいくまい。エントランスのロックを解除しながら再びなまえを顧みれば、彼女は察したように身だしなみを整える為寝室へと入っていった。
そうして5分も経たぬうちに。
「どういう……ことだ、これは」
狐につままれるという言葉があるが、今まさに俺はその狐とやらにつままれている気分だ。土方室長が仕事の件で訪ねてきたのかと思えば、妙なラインナップが雁首を揃えて我が家の玄関先に並んでいる。
「これが斎藤さんの家か。流石にきちんとしてるんだな」
開け放ったドアの向こうに井吹がいる。赤い顔をして玄関内を覗き込もうとしている。その後ろの困った顔は大鳥で、更に後ろで俯き加減に横を向いているのが土方室長だ。
「実は三人で少し飲んでたんだが」大鳥は言った。
「井吹君が斎藤君の奥さんに謝りたいと言い出してね」
「謝る、何を?」
「昨日の来訪者について変な誤解をしたことを、かな。それは一先ず止めて彼も納得したんだが、今度は土方さんがね」
「すまねえ……斎藤、せっかくのオフに」
室長はどうしたというのだろうか。せっかくのオフとわかっていながら何故来たのだ。
見れば彼の横顔もどことなく赤い。土方さんは昔はそう嗜まなかったと記憶しているが、今夜は酒を飲んだのだろうか。まだ早い時間だがもう酩酊しているのか?
「あの、良ければ上がっていただいたら?」
玄関で立ち尽くしどう対処すべきか迷う俺に、奥から出てきたなまえが控えめに声をかけてくる。すると俺の肩越しに井吹が伸び上がるようにし、背後のなまえを覗き見て大声を出した。
「あんたが斎藤さんの奥さんか? やっぱり綺麗なんだな。ロビーで見たあの美人より、あんたの方が断然斎藤さんに似合ってる。昨日は悪かった」
「何をわけのわからんことを言っている、井吹。それでつまり、あんた達がここへ来た理由は仕事とは関係ないのだな?」
「うん申し訳ない。さあ井吹君、気が済んだならもう帰ろう。僕らは明日も仕事だ」
「足を運ばせておいてすまないが」
「ああ、わかってる。土方室長も斎藤君に火急の用件じゃなければ年明けに会社で……」
俺の言葉を引き取ったのはこの中では一番まともそうな大鳥で、土方室長は不貞腐れたようにどこか投げやりに「ああ……」と足先を返しかけた。
しかし。
「いいえ、上がってください!」
それは鶴の一声とでも言うのだろうか。
なんとか事態に収集をつけようと努力する大鳥を、常には聞いたことのない声で遮ったのはなまえだった。
大鳥は目を瞠り土方室長も顔をあげる。俺でさえここまで意思を強く持ったなまえの発言する姿を初めて見た気がする。振り返ったまま言葉もない俺をじっと見てから、なまえがこの闖入者達に対して続けた。
「今年聞きたいと思ったことは今年のうちに聞いておくべきです」
某家庭用洗剤メーカーの宣伝文句のような台詞を放ち、茫然とする俺の傍らでてきぱきと人数分のスリッパを出し「どうぞ」と言い残すと、なまえは先に立ってさっさとリビングに入ってゆく。
共に入るはずの風呂は。二人きりで過ごす大晦日の夜はどうなる。
だが反論など口に出す前からシャットアウトされ、あまりにもきっぱりとした態度のなまえは俺の視線の訴えを無視した。
ほんのひと時の沈黙の後「そうか? じゃ、お邪魔する」周囲の空気を意に介していないのか、満面の笑みで早速靴を脱ぎだしたのは井吹だった。
それからの流れは不本意に過ぎた。全く歓迎する気になれぬ男達を前に、俺は妻なまえを取り敢えず紹介し彼らもそれぞれに名を名乗る。これは一体なんの悪夢なのだろうか。先ほどまでの二人きりの時間はどこへ行ったのか。いつ戻るのか。もう戻らないのか。
なまえは気を利かせて接待の用意を始めた。井吹はもの珍しげにきょろきょろと人の家の中を眺めまわし、キッチンに入るなまえに「俺も手伝うよ」と屈託なく言いながらついてゆく。
「助かります。お願いします」
「湯豆腐か、美味そうだな。何も食べてなかったから腹が減ってるんだ」
「私達が食事を始める前でよかったです」
「テーブルにこの土鍋運んでいいか」
「あ、井吹さん、すみません。先にグラスを人数分出してもらえます?」
「ああ、わかった」
「そこの棚の」
「任せてくれ」
なまえは包丁とまな板を使い、にこやかに鱈の切り身やら野菜やら茸やら絹ごし豆腐やら、そういった鍋の具材を大皿に盛りつけている。井吹は彼女を手伝いつつ、慣れた手つきで食器棚を開けた。
「あ、大鳥さん、カセットコンロのガスはこっちです。ビールは出した分、下の箱から冷蔵庫に足しておいてくださいね」
「オーケー。水入らずのところなんだか悪いね」
「いいえ、全然」
大鳥までがすっかり馴染んだ様子で、テーブルにコンロを設置し楽しげに宴の用意を始めている。
何なのだ、あいつらは。初対面だと思ったが既に長年の友人のようになまえと打ち解けている。せめてこれだけは死守しようと俺は緋色の重箱を玄関脇の部屋に避難させた。
土方室長はと言えば周りのはしゃぎぶりとは一人無縁にソファの端に肩を落とし座っていた。いつにない姿である。この人は一体どうしたのだろうか。ソファの反対側に掛け彼の横顔を見つめるが一向に何も言わない。俺の口からは諦めの深いため息が出る。
「先ほど、聞きたいことがあると言っていましたが」
「ああ、……いや、年明けでいい」
「それを聞くためにわざわざ来たのでは?」
「そうだが、」
仕事の時とは打って変わって別人のような室長は、俺に何を聞きたいのだろうか。こうなればもうそれを聞き出しきっちり答えるより他はない。そうして可及的速やかに用件を済ませ、出来るならばなるべく早めに三人揃ってお引取り願いたい。
俺は土方室長の口元を見守ったまま彼の言葉を待つ。そこに明るい声がかかる。
「斎藤君、君はビールだよね。土方さんは?」
見やれば大鳥が冷蔵庫の前でにこにことしていた。
大鳥、あんたは一体ここを誰の家だと思っている。あんただけはまともだと思っていたが先刻の常識的な態度はどこへ行ったのだ。ここは俺がなまえと夫婦として暮らす家である。何故己の家で俺があんたに飲み物を提供されねばならぬ。
まるで腑に落ちないこの状況にムッとしかけるも、今はそういうことでむきになっている場合ではあるまいとすんでのところで堪え「土方室長、何を飲みます」と隣に問うた。彼が「烏龍茶」と応えるのに、居酒屋よろしく目の前に烏龍茶とビールの入ったグラスが運ばれてきて、それは大鳥の手で目の前のリビングテーブルに恭しく置かれた。
戻っていく大鳥を振り返れば、ダイニングテーブルを囲んでいるのはなまえと井吹。そこは唐突に始まった不可解な鍋パーティーの様相だ。
「斎藤さん、先に食わせてもらう」
「…………」
俺がなまえと二人で囲むはずだった鍋に既に箸を突っ込んでいる井吹の楽しげな声が非情に忌々しい。あんたが得意げに座っているそこはなまえの夫、つまり俺の席だ。
土方室長を気にしつつも、そちらから目が離せなくなる。
「斎藤、お前……」
「はい」
「ロビーで……何、話してやがった」
ぐつぐつと卓の上で煮立つ土鍋が美味そうな出汁の香りを漂わせている。野菜や魚を菜箸で入れながら、横目で俺を見返すなまえの瞳は、しかしまるで笑っていないようだった。表情は微笑んでいるのだがどうも不機嫌そうにも見える。俺は目を見開く。何故なまえは気分を害しているのだろうか。
大鳥や井吹にはわからぬだろうが俺は彼女の夫であり長い付き合い故本能的にわかる。彼女は明らかに機嫌が良くない。目が離せぬまま見つめていたが、なまえがふいと冷たく俺の視線を外した。
何故だ。彼女の不愉快の対象は、まさか俺なのか。俺は何かなまえの気に障ることをしただろうか。何故なのかわからない。心当たりがない。
玄関先でのやり取りの時、大鳥に任せておけばまもなくこの者らは揃って退散したはずだ。そういう気配になりかけていた。この状況になったのはなまえ自らの発した言葉が原因ではなかったか?
だがなまえは一般的に見て常識的な女だ。彼女の立場になれば俺の同僚を無下に追い返すことなどとても出来なかったのだろう。非が俺にあると言われれば、ではどのような対策を講じればこのような事態にならずに済んだのかなど、それはいくら考えてもわからぬ。言うなればこれは回避不可能なテロみたいなものだろう?
「菊月から、何を渡されてたんだ」
「は?」
思いがけない人名がその唇に上るにいたり、俺の注意が咄嗟に土方室長に戻る。何故菊月のことを室長に訊ねられているのか、刹那そちらの理解が追いつかず彼の顔をまじまじと見返す。
ああ、大学のサークルでは一緒だったのだから彼らは面識がある。ならば土方さんが菊月の名を口にしてもそう不思議なことでもないかもしれぬが、いや、だがしかし。
それが今日のこの日にわざわざこうして俺の自宅に赴いてきてまで聞きたい事だったのだろうか。俺は己の顔に浮かぶ怪訝な表情を隠すことが出来なかった。
この時点で俺はあの出来事を土方室長だけでなくなまえまでが見ていたことなど無論知らない。
「菊月がどうかしましたか」
不意に俺の目の前にあったビールのグラスが持ち上がった。伸ばされたのは土方室長の手で彼がグラスを掴んでいる。そうして彼はそれを一息に呷った。
瞠目して見守れば飲み干したグラスを音を立ててテーブルに戻し、彼はどこか思い詰めたような目で俺に向き直った。
「お前ら、ずっと連絡を取り合ってたのか?」
「は?」
なまえだけでなくその場にいる全員の視線が俺に集中した。訊ねられている意味がわからない。だが土方室長の口調は心なしか剣呑だった。これは詰問されているのだろうか。俺は困惑するしかない。
「土方室長はあの時ロビーにいたのですか」
「…………」
あのやり取りは俺の紛失した名刺入れを菊月が拾って届けてくれた、単にそれだけでありそれ以上でも以下でもない。
それを助け舟と呼べるのかはわからぬが、大鳥が我に返ったような声を発した。
「土方さん、やめましょう。ここは斎藤君の家で、彼の奥さんのなまえさんも聞いている」
いやそれはやはり助け舟になどなっていない。むしろ非常に拙い言い方だ。誰にと言えばなまえに対して無用な誤解を呼びそうな言い回しだ。如何な物事に疎い俺でもその程度はわかる。
焦りを覚え、どう言葉をつけ足そうかと思いめぐらせながらなまえの顔を見つめたその時だった。
わが家のインターフォンはあろうことかこの日一度ならず二度までも、その禍々しい音を響き渡らせたのだった。



This story is to be continued.




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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