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02


なまえは楽しそうに話している。友達の話やその恋人の話などを。俺は口を挟まずに聞いていたが、内心この時間に癒やしと安らぎを感じていた。

「……で、その彼が平助君て言って、彼女の千鶴にベタボレなの」

そこで、ふと顔を曇らせた。それが何故なのか俺には解っていた。平助というのがなまえを捨てた男の友人でもあるからだ。
彼女は気を変えるように殊更に明るく言った。

「私、まだ負のオーラが出てるのかな」
「……いや、」

グラスは空になっている。
酒のせいでほんのりと目元を染めた彼女がグラスに指を触れ「まだ呑みますか?」と尋ねる。

「……そうだな」
「シャワー使います?」
「あんたが使った後で……差し支えなければ」
「差し支えなんてないですよ。じゃ私、先にちょっと行ってきちゃいます。呑んでてね」

笑んだなまえは寝室に入って着替えを手にし、ぱたぱたと浴室へ向かう。
昨日は危ぶんでいたので彼女の行動から目を離せずにいたが、今日の様子だと恐らく大丈夫だろう。みょうじなまえは俺の推測よりも強い女だったのかも知れぬ。
失恋ごときでも生を断つ事を選択する人間もいる。
俺はそれを危惧したのだが、彼女に関しては取り越し苦労だったようだ。
いや、だが人間とは弱いものだ。
まだ警戒の必要があるかも知れない。
そっと浴室の気配を伺うと鼻歌が聞こえてくる。
俺は安堵して部屋に戻った。
先ほどまで並んでいたソファーでは昨夜よりも二人の位置が近かった。あと僅かでお互いの身体が触れてしまいそうな程。
なまえは少し無防備過ぎるのではないだろうか。
入れ替わりに借りたシャワーから俺が戻ると、リビングのソファの上で足を抱えたなまえがこちらを見ていた。彼女の小柄な身体には随分大きめな白い薄手のTシャツを身につけている。俺がシャワーを使っている間も少し呑んでいたらしい。
素足が晒されていて目のやり場に困る。
潤んだ目がどことなく煽情的に見えるのは気のせいだろうか。

「着替え持ってたんですね。お貸ししようかと思ったけど」
「ありがたいが、それには及ばない」

なんとなく隣に腰を下ろすのを躊躇っていると、彼女が突然俺の手を引いた。
なんの前触れもなく思いの外強い力で引かれ、なまえの身体は後ろに倒れ俺が覆いかぶさる格好になった。
彼女は彼女で自分自身の行動の結果に驚いた顔をしている。

「ご、ごめんなさい。はじめさんが、なかなか座らないから……」

俺は無言でなまえの顔の横に両手をつき見下ろした。
頬に熱が上る。
下から見上げて来る彼女の顔も赤く染まる。
俺の目を真っ直ぐに見詰めたまま彼女が口を開いた。

「ねえ、天使は恋をしないの?」
「…………」
「天界……っていうの? はじめさんの住んでいるところ」
「…………」
「恋人とか、いた?」
「……そんなものはいない」
「ほんとうに? こんなに素敵なのに?」

なまえの頬に落ちた俺の濡れた髪に彼女が手を触れる。
俺は身体を固くした。

「……あんたは失恋した男とどういう付き合いだったのだ」
「どういうって?」
「つまり、その、夫婦になる約束をしていたのか、ということだ」
「それは……つきあうからには出来ればいいとは思っていたけど、具体的にはまだ」
「好きだったのか」
「それはまあ、好きだったと思うよ」
「人間は何故、人間を好きになる」
「え?」
「何故、失恋したと言って泣く」
「……はじめさんの言っていること、よくわからないんだけど」

なまえが弄んでいた俺の髪から手を離した。

「どんな世の中かわかっているか? 殺伐としたこの社会で恋や愛などただの偶像だ。囚われて傷つくなど愚の骨頂、そうは思わぬか?」
「え?」

彼女の顔が一瞬にして強張り、上にいた俺を押しのけた。

「思いませんよ。愛がなかったらもっと殺伐としてしまうじゃないですか」




はじめさんの口から思いもよらない言葉が出てきて私は衝撃を受けた。
そして、次にとてつもなく悲しい気持ちになった。
心に冷たい風が吹き込んできて、さっきまでのフワフワ幸せな空気が嘘のように吹き飛ぶ。
身体を預けていたソファから身体を起こすと、今押しのけたはじめさんの顔を見る。
その目は何の感情も表してはいなかった。
どうしてそんな事を言い出すの?

「あの……酔ってる?」
「…………」
「偽悪的な天使ってなんか可笑しいよ。はじめさん、酔っちゃったの?」
「俺は酒には酔わない。愛などそんなものは一時的なもので、何かを生み出すどころか囚われれば皆が傷つく。人と人が理解を求め合うなど幻想だ」
「ちょっ、……それが天使の言うセリフなの? 天使って愛を伝えるものじゃないの? なんだか、信じられない」
「天使は人間が傷つくことをよしとしない神の意思を伝えるものだ。下された命に従い任務を遂行する。愛を伝えるのではない。愛という名の偶像を叩き潰す、それが俺達のなすべき務めだ」
「幻滅した」

どうしてそんな事を言うの?
私を……牽制しているつもりなの?




なまえは酷く傷ついた目をした。俺は彼女を直視出来ずに目を逸らす。俺の身体の下から這い出した彼女は失望の色をありありと滲ませ、黙って寝室へ消えていった。

何故彼女にあのような事を言ったか?

天使は神より命令が下されれば人間界に溶け込んで生活をし様々な事柄を探る。それはスパイ活動と似ている。目的は全く異なるが諜報活動、あるいは公安警察官の潜入捜査みたいなものだ。今回はイレギュラーだったためなまえの前にあのような現れ方しか出来なかったのだ。
負の感情を持つ人間を救うのが職務、それは事実だ。だが、俺達は愛を伝える為にいるわけではない。彼女のように愛で傷ついた人間を幻想から目覚めさせる。愛だの恋だのとそんなものは人を傷つけるものだと説く。救うとはそういうことである。それが俺の職務の大義名分だ。
上司である神はそう言った。これまでの俺は俺達の世界の教科書通りにそう信じていた。なまえを知るまではそう固く信じ込んでいた。
だが、今の本心は少し違ったものになっている。
平助の事はよく知っている。何故なら彼は俺の同類だからだ。
俺と平助は同じ地域を受け持っていた。平助は俺より一足早く、なまえの友人の恋人という立場で彼女に接触しており、彼女を救うのは本来平助の仕事だった。そして俺が手を差し伸べろと与えられた対象はみょうじなまえの恋人の方だったのだ。
あの男は女に絡まれていたが、俺の知った事ではないと思った。何故なまえを傷つける男を俺が救わなければならぬ? 誰よりも真面目に任務に就いてきた自負があった故、そういった己の心持ちが俺自身にも最初は信じがたかった。
愈々人間の生活に潜入する前日、替わってくれと言った時の平助は大層驚いた顔をしたが「一君にしては珍しいね」と言いつつ二つ返事で承諾してくれた。何故平助に対象の交換を申し入れたのか、それは単純なことだ。天空からいつも見ていたみょうじなまえに惹かれていたからだ。
愛という偶像を退けるべき天使が人に恋をするなど言語道断である。天界の掟はそれを決して許しはしない。天界にも法度というものがあり、もしもこの想いの成就を願えば課せられる処罰は己の身の消滅だ。そしてなまえの中に僅かにでも残るであろう俺とのささやかな記憶は消えることになる。
何も告げずにこのまま別れればもう二度と会うことはないだろう。だとしたらどちらにしても彼女にとって俺とのことがよい思い出である必要はないと思った。
静かに立ち上がり音をたてずに寝室のドアを開く。
暗闇でも見える俺の目に、人の形に盛り上がったベッドが映る。なまえは頭から布団を被っているようだ。
しばらく見つめるが彼女は身じろぎをしない。
そっと布団を引くと頬に涙の痕を残したまま眠っていた。
触れようとした手を止める。
ベッドを離れ壁に背を凭れさせて腰を下ろした。明日にはここを立ち去るべきだ。彼女はきっと立ち直る、それだけは確かなことと思えた。
夜が明けるまでその位置から一歩も動かずにひたすらベッドの中のなまえを見つめ続けていた。
たった一日なまえと過ごしただけだが、俺の任務はこれで終わる。




窓から入る陽の光の眩しさに目が覚めたとき、はじめさんはいなかった。
時計を見ると、もう昼近く。
昨夜、彼が寝室に入ってきてベッドの傍らに立っていたのに気づいていた。触れようとした手が引っ込められたことも。だけど何も言えずに私は寝たふりをした。
はじめさんが何を考えているのかわからなかったからだ。わかる筈がない。
人間である彼氏の心さえ読めない私だ。天使の彼の事なんてわかる筈がない。
でも、彼が本気であんな事を言ったとは思えなかった。何故だろう? 彼の事なんて何も知らないのに。
彼はもう出て行ってしまったのだろう。
リビングを確かめてもいないのに、それは確信に近かった。
ただ、悲しくて朝の光のなかで私は声を立てずに涙を流していた。
暫くしてのろのろとベッドを這い出る。ふと目に入るドレッサーの上に、綺麗な白い羽が3枚。それを手に取り思わず胸に抱き締めた。締め付けられるような想いに、涙が止まらない。
夜になっても塞いだ気持ちは元に戻らなかった。いつもならつけっぱなしのテレビから流れるアニメの音声を聴きながら、サザエさん症候群に陥っている時間だ。
今夜はテレビなんかつける気になれない。
明日からまた一週間が始まるというのに、頭の中がすごいカオス。
金曜の夜から丸二日、私の身に起こったことはあまりにも非現実的で信じがたいことだけれど、私の手の中の白い羽は彼が確かにここに居たことを示していた。
室内はかなり暗いのに明かりもつけずソファに座っていた。
ずっとはじめさんのことが頭から離れない。




コンコン……

窓ガラスに何かのぶつかる音。

コンコン……

これはノックの音だ。
私は弾かれたように立ち上がる。
レースのカーテン越しに浮かび上がる姿は、間違いない、はじめさんだ。
窓ガラスを開け放つよりも早く、体を滑り込ませたはじめさんの強い腕の中に私は閉じ込められていた。
何も考えられずに彼の背にすがりつくように腕を回す。
腕の強さに彼の想いが伝わってくる。
離れたくない、と思った。
少し顔を離し、両手で私の頬を包んだはじめさんが、私の瞳を覗き込む。
綺麗な蒼い瞳が潤んで揺れていた。

「救うといっておいて、傷つけてすまなかった」
「はじめさん」
「あのまま消えてしまおうと思ったが、最後にもう一度だけ会いたかった」
「最後?」
「もう行かねばならぬ」
「嫌だ、行かないで。はじめさん、行かないで……」

突然はじめさんの唇に塞がれて私の言葉は途切れた。
愛しむように触れられたそれは徐々に深くなり、私は夢中で彼に応える。
この瞬間を待ちわびていたのかも知れない。
私達は切ないほどにお互いを求めあった。

はじめさんが好き。

「なまえは俺を忘れるだろう」
「忘れるってどうして? 私は忘れたりなんて……」

かすかに悲しみを滲ませた瞳で私を見る。
また言葉は塞がれて、背中と膝裏に両手を差し入れたはじめさんに抱き上げられ、そのまま寝室まで運ばれベッドにそっと下ろされた。
ゆっくりとはじめさんが私の上に身体を重ねてくる。
髪を撫で、これ以上ないほどに優しい碧玉色が私を見つめた。

「命と引き換えても構わないほど、なまえを愛している」
「命? それ、どういう……」

そこから先は、もう言葉を発することを許さないとでも言うように、彼の唇が長い間離れることはなく、私は狂おしいまでの彼の愛情を全身で受け止めた。

はじめさんが好き。

最後に私をその白い羽で包み込む。
白く綺麗で温かくて何よりも安心できるその大きな羽に包まれて、彼の胸で私は幸せな眠りに落ちていった。

「なまえ、愛している」

まどろみの中で耳元に彼の囁く声がいつまでも聞こえていた。






いつもの月曜の朝。
何かとてもいい夢を見ていた気がする。
気持ちのよい目覚めに私はベッドを降り、出勤の支度をする。
金曜日に彼氏に振られたけれど、よく考えたら私もそれほど好きなわけじゃなかったし、なんて現金なことを考えながら、コーヒーメーカーをセットする。
ガステーブルの上の鍋が目に入る。
中にはひじきと大豆の煮物が入っていた。
え、これ何、記憶にない……、と時計を見て慌てて、顔を洗い手早く化粧を済ませた。
コーヒーを持ってリビングに行けば、床に白い羽が何枚も落ちている。

何だろう。鳥の羽? すごく綺麗だけど。

見つめていたら少しだけ心がチクリとした。けれど、すぐに我に返る。

やばい、モタモタしてたら遅刻する!

コーヒーをもう一口啜ると私は明るい月曜日の朝の光の中へと歩き出した。


2013.04.29
長編 He is an angel. に続きます




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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