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鏡合わせに問いましょう


書き物の手を止めて審神者がふと吐息を吐いた。夜戦に出た者達も戻りそれぞれが手入れに入って落ち着き、思い思いに騒ぎあっていた小さな短刀たちもぐっすりと寝込み、本丸はゆっくりと静かに更けてゆく。
この時期ともなると夜半は冷える、と白い夜着の上の羽織りものを彼女は片手でかき合わせた。頼りない灯りのもと、覚えを書き留めた帳面の日付をみれば、この月ももう最後の日となっている。
下弦の月が一夜ごとに欠け、ついには無くなってしまった今宵は大潮。暗い夜の中では何故かしら切なさとももの寂しさともつかない感覚にとらわれる。
些細な行事に思い入れがあるわけでもない。殊に現在の自分は審神者としてこの本丸を統べる立場にある。ほんの他愛もないお遊びのことなどこの年になるまで忘れていたほどだ。それなのにこのままこの一日を終えて眠りにつくのが惜しいような、勿体無いような。
戯れの一言をかけたら、あのゆかしい大太刀はどんな顔をしてみせるのだろう。そんなことを考えつつ止めた手元に目をやり、僅かに自嘲めいた笑いをこぼしかけた時。
衣の擦れる音がした。
審神者の心を読み取ったわけではないだろうに襖の外、静まる周り廊下から気配がしてくる。息を詰め黙ってしばらく待つも、あちらも動きを止め声を立てない。
「…………」
「……誰」
聞かなくともわかっているくせに、少しだけ意地悪く背中越しに声をかける。このくらいの刻限になると決まって審神者の為に淹れた茶を運んでくるのが彼の常だった。
「太郎太刀です」
その声音はいつものように控えめで、しかしあたりを憚る様子なのがどういうわけか、今宵に限りいつもより以上に胸を騒がせる。
恐らくそれは太郎太刀の所為などでなく、審神者自身の問題だ。
「どうぞ、入ってください」
音もなく襖が開き、膝をにじらせた黒い直衣の大きな身体が茶を載せた盆をこちらに滑らせる。行燈の灯の届かぬそこで俯き気味の彼の顔色は読めないが、いつに変わらぬ慎ましやかな立ち居振る舞いである。
「中まで、入ってください」
重ねて言えば、太郎太刀は頷いて敷居際に膝をつき、少し考えて後ろ手に襖を閉めた。つと顔を上げても、金色の瞳は静謐でなかなか感情を顕にしない。
「もう少しこちら、」
「はい」
太郎太刀が従順に審神者の言葉に従うと、硯に筆を置き彼女も文机の前を離れた。盆を前にして小首を傾げる。
「お茶はひとつだけ?」
「…………は?」
「太郎さんの分は」
「…………」
珍しいことを言うといわんばかりに、長い睫に縁取られた瞳がかすかに見開かれる。それはそれでまた珍しい表情だと審神者の方でも思う。しかし刹那審神者の上を滑るように見た彼の視線がごく僅か逸らされた。
「太郎さん。ご存知ですか」
「……何を、でしょうか」
「今日がなんの日か」
「…………?」
おもむろに大太刀の眼の前に上を向けた手を差し出す。そんなどこか不躾な態度があまりにも見慣れぬので、太郎太刀はその手を見つめ暫し固まった。
「Trick or Treat」
「主、何を……」
「お菓子をくださいな」
「……お菓子、ですか」
「くださらないなら」
「……なら?」
「私はあなたに悪戯をします」
言うなり審神者はその小さな身体でやにわに太郎太刀を押し倒した。
されるがままに傾いた太郎太刀は危ういところ、背で片肘をつく。そうして自身の身体を支えつつ、弾むように乗り上げてきた審神者をもう一方の腕で抱きとめた。
面食らった顔のまま暫く彼女を見つめていたが、生真面目な瞳にかち合うと床についた肘をおもむろに外し、改めて背中を床にぴたりと着けてその肘を伸ばし、審神者の二の腕のあたりに手を当てる。
掴まれた力が思いの外強く、腰に回された腕の力も強まったのに驚いて、審神者は自身で仕掛けたことながら思わず息を呑む。ほんの戯れのつもりだったが、大太刀を不快にさせてしまっただろうか。
ややあって瞳を細めた太郎太刀が抑えた声を出す。
「悪戯とは、このことですか」
「……え」
ふいに審神者の視界が反転した。次に目に入った天井が、端整な相貌に凌駕され消えた。気づけば畳を背にしているのは自分で、大きな身体ですっぽりと包むように覆いかぶさる大太刀に見下ろされている。
愈々怒らせてしまったのかと審神者が俄に狼狽える。
「だって……太郎さん」
「…………はい」
「あの時以来、」
審神者はそこまで言ったきり黙り込んだ。
かつて一度だけ契りを交わした。あれから随分と長い時が経ったと思う。以来一度として褥を共にしたことのない恋人は、あれはひと時の夢だったのか、それどころか本当に幻だったのではないかと思い病むほどの心許なさばかりを感じさせた。
一方の太郎太刀は、不意のことに思わず彼女を組み敷いてしまいながら、心の中でわずかばかり逡巡していた。先ほどの勢いはどこへやら口を噤み自分の下で小さくなっている審神者が、何を言おうとしているのかをようやく察した彼は、心細げに見上げる彼女の目尻に雫が浮かびかけるのを認めいささか動揺する。震える指先で触れて拭ったが、拭い切れない分がこめかみへと零れ落ちた。

あなたにはわかりませんか。私の心が。

ため息の交じる切ない声が低く押し出される。
「私が主に近づくことは、容易いことではありません」
「…………」
「だがそれは求めていないと同義ではない」
「どういう、意味ですか」
戦いは続き、日ごとに顕現する新たな刀剣は戦力ともなれど、そうなればそれで審神者を慕う者もさらに増え、その上懸案も役目も増えそれを一身に背負っては夜まで休むこともままならず、彼女はいつも華奢な身体を酷使する。
側近く仕えせめてもの癒しとなればと思えども、己の身で何ほどのことが出来るかと言えば、ただ見守りこうして茶を淹れて訪うしか出来ない。だがそうしたところで気の利いた言葉をかけられもしない自分は、女人の喜ぶことなど一つも知らないのだ。
一度きりの交わりですべてを手に入れたなどとは思っておらず、しかしもう一度と求めるには彼女は遠すぎて。

眠れぬ苦しい夜を、煩悩を宥め抑えつけ過ごす幾つもの夜を、やり過ごす苦しさがあなたにはわからないのでしょうか。

「太郎さんには……」
「…………」
「どう言えばわかってもらえるの?」
審神者がふいに太郎の胸を押すようにして上体を起こした。
「もっと、もっと近くそばに居て欲しい、ただそれだけでいい。そう言ったらあなたは余計悩んでしまうのでしょうか」
「……は」
濡れた黒い瞳がじっと太郎太刀を見つめ、ふとその目線を彼の口元に当てたかと思うと細い手が伸びてくる。審神者の腰横あたりに長い腕をつき、両の膝で彼女の下肢を挟んだ格好のまま、瞠目した太郎太刀はなすすべなく審神者の動きを見守る以外にない。
元結から艷やかに垂れ落ちる長い黒髪を梳くように顔横から肩向こうへと流し、直衣の首上をきっちりと閉じていた受緒と掛緒に審神者の細い指が触れる。
「主?」
徐々に急く指が躊躇いなく外し開いた中の単衣の前も割り開き、表れた逞しい胸に手を触れ審神者が頬を寄せた。厚い皮膚を通して早い鼓動を感じる。されるがままの太郎太刀は息を詰めた。
「女の身で求めては、はしたないと思いますか」
「……あるじ、」
「そして求めると同じだけ太郎さんに求めてほしいと言ったら……」
「…………」
「心で思っても何もしなければ伝わりません」
見開いて暫く宙を見たままだった金色の瞳がやがてゆらゆらと揺れ、そしてゆっくりと細まっていった。目を閉じて息を整えるようにすると、己の胸に縋りつく愛おしい人の小さな身体を抱きしめる。
切れ上がった目元がその朱を濃くし、形の良い唇が薄く開き、大きな手は審神者の髪を梳き耳を顕にさせて、頸を折るようにして寄せた唇が熱い吐息の混じる声を零す。審神者の肩が小さく跳ねた。
「では、次は私の番ですね、主」
「……え?」
「お菓子をいただけませんか」
「お、お菓子なら……厨で、」
「なまえから欲しいのです。今、ここで」
「……太郎……さん?」
妖艶な目をした太郎太刀が、背筋のぞくりとするような色を含んだ声で「いただきましょうか」と続けた。
ハロウィンなどという遊びを太郎さんは知っているのかしら。
現世に思うところはないと言い、およそ戯れごとなどに無縁と思われるこの大太刀の、常には見たことのない様子に完全に飲まれた審神者は、立場が逆転したことに気づいて身を強張らせた。と同時に胸がどきどきとときめくのを感じる。




――全文は年齢条件を満たす方のみ Behind The Scene* にて閲覧くださいませ――




満ち足りた心と身体が次第に凪いでゆくのを感じながら、太郎太刀はふと思い出した。うっすらと汗を纏う胸板に審神者の身体を片腕で抱きしめたまま、もう一方の手で褥の脇に脱ぎ捨てられた直衣の袂を探る。
「太郎さん?」
怪訝そうに顔を上げた審神者の目の前に、懐紙に包まれた橙色の小さな丸いものがそっと差し出された。見ればそれは餡のように甘い香りがして頭には小さな緑色のヘタを載せ、もっとよく見るとそれはまことに愛らしい南瓜の形をしている。太郎太刀の手のものと彼の顔を見比べるようにすれば、彼はどこか困惑気に小さく笑んでいる。
「練り切り? これをどうしたのですか」
「光忠殿に渡されました。主に差し上げるようにと。先ほどはうっかりしてしまい申し訳ありませんでした」
「え?」
とすれば太郎太刀は最初から菓子を持っていたのではないか。
先ほど菓子をくれと戯れた自分にこれを渡せば、きっとこのような成り行きにならなかったのではと考え、今もなお肌を合わせたままの彼の身体の上にいて、何故やら気恥ずかしい気持ちになった。が、一方で太郎さんは何故という疑問を感じる。
太郎太刀は太郎太刀で、あの時の審神者の夜着姿があまりに眩しかったことを思い起こし、幻惑されるあまりこれを茶とともに供するつもりでいたのを完全に失念した自分に決まりの悪さを感じていた。このような失態をするなどということが本来彼にはないのである。
「太郎さんはハロウィンをご存じだったのですね」
「はろうぃん……それは、なんでしょうか」
「え? ハロウィンを知らずに持っていたのですか?」
「知らずに、とは」
「知らないのにどうしてお菓子を」
太郎太刀の端整な顔は全面に疑問符を貼り付けている。審神者は太郎太刀とはまた少し違った疑問を心に浮かべたままきょとんとした。
この練り切りを太郎太刀に渡したときの光忠が、今さっき審神者が考えたまさにその通りのことを考えていたなどということが、この二人にわかろうわけがなかった。
ハロウィンなのである。当然するであろう審神者の請いに太郎太刀が菓子をすぐに出せば、今宵この二人が再びの愛を確認することにならずに済むだろうなどと先を読み、若干の邪な期待から高を括っていた光忠であった。しかし幾ら聡くあっても艶ごとにだけは天然すぎる二人であればこそ、このような番狂わせも起ころうというものだ。
それにしても鏡を合わせたようによく似て不得要領な二人である。
明日の朝、苦笑交じりに舌打ちをする光忠に出会うことを審神者も太郎太刀も未だ知らない。


鏡合わせに問いましょう
Happy halloween! 2016
20161027




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