various | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
群青の空に剣


台形を幾つも重ねた様な可笑しな形の建物や中華料理屋の看板、ビジネスホテルなんかが遠く黄昏に沈みシルエットと化していく。代わりに空はグラデーションを作り出す。雲が纏った群青色が茜色へと建物に隠れた裾の方から刻々と変わっていき、蓮や葦の群生する目の前の池の面がそれを鏡のように映し出す。それは夜が来る前のほんの一時の奇跡。
広大な公園の一角にあるここはわたしの大好きな場所で、休日と言えばいつも足を運ぶ。
涙が出そうな程に美しい日没の光景をほとりのベンチに座って眺めていた。

「……っ!」

バキッ!

ただ事でない背後の気配に立ち上がり、膝に載せていたスケッチブックがバサリと落ちたのに気づかないまま咄嗟に振り向けば、体勢を崩しわたしに倒れ掛かってくる男の人がまるでスローモーションのように目に映った。

「え……っ?」
「すっ、すまん……っ」

わたしの肩に手をかけた彼とほんの刹那目が合う。
群青の空の色――。
息を止め瞳に見入ったのも束の間その人は直ぐにわたしから身体を離し、更にその背後から別の男の人の声がした。

「ちょっと、一君? 今バキッって言ったけど……竹刀?」
「素振り用の自作ゆえ、問題ない」
「あーあ、君達さ、こんなとこでキャッチボールなんかしたら駄目だよ?」

身体を立て直した彼の後ろで長身の男の人が小学生くらいの男の子たちをのんびりと嗜める。少年たちは素直に「ごめんなさい」と一つ頭を下げると走り出し、遠くに転がっていた野球のボールを拾い上げ遠ざかって行った。

「で? 君は大丈夫なの?」
「…………、」

剣道をする人なのかな、と最初に思った。
群青の瞳を持つ彼は俯いて竹刀の入っていると思しき細長いバッグを肩にかけ直している。
よく見ると恐らく本来は真っ直ぐな筈の其れがほんの僅かだけ歪んで見えた。
状況から推理してみると男の子たちの投げたボールがこっちに飛んできて、それをこの人が竹刀で受け止めて助けてくれたと言うことなのかな。
拾い上げたスケッチブックを渡してくれながらふと顔を上げた彼とまた視線が絡まる。心なしかその目元が染まる。
瞳の色と目元の茜色はまるでさっきまでわたしが見惚れていた暮れなずむ空のグラデーションのように綺麗だった。手渡されたスケッチブックを受け取りながらお礼を言うことも忘れ、目を逸らせずにその瞳に釘付けになっていた。

「君、どっち見てるの。話しかけてるの僕なんだけど?」
「……は? ……あ、あ、ごめんなさい。大丈夫です、ありがとうございました」

やっと我に返ったわたしは長身の人に向き直り、視線を外し背を向けた彼にもぴょこんと頭を下げた。

「……あんたは、」
「はい?」
「いや……何でもない。総司、行くぞ」

一度振り向きかけた彼が何か言いかけてやめる。
薄昏の中を小さくなっていく彼らをほんの少し首を傾げ見つめてから、わたしも慌ててベンチの上に散乱した鉛筆やらスケッチブックやらをカルトンバッグに詰め込んだ。





「ただいま。疲れたよ、アポロ」
「ちょっと、人間への挨拶が先でしょ。ねえ、今日もいつものコースを回ってきたの?」
「まあね。あれ、土曜なのに今日は出かけないの? はい、お土産」
「今出かけるとこよ。あ、またこれなの。わたしはクロワッサンの方がいいのに……」

同じ大学に通う彼女の手にパン屋の袋を渡せば中も見ずに不満げな声を上げるけど、その声はいつも歌う様な調子で明るい。
彼女は音楽学部の声楽科の学生で美術学部のわたしと大学で顔を合わせることは滅多にない。社交的な性格の彼女は外出も多くしっかり彼氏もいるようだ。
この四月から一緒に暮らし始めた同居人はわたしと性格はまるで正反対なのに、わたし達はどこか気が合っていて二人の生活は割と上手くいっていると思う。
「あんたの消しゴムなんか食べたくないわよ」とまだブツブツ言う声を背中で聞きながらクスクスと笑い、ドアが開いたままの雑然とした自室に真っ直ぐに入り、机の上のアポロに抱き付いてその顔を見つめた。
これは石膏で出来ているわたしの恋人。……と言うと語弊があるので説明をすると、アポロは大学のアトリエに夜遅くまで残るのが嫌なわたしが、なけなしの生活費を削って思い切って買ったデッサン用の胸像である。この胸像を前から後ろから斜めから、恋人のように毎日見つめてデッサンの練習をするのだ。
アポロは横顔が特に美しい。
ふとさっきわたしを助けてくれた彼の俯いた横顔のラインが目の裏に浮かぶ。
少し似てた、彼はこのアポロに。そして暮れ方の空のような印象的な瞳をも思い出す。
バッグから取り出したスケッチブックを開けば、未だ彩色の施されていない公園からの風景が幾枚も描かれているけれど、それらはまだ素描ばかり。
碧瑠璃や錆桔梗、銀鼠、そして群青。
画材店で岩絵の具を幾つも買い求め少量ずつ溶き合わせてみるけれど、大好きなあの空は紙の上にはなかなか生み出せなかった。
デッサン用の木炭や木炭紙などはともかく、岩絵の具は学生の身に決して安価とは言えない。練習用の和紙を張ったボードでさえ無駄には出来ない。わたしはデッサン用の消しゴムさえ節約して、画材屋で買うよりも幾らか安い食パンを使うのだ。

「なまえ、ご飯は?」
「うん、適当にするから平気」
「一緒に行かない? 彼に奢らせるから」
「わたしはいいよ。気にしないで行ってきて」

岩絵具を絵皿に取り少量ずつ膠液と水を慎重に加え丁寧に中指で溶く。
忘れないうちに。
和紙の上にわたしが今、直接描き出したいのはあの群青色。
筆を使い輪郭線をぼかして色の濃淡をつけながらわたしは逸る想いのままに色を置いていく。
熱中しはじめると他のことが一切耳に入らなくなってしまうわたしは、彼女が小さな声で「行ってくるね。頑張って」と言った声も、遠慮がちに出かけていった気配にも全然気づかなかった。





「ねえ、またこっちから帰るの」
「こちらの方が近い」
「距離的にはそうかもしれないけどさ、坂や階段があるんだから公園を突っ切ったら無駄な体力を使うでしょ」
「それも鍛錬になっていいだろう」
「はあ? 何言ってるのさ、一君はもう」

俺は口を尖らせて文句を言っている総司の先を歩く。
この公園の直ぐ近くに位置する芸術系大学の剣道部は、こう言ってはなんだがチームとしては弱小である。高校時代の後輩がそこで副将をしている関係から、練習相手がいないと嘆く彼に頼み込まれた総司と俺は、週末になるとほぼいつもその大学を訪れるようになっていた。
ふと歩みの遅くなった俺の背後で総司が立ち止る。

「そう言えばここだったね」
「……何がだ」
「あ、なんだ、今日はいないんだ」
「…………」

総司が尚もクスクスと笑い声を上げる。葦が鬱蒼と生える池の面を見遣りながら俺の全身が熱くなる。
彼の言わんとすることは手に取るようによく解っていた。俺が何の目的で態々こちらの道を選ぶのか総司はとっくに見抜いていたのだろう。

「百錬自得」
「は?」
「ねえ、竹刀袋に書いてあるその文字さ、」
「これがどうした。錬ること百にして自ずから得る。何度も繰り返してやれば自然と身に付くということだ。修業とはこの精神に則って、理を説くよりもひたすら繰り返して身に着ける事こそ、」
「それは解るんだけどね、一君。子供の頃リトルリーグにでも入ってた?」
「俺は剣道だけだと知っているだろう」
「だよね。だけどこの間のホームランはまるで……」
「あ、あんたは馬鹿にしているのか?」

訝しんで聞き咎めるも結局は彼の誘導尋問だったと直ぐに理解し、ますます発火した顔を逸らせば総司がまた笑う。俺は何やら居たたまれない心地で足を速めた。
「一君て意外とわかりやすいよね。応援してあげたくなるな」と意味の解らない事を言ってまた一頻り笑う。
先を歩く俺の後から独り喋りながら着いてきた総司が、これから予定があると言った為「ならば早く行け」と応えれば「今度僕の彼女紹介するから会ってね」と、いつも利用する地下鉄の駅へ続く階段を下りずに背を向け後ろ手を振りながら道を逸れていく。
先程からの総司の言葉を反芻しながらその背中が完全に見えなくなるまで暫しその場に立ち尽し、思い直した俺もまた階段を降りかけた爪先を返し今来た道をゆっくりと戻った。
昨日は青空だったが今日の空はぼんやりとした色をしている。
梅雨入りをして以来それらしく毎日蒸すようになった。だが昼下がりの風は池の面を撫でながら清涼感を纏い、熱を持ち過ぎた頬を心地よく吹き過ぎていく。
あの日のベンチに今日は人の影がなかった。
彼女がいつも座っていたと同じ位置に座ってみる。彼女はここからいつも何を熱心に見ていたのだろうと少し考えてふと思い当たる。見はるかす空の色はひたすらに美しかった。





目が覚めるように鮮かな濃い群青色の富士山が、複雑に重なり合い幾重にももつれ合う雲海からひょこりと顔を覗かせている。構図としてはとてもシンプルなのだけれど、この山の色にいつも惹きつけられる。
京風数寄屋造りのこの建物の中の小さなミュージアムにはわたしの大好きな画家の絵が展示されていた。此処はいつもの公園を挟んで大学と対極の位置にあるのだけれど、わたしは頻繁に立ち寄っては溜息をつく。
精緻な紅葉や清楚な秋の夜美人も大好きだけれど、この絵は特に、いつ観てもわたしを惹きつけて止まない。
地方公務員の父の趣味は絵を描くことで、影響を受けたわたしも小さなころから絵を描く事や観る事が大好きだった。
家の蔵書の絵画全集の中で特に心惹かれたのは夭逝した画家の絵である。
落葉と題された其れは木々の置き方や落ち葉の散り具合、また繊細な色使いが自然な奥行きを表していて幾度見ても飽きなかった。こんな絵がわたしにも描けたらと思いながらずっと憧れていた。
わたしが高校二年生の時に、卒業した先輩に誘われてひと夏を過ごしたこの東京で、日本画が好きならと案内されてこの群青色に出会った。
昭和の初めまで東京美術学校と言った先輩の通う大学は、奇しくも幼い頃から私の憧れた画家と目の前の美しい富士を描いた画家を輩出したところでもあった。先輩のアドバイスを受け必死で勉強をし、洋画から路線変更をして本格的に日本画を学ぶ為に、わたしは緑に囲まれたこの芸術の森を目指したのだ。
記念館には画家の生活した部屋、数々の作品を生み出したアトリエが復元されている。
陶磁器の絵付け、着物の意匠や書籍の装丁などこの偉大な画家の画業も全て、いつものように一通りゆっくりと堪能してから表へ出ると、来る前まではいくらか明るかったあたりは、まだ昼を過ぎたところなのに夕方のように暗くなっていた。空には真っ黒な雲が低く垂れ込め今にも雨が来そうだ。
これからあそこに行くのは止めた方が無難だな。そんな事を考えながらスケッチブックとカルトンとを収めた大きなバッグを胸に抱いて小走りを始めた側から、予想よりも早く大粒の雨が一つ二つと落ちてきた。

「え、もう? どうしよう」

雨脚は直ぐに強まり土砂降りになった。駅までは大した距離ではないからこのまま走ればほんの三分くらいで着ける。この季節だから自分が濡れるのなんか全然構わない。
だけどこれだけは絶対に濡らしたくない……!
わたしは迷わずに近くの軒下に逃げ込んだ。羽織っていた薄手のパーカーを脱いでカルトンバッグに被せ抱き締める。
道路にはあっという間に大きな水溜りが出来た。目の前を忙しくワイパーを動かしながら行き過ぎる車の、跳ね上げる雨滴が飛んで来ないかと冷や冷やする。
滝のように落ちる雨は暫く止みそうにない。
降り続く雨を見つめていたわたしの前をバシャバシャと走り過ぎようとした人がいた。
かかっちゃう……と神経質に背を向けようとした時。
その人が足を止めた。

「あんた……みょうじ……か、」

カルトンバッグを大切に抱えたまま首だけで振り返れば。
あの日あの公園でわたしを助けてくれた時と同じように、剣道の竹刀バッグを肩に背負い大き目のスポーツバッグを持った彼が降りしきる雨の中、ずぶ濡れのまま雫の滴る長めの前髪を掻き上げ目を見開いて私を見ていた。
口も利けずに見つめ返せばあの時と同じように綺麗な横顔を僅かに俯ける。もう一度髪を掻き上げた彼の、指の隙間から見えた耳朶がほんの少し朱に染まっていた。





キャンパスの中にあるベンチに並んで腰掛け、なまえの膝から菓子パンを取り上げて代わりに弁当箱を置く。
彼女の在籍する絵画科の学生によって催された展覧会が学内で行われており、今日は総司と共にそれを観に来たのだ。
なまえの作品は心が締め付けられるほどに美しい日本画だった。それは毎週のように俺がなまえの姿を探したあの場所から俯瞰する、群青色から茜色へと移り変わる黄昏時の空だ。
己の志に忠実に目指す道を邁進するのは非常に好ましいが、画学生にはお金も時間もいくらあっても足りないのと言う彼女は食事がおざなりになりがちで、昼食などは大抵このような菓子パンひとつで済ませようとする。
いつからか自身の時間が許す限り俺は、なまえに手作りの弁当を届けるようになっていた。

「いつも、ごめんね」
「栄養が偏るからな」

なまえは小さく肩を竦めてみせてから弁当の蓋を開ける。

「わあ、綺麗。黄金色の卵焼きとブロッコリーの鮮やかな常盤色。それにミニトマトの橙で三つ巴の対比だね。食べるのが惜しくなっちゃうな。このミートボールも艶々した餡が深い黒茶色をしていて……」

中身を見てパッと目を輝かせた彼女は独特な感想を述べながら惣菜に暫く見惚れていた。
見かねて「弁当は観賞するものではない。早く食べろ」と促せばエヘヘと笑う。
その少し照れたようななまえの笑顔が好きだ。

「芸術的に美味しそうな色は食欲をそそるね。でも一君が料理が得意と聞いたときは驚いたな。わたしにも作れたらいいのに、こういうの」
「料理程度ならいつでも教えてやれるが、あんたにはなかなか時間が取れぬのだろう。……これからは俺に任せておけばいい。ずっと」
「え……、」

なまえが弾かれたように俺を見上げた。
愛らしい彼女の目の縁がじわじわと染まっていくのを面映ゆい気持ちで見返す。
土砂降りの雨の中。
途方に暮れたように雨を見つめていたなまえを見つけたあの日、止むまで共に雨宿りをした。
俺には言いたいことが心に渦巻いていたが何一つ意味のある言葉など口に出せぬまま。
だが再会はあれから直ぐにやってきた。
他学と剣道の定期戦が行われた日、応援に来ていたらしい総司の恋人を試合後に紹介されたのだ。
しつこく迫ってくる総司に根負けし渋々と同席した俺ではあったが「僕の彼女」と総司が肩を抱いた女子の隣に、小さくなって座っていたなまえの姿を認めた瞬間息をするのを忘れた。
総司の恋人は俺が想いを寄せたなまえの同居人であったのだ。
あのたった一度きりの偶然がなければ、恐らくはこうなってはいなかっただろう。
一年前に思いを馳せていた俺の耳になまえの声が囁くように届く。

「一年だね、そろそろ。また雨の季節が来るね」
「そうだな」

隣を見遣れば俺の作った弁当を嬉しげに頬張るなまえ。同じ事を考えていたのかとふと笑みの浮かぶ俺を見上げなまえがまた照れたように微笑む。

「一君が助けてくれたことや雨の日のこと思い出すな。あんな風に沢山の偶然が重ならなかったら、きっと今頃わたし達……」
「……それは、偶然ではない」
「へ?」

なまえが再び大きな瞳を見開いた瞬間、背後から俺を羽交い絞めにした男がいた。

「そうだよ、あれは偶然なんかじゃない。大好きな女の子に危険が迫ればどこからでも駆けつける無敵の剣士なんだよ、一君は」
「そ、総司っ!」
「……え、」

立ち上がってその腕を振り払えば俺の膝の上にあった菓子パンが滑り落ちる。なまえが食べ終えた弁当箱を片づける手を止めて俺を振り仰いだ。

「ちょっと総司、それは斎藤君がなまえに直接伝えることであって、あなたの言うことじゃないよ」

共にやってきたなまえの友人が苦笑いをして窘めれば「あ、そうだ、ごめんごめん」と大して反省した素振りなど見せずに、笑いながら恋人の手を引いて総司は逃げていく。
「斎藤君ごめん! なまえもごめんね、後でね」と言い残し、手を引かれていく自身の友人を茫然と見送るなまえはまだ薄く唇を開いたまま。

「今の、どういう意味?」

俺はなまえの顔を真っ直ぐに見られずに立ち尽したまま思わずあらぬ方を見遣る。

「ねえ一君、さっきの偶然じゃないってどういう……?」
「な、何でもない」





一君は答えてくれなかった。ただ顔を赤くして沖田君の言葉の意味はおろか、ついさっき自分が言いかけた続きさえも飲み込んでしまった。
何を言おうとしたの? 教えてくれないの?
彼の言葉で聞けないのは少しだけ残念だけれど……でも。
わたしには何となくわかった気がしたの。
きっと、いつか話してくれるよね?
洗って返すねと空のお弁当箱を自分のバッグにしまい、ベンチから立ち上がると彼が小さな声で言った。

「あんたの好きな場所へ行くか」
「うん」

元気に返事をしたわたしの手を取って彼が歩き出す。
あの公園へと手を繋ぎ、ゆっくりとなだらかな傾斜の道を二人で歩く。
ほんの少しだけわたしより前にいる彼の柔らかそうな髪が爽やかな風に靡き、その髪の間から覗く耳朶があの雨の日みたいに薄っすらと朱に染まっていた。
到着した其処から眺めれば夕暮れにはまだまだ間がある時間、空はよく晴れてうすい靄がかかる中あの日と変わらない可笑しな形の建物や中華料理屋の看板が、のんびりと視界に映り込む。

「ねえ、剣道って楽しい?」
「ああ、なまえもやってみるか」

一君が竹刀バッグから出してくれたそれを見様見真似で中段に構えてみる。
言われたように利き手で鍔の近くを握り、右足を少し前に出して群青の空に真っ直ぐに剣先を向ける。
「なかなか筋がよさそうだな」と笑う一君に照れ笑いで振り向けば、ふと私のカルトンバッグに眼を留めた。

「では俺もなまえに絵を教わろうか。スケッチブックを見てもいいか」
「え? あ、あ……ちょっと、ちょっと待って、それは駄目なの」
「何故」

俄かに慌てて掛け寄り、驚き固まる彼の手から奪い返そうとした私のバッグが、地面に落下してバサと音を立てる。

「すまん、大切なものを……、」

わたしのいつにない拒否に狼狽え落としてしまったそれを、焦ったように拾い上げようとした一君の手、そして全身が動きを止めた。
彼が食い入るように見つめているのはバッグから半分以上はみ出した、スケッチブックとは別のカルトンに張りつけられた一枚の人物画。
大きく人の顔をアップに描いたその絵は。

「もう、だから駄目って言ったのに……、」

一年前のあの日、夢中で岩絵の具を溶いたことを思い出す。
わたしは憑かれた様に出会ったばかりの、あの空よりも美しい群青色の瞳を持つ男の人の印象的な相貌を、一晩かけて描いたのだった。

「……これは、俺、か」

掠れた様な声とゆっくりとわたしを振り返り面映ゆげに細められていく大好きな瞳の色。切れ長の目の縁が茜に染まる。
あまりの恥ずかしさにそっぽを向く私に一君の優しい腕がそっと伸ばされた。





2014/06/09


▼椎名沙雪様

この度は20万打企画にご参加いただきましてありがとうございました!
大変長らくお待たせしました。早速ですがリクエストの復唱です。頂きましたのは『画学生夢主 日本画専門で横山大観や菱田春草に憧れる夢主。武道派の斎藤さんと文化系の夢主は正反対だけどそれ故に惹かれあう二人の甘い話』というものでした。
以前どこかで書いたことがあるかもしれないんですが、私は実は高校の時油絵をやっておりました(下手の横好き)ですが日本画と洋画は画材から描き方から全く違うものなんですね。しかも横山大観、菱田春草は寡聞にして全く存じ上げず。リク主の椎名さんにはお好みの画家さんなのでしょうか。としましたならばかなり恥ずかしい本編となっていると思います。あまりにも恥ずかしいので敢えて作中に画家さんのお名前は使用いたしませんでした。(作品名のみ引用)
そしてこれもいらない情報なんですが私は中学の時は剣道部でした(弱小部の幽霊部員です笑)こちらにつきましても大半は実体験ではなく調べたうえで書いております。
ヒロインの通う大学は上野の有名なあそこです。そして公園も上野のあそこです。記念館も実在いたしますがお話の展開上、大学や公園、駅との位置関係が若干事実と違ってます。所蔵作品も一部書き手の捏造となっておりますことを重ねてご了承いただきたくお願いいたします。
最後にもう一点言い訳をさせて頂きたいのですが、斎藤さんが素振り用竹刀をけしからん使い方をしてしまう件があります。あれも本来の剣士の方はやらないだろうと思われます。その点につきましてもどうぞご容赦を……といつも以上にペコペコとお詫びに終始してしまいましたが、あくまでも夢小説と割り切ってお楽しみいただけますと大変嬉しく思います。
字数の都合上省いた設定を書き加えさせていただきますと、今回は出会いに重点を置いてその後の斎藤さんとヒロインさんという二元仕立てで書きましたが、実はヒロインさんが彼に出会った時よりも斎藤さんはもっと前から彼女を知っていて(脳内三元仕立て)密かに片想いしていました。公園を突っ切って件の大学へ行き来するのはいつもそこにいるヒロインさんを一目見たかったから。
一方ヒロインさんは初めて会った日に一目惚れ(彼の瞳の色に芸術的興味を魅かれたといった方が合っているかな)をしてるんですが、こんな二人の初々しい恋というイメージで書かせていただきました。少しでもお楽しみいただけますと幸いです。
この度はリクエストを頂きましてありがとうございました( *´艸`)

aoi




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

AZURE