『お前ら、やっとかよ』
『だから、紗也はそんなんじゃないんすよ』
そう言った俺に、檜佐木さんは深い皺を眉間に寄せた。
それはもう、随分と前の事のような気がする――…
「だから何か文句が有る訳じゃ無ぇんだよ……」
と、一人ぶつぶつ言ってる俺は、端から見れば怪しいヤツだがまぁ構う事は無ぇ。
今はそんな事を気にする余裕も無ぇくらい、紗也が気になって仕方がねぇ。
今まで気にもしなかったくせによ人の頭の中にまで煩ぇっすよ檜佐木さんっ
振られたからって泣いたり責めたりも想像出来ねぇし。
よく考えればそんな事をするとは思えねぇ。
だったら一体何なんだと頭を抱えそうになるが、解らねぇものは解らねぇ。
「腑に落ち無ぇ……」
のはもう紗也じゃなくて…
「何がですか?」
「うおっ!」
「あ、すみません。ノックはしたんですが……」
「あ、いや。悪ぃ…」
吃驚した。
入って来られてた事よりも、それにも気付かねぇ俺に吃驚するっつの!
気付けばもう夕方近い時間で、檜佐木さんの所から戻ったのが昼過ぎだから、どんだけ紗也の事で考え込んでたのかと呆れそうになる。
「……まだ何か有ったっすか?」
茶を置いた後もなかなか退室しねぇ彼女に、不思議に思って問い掛ければ、少しの逡巡の後、躊躇いがちに口を開いた。
「恋次君、美味しくない?」
問われながら肩に触れられて我に返る。
そうして此処が何処で、何をしているのか。今の状況の全てを思い出して、再び頭を抱えそうになった。
「すんません」
美味いっすよと、慌てて並べられた料理を口にして、味も解らないまま規則的に咀嚼する。
あれからずっと、紗也の事を考えてばかりの自分に呆れ返りながら……。
名前さんは、つまりそう言う事だがまだ彼女という訳じゃねぇ。
返事はまだ保留のままだ。
終業後に食事でもと誘われて、今みてぇに考え事に耽っちまってた俺は、知らねぇ内に是を唱えていたらしく……
気付いた時には嬉しそうに笑う名前さんがいて、もう断れるような状況じゃなくなっていた。
もう紗也とは終わったんだから、何に遠慮する事もねぇとも思う。
そう言うつもりで別れたんじゃねぇのかと言われれば反論のしようも無ぇが、はいそうですかと直ぐに次へ進むのもどうなんだと思う俺が居て……。
ああくそっ
もう何なんだっ!
俺は考え事には向いて無ぇんだよっ
もしかしたら俺が気にし過ぎなだけで、次に会ったら紗也だって案外ケロッとしてんじゃ無ぇか?
あんなにあっさり承諾して帰って行ったんだから、やっぱり何でも無ぇんじゃないのか?
そんな都合の良い考えばかりが浮かんでは消える。
とにかく、明日にでももう一度……
「恋次君……?」
「………っ」
「…………」
本当に俺は変だ。
何でこんなに紗也が気になるのかが解らねぇ。
やっぱりまだ、何と言ってでも断ってこの部屋には来るべきじゃなかったと自分に舌打ちが洩れた。
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