紗也が去った方に目を向けても、その姿はもう見えなかった。
追い掛ける事も出来なかったのは、何も言わねぇ紗也が、それを望んじゃいねぇんじゃねぇかと弱気になっちまったからだ。
好きになればなる程怖くなる。
そんなもどかしさに焦れるばかりで、身動きさえ取れなくなるなんて知らなかった。
副官室でただ書類を眺めては、また一つ溜め息を吐き出しての繰り返し。
そろそろ桜が散りそうだと切り替えて、手拭いを締め直した時に聴こえた慌ただしいノックに顔を顰めた。
「恋次さんっ」
「煩ぇよ!」
落ち着きのねぇ理吉に怒鳴ってやれば、焦った様子で書類を差し出して来た。
「此れって……」
思わず眉を顰めたのは、手にした書類が九番隊からの物だったからで。
「お引き留めしたんですが……」
そんな俺の様子に気付いてか申し訳無さそうに云う理吉は、だから焦って此処に来たんだろう。
まだ隊内にいらっしゃると思いますからと、ワタワタと指を差し示す。
それを聴いた俺は無言で席を立つと、瞬時に捕捉した霊圧に向かって駆け出していた。
「恋次先輩……?」
紗也と呼び掛ければ、不思議そうな瞳が此方を向いた。
普段と変わりねぇ様子に、何故だか解らねぇが、安堵よりも空虚な気持ちが胸に襲い来る。
あんな事が遇ったのに。
あんなに思い悩んだのに。
紗也には大した事じゃ無かったのかと、虚しさばかりが募って行く。
「顔くれぇ、見せろよ……」
「……次は、そうします」
俺はいつでも紗也に会いてぇと思うのに、顔も見せずに帰るのかとムカついても来る。
言いながらに距離を詰めて細い手首を捕まえれば、ほんの少し、紗也の表情が翳った気がした。
手前ぇの女相手に、逃げられねぇようにと手まで捕らえるってどうよと思っても、不安が消えて無くならねぇ。
敬語も止めろって言ってんだろうと、いつもなら然程気にならねぇような事も気に障る。
少し落ち着けと、は―――…と息を吐き出して腹に溜まったモヤモヤしたもんを吐き出すのに、捕らえた紗也の躯がビクリと揺れたのが解ってまた燻った。
「あの、そろそろ戻らないといけないので、手を……」
離してくれと言わんばかりの行動が面白くねぇと思っちまう。
「昼の話がしてぇんだ」
さっさと話して、さっさと誤解を解いてしまいてぇ。
「今が無理なら、今日の夜にでも……」
「今日、は。檜佐木副隊長とこれから現世に……恋次先輩?」
また、先輩かよ
しょうがねぇと解っていても、紗也の口から出る先輩の名前を聴きたくなくて、遮るように腕を引いていた。
慌てる紗也を無視したまま、黙々と隊舎の奥へと連れて行く。
もう頼むから、いい加減お前は俺のものだと確認させてくれと、ただ只管に唱えた。
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