甘い罠にはご用心 木葉と梟谷マネちゃんズ。 木葉視点。 |
梟谷学園男子バレーボール部は大所帯である。 全国大会に何度も出場し、且つ激戦区である関東地区予選を突破し春高、インターハイと決勝トーナメントまで駒を進めている。 今年も関東地区インターハイ予選を順調に突破し、来週の日曜日に出場を賭けた大一番である決勝戦を控えていた。 テレビで全国放送を行うのは高校野球、高校サッカーといった日本で親しまれているスポーツに限られ、それ以外のものは衛星放送――BSかローカルテレビで放映されているのがほとんどだ。 しかし、それでもテレビという広告効果は大きいようで、全国から毎年のようにバレー部へ入部してくるものが後を絶たない。 その半数は毎日の過酷な練習についていけず、体験入部の時点で断念せざるを得なかった者、中学ではそれなりに有名だったがチャンスに恵まれず、ベンチに入る事すら叶わなく応援席から見つめていることしかできない現状に嫌気がさして退部届を出す者などで半年たった今も残っている部員はレギュラーを含め50人である。 マネージャーも入れ替わりが激しく最終的に残ったのは三年の二人と今年、新しく入ってきた二年が三人という状況だ。 五人しかいない中でドリンクサーバーの中身補充と氷追加、選手それぞれのドリンクボトルに注ぎ足したり、汗まみれのTシャツを洗ったりとやることはたくさんあり休む暇もない。 息をつく間もなくあちこちへ駆け回り疲れているだろうに笑顔は決して絶やさない。 「木葉、それ気持ち悪いでしょ。洗ったげるから貸して」 「おー」 汗でシャツの生地が肌に張りついて鬱陶しいことこの上ない。先ほどブロックする際、突っ張って上手く腕を伸ばせなかったため、その有難い申し出にすぐさま飛びつく。 軽く伸びをしつつウォーミングアップゾーンへ近づこうとして、木葉は違和感を感じた。自分の着ているシャツは黒一色でぱっと見、汗をかいていると分からないはずである。それなのに少しした表情の変化で見抜くのだからつくづくマネージャーというのは怖い生き物だ。 「サンキュ」 そう言って、なるべく人目につかないところで着替えようと体育館の隅の方へ足を向けようとすれば、くいとシャツの裾を軽く引っ張られた。 訝しく感じながら振り向くと、そばかすの散った愛嬌のある顔を、おかしくてしかたがないというように笑みの形に変えた姿が在り。 「ここで着替えていいよ!うちら上半身裸で真っ赤になるほど伊達に見てきたわけじゃないし!」 あっけらかんと放たれた言葉に一瞬、反応が遅れる。更にくすくすという微かなしのび笑いが加わり、木葉の周囲を揺らす。何を言っているのかと、意味を咀嚼するのに三分かかった。 ようやく絞り出せた声音は自分でも驚くほど動揺に染まっていた。 「……女子がそれ言ったら終わりだろ」 木葉の言葉にマネージャーは軽く肩をすくめた。若干、つまらなさそうにしているのは気のせいだろうか。 「なーんだ、引っかからなかったかぁ」 唇をちいさく尖らせ、そう呟く目の前のマネージャーに怒りよりも呆れの気持ちが勝った。一体全体、どういうことだと隣でタオルを畳んでいる亜麻色の髪を肩の辺りで切り揃えているもう一人のマネージャーを見遣れば観念したように口を開く。 「もし、恥ずかしがったりムキになったりする部員が1人でも出てきたらクレープをおごるっていう賭けしてたの」 「あっ、黙っててって言ったのに!」 クレープを食べることができなくて心底、残念だと明らかに伝わってくる声音で紡がれた告白に木葉は、がっくりと肩を落としそうになるも寸でのところで堪え、深々とため息を吐き出した。 「心臓に悪いだろ」 木葉のその一言に、それまでしょげていたはずのマネージャー達の瞳が爛々と輝きを増した。 「少しは驚いた?」 「笑わないから正直に言って?」 よほどクレープが食べたいのか、向けられた眼差しは下手な逃げを許さないとでもいうかのように細められている。女子二人に男一人ではあまりに分が悪い。 それに突っぱねれば、部活終わりにマネージャー全員から総攻撃される上にメンバーに覚えのない噂を吹き込まれ明日から冷たい目で見られることは必至だ。 暑さにやられかけの脳みそをフル回転させ、最善の策を弾き出す。ここは大人しくイエスと言ってクレープを二人におごるのが一番いいだろう。 「うん、驚いた」 「!」 そう口にすると、二人の表情が華やいだ。もうひと押しとばかり続ける。 「マネージャーにはいつも世話かけてるしクレープは俺のおごりな」 まさかこんな展開になると予想できなかったのだろう、唖然とする二人に木葉は薄く笑みを口元に刷いて背中を向け、舞台袖へすたすたと歩いていく。 あとにはあっけにとられている少女たちが残された。 「くっ、やられたー!」 「イケメンすぎてずるいんだけどー」 「せめてもの意趣返しに2個注文する?」 「うん」 「あ、でも最近お腹まわりやばい」 「んー?」 「あんたには関係ない話よ」 「トッピングも追加してもらお」 きゃあきゃあと騒ぐマネージャー達を休憩に入っていた木兎ら三年が首を傾げながら「大丈夫か?」と真剣に心配していたのは後に分かる話だった。このあと木葉が二人にクレープをおごったはいいが、クレープをひとり二個に加えトッピング三種、生クリーム増量と3年の女子の中で大食い女王に君臨しているマネージャーの注文に頭を抱えながら財布と相談していたのはここだけの秘密である。 「んー美味しいっ!」 「ありがとね木葉」 クレープをおいしそうに頬張るマネージャーと並んで自分もくるみシナモン味にかぶりついていた木葉は次の瞬間、目を疑った。 亜麻色の髪を桃色のシュシュでポニーテールにまとめているマネージャーの両手にあったとおぼしきクレープが一個を残してきれいに消えていたのだ。さっきはあったよな、と疑問符を浮かべながらもう一人を見遣れば、まだ一個目である。 マジックじゃあるまいしあんなにボリュームたっぷりのクレープが一瞬のうちに消えるわけがない。 すると木葉の浮かべていた表情から悟ったのか、もう一人のマネージャーが苦笑いを浮かべつつ、なだめるよう肩を叩く。 「わたしも前から不思議だったけど気にしない方がいいよ」 「……ああ」 今はクレープを味わうことに集中しようと、釈然としない思いを振り払うよう大口を開けてかぶりついた。 |