milk love ※合宿中です。 |
蛍光灯に照らされた廊下を木兎は歩いていた。 合宿の時は宿泊施設が近い方の体育館を利用している。自主練が終盤に差しかかったところで、喉に渇きを覚えたため、隅にまとめて置いてあるドリンクボトルを飲もうと手に取ったら空だったので、こうして食堂近くに据えつけられている自動販売機まで足を運んでいるわけだ。 鼻歌を歌いながら自動販売機まで、あと数メートルのところで木兎はなにかに気づいたよう足を止めた。 どうやら先客がいるようだ。遠目に見た感じでは、白いTシャツを着ているが髪は長いのでマネージャーということだけは分かる。 この合同合宿に一年の頃から参加しているので、あらかた、どこの学校のマネージャーか見分けがつくのだが目の前の少女に関しては木兎の記憶に存在しなかった。 「……音駒か?」 そう疑問を口にして首を傾げた木兎。もしこの場に赤葦がいれば、そもそもジャージの色が違うでしょうと渾身のボケを丁寧に回収し間違いを訂正してくれるのだろうがあいにくと不在だった。 まあ、細かいことはいいやと考えることを放棄し自動販売機へ近づく。ハーフパンツのポケットに入れておいた小銭を投入しフルーツ牛乳の購入ボタンを押した。 ガコン、と音を立て、受け取り口に落ちてきたそれを確認した木兎は屈んで、フルーツ牛乳の容器を手に取った。 隣に備え付けられている三人掛けのソファに座って飲もうと自動販売機の前を通ろうとしたそのとき、はじめて少女の姿が視界に入った。 「………っ!」 ちいさく唸って手の中にあるものと格闘しているようだ。一体、なにと格闘しているのかと気になった木兎はこっそり盗み見する。 どうやらコーヒー牛乳の蓋を開けようとしているらしい。その証拠に蓋の部分が、かなり薄くなっていた。 梟谷学園にある自動販売機のコーヒー牛乳やフルーツ牛乳はプラスチック製の牛乳瓶で飲み口を紙蓋で密封しているレトロなものであった。最近は紙パックが主流になってきており慣れていないと綺麗にめくるのは難しい。 上手くめくれなかったと、しょんぼり肩を落とすその姿にいてもたってもいられなくなり勢いのまま、声をかけた。 「それ、やってやろうか」 「!」 蓋をめくることに夢中になって、木兎がすぐ近くにいることにまで気が回らなかったようで、びくりと肩が大仰に揺れた。 「すっ、すみません!今すぐ退きます!」 顔を真っ青にしながら、ぺこぺこと頭を下げ続ける目の前の少女に木兎は、ぱちくりと瞳を瞬いてそれから、にかっと笑みを浮かべた。 「んな身構えなくてもいいって! 名前なんていうの?」 「谷地仁花です! わたしごときが梟谷の主将さんにお願いするのは図々しいというか、その…! 」 「お、分かるんだ。」 谷地仁花という少女の台詞に木兎は感心したよう、へぇと相づちを打った。 合同合宿と銘打たれているものの、直接顔を合わせるのは試合の時のみでそれ以外は学校で固まって行動していることが多く、選手同士は食堂などで顔見知りになるがマネージャーは自分の学校を除いた選手を把握できていないのがほとんどだ。 けれど谷地はすぐに自分が梟谷の主将ということを見抜いた。とても頭のいい子だなと考えを巡らせ口を開く。 「それ、コツさえ掴んだらとても簡単」 「そうなんですか…!?」 もしそうなら今まで必死に格闘していた時間はなんだったのか、と顔に書いてあるその分かりやすい反応に木兎は、くくっと喉を低く鳴らした。すかさず渡された牛乳瓶の蓋に指をかける。 「爪が短いとだめなんですか」 「まあ、見てて」 そう言って蓋の縁と瓶の隙間に爪をひっかけ缶のプルタブを開ける要領で上に引き抜くと、きゅぽっ、という軽快な音を立てて蓋がめくれる。その様子に固唾を呑んで見守っていた彼女の瞳がきらきらと輝いた。 「すごいですね!」 心から感動していると分かる眼差しを向けられた木兎は気をよくして、わはは!そうだろ!と頷く。 コーヒー牛乳がやっと飲めます!と嬉しそうに微笑まれたことが木兎の親切心に火をつけたようで、さきほど買ってそのままになっていたフルーツ牛乳をテーブルに置いてコーヒー牛乳を両手で持っている谷地をちょいちょいと手招きする。 「特別に教えてやろう!」 木兎の台詞に谷地は目を大きく見開いて驚きを露わにした。まさか教えてもらえるとは、つゆほども想像していなかったようだ。 他校の主将ということもあって警戒のオーラを全身から滲ませていた谷地だが木兎の飾らない人柄に、すっかり気を許している。 「ぜ、ぜひ教えてくだしゃす!師匠!」 「おう! 師匠って響きいいな」 後輩である谷地に師匠と呼ばれた木兎は、まんざらでもないのか頬を緩め牛乳瓶を見えやすいところへ置いて、気合十分に腕まくりをする。 「なにしてんですか、木兎さん」 木兎の節くれだった指が蓋をめくろうとした刹那、抑揚のない声が不意に後ろから聞こえ、フルーツ牛乳の瓶を倒しそうになった。真ん中に置いていたことが幸いし、寸でのところで床へ落下する事態は防げた。 「なにってマネージャーと親交深めてただけだって、な。谷地さん」 同意を求めるよう縋るような視線を投げかけてきた木兎に谷地は反射で頷く。ほらみろ、と赤葦を見遣れば肩をすくめていた。 「……ほんとですよね」 木兎と谷地の遣り取りに納得がいっていないようで、真意を探るようにじっとりと見つめられたが、やがて諦めの方が勝ったのか赤葦はため息を吐いて瞳を逸らした。 「じゃあ木兎さんがおごりですね」 淡々と告げられたその台詞に一瞬、何のことか把握できなかった木兎だが一分遅れて、盛大な悲鳴を上げた。 うるさいですよ、と赤葦に眉を顰められ注意されたがもはやどうでもいい。大事なのは、自分がいつの間にかジュースをおごるという流れになっていることだ。 「はあ!?なんだそりゃ!聞いてねーぞ!」 「木兎さんが飲み物を買いに行ってる間にそうなってました。ちなみにアイスだそうです」 「うっ…」 確かに飲み物を買いに行くと言い残し、30分も油を売っていた木兎が全面的に悪い。 それは認めるが、しれっと付け加えられた最後の言葉だけは無視できそうになかった。高校生男子の財布は貧しいのだ。 ジュースならまだしもアイスなんて値の張るものをおごらされたらすっからかんになってしまう可能性が高い。 恨めしげに赤葦を睨んだあと、谷地に向き直った。 「ごめんな!コツは次の機会で!」 話に混ざることができず、ぼんやりと二人を眺めていた谷地は木兎の謝罪にたった今、気づき、慌てたように両手を顔の前で振った。 「いえ、大丈夫ですから!開けてもらってほんとうにありがとうございました!」 そう言って、笑顔を浮かべた。花開くような笑顔に木兎はあっけにとられたよう、ぽかんと口を開けていたが、首をぶんっと縦に振る。 「いきますよ」 「ちょ、引っ張らないで!首締まってる!」 「力加減はしてるから大丈夫です」 「赤葦、さいきん雑だよね!?」 「木兎さんの気のせいでしょ」 赤葦に首根っこを掴まれ、ずるずると引きずられながら、ついさっき谷地が見せた笑みを思い浮かべ、木兎は知らず知らずのうちに口角を上げた。 体育館に戻り、怒り心頭の月島と黒尾と日向にハーゲンダッツを一人、二個買わされたのはあまり思い出したくない夏の記憶だ。 |