君の言葉に二日酔い ※同棲設定になっております ※お風呂に入っている描写があります |
微かなハチミツの香りが鼻腔をくすぐる。 甘ったるいそれがバスルームに充満し、頭がくらくらしてきた。自分の今、置かれている状況に仁花は半ば及び腰だ。何故かというと付き合ってまだ一月も経っていない彼氏――赤葦京冶に洗ってもらっているから、というのが大きな理由だろう。 「大丈夫?」 耳元に訝しげな声が届き、仁花はびくりと肩を揺らす。その様子が面白く映ったのだろう形のよい唇に笑みを乗せた。 仁花は、ぱちくりと瞳を瞬いて口を開く。 「大丈夫です。それよりこのシチュエーションよくよく考えてみれば、すごく贅沢ですね」 「いまいち分からないけどそういうものなんだね」 ぴんとこないのか首を傾げ尋ねてくる赤葦に心中で苦笑した。 「京冶さんにこうして洗ってもらえること自体、滅多にないですから」 仁花の答えに、ふぅんと気のない相づちを打って赤葦は備え付けの棚からヒヨコを模したシャンプーハットを取り出す。 以前、こうして一緒にお風呂へ入ったときも髪の毛から顔に至る隅々まで洗ってもらったのだが、たまたまシャンプーを流しているとき、うっかり途中で目を開けてしまいもろに入ってしまったのだ。すぐに気づいた赤葦がすぐに水で流してくれたため、目が赤くなるだけで済んだ。 しかし、それをきっかけに頭を洗うことが苦手だと知られてしまい、今まで子どもっぽいから恥ずかしいと、ひた隠しにしていた事実について怒られた。あそこまで怒った様子の赤葦は初めて見たため、驚きより戸惑いの方が大きく危なっかしいから一緒に入るという申し出を易々と受け入れてしまった。 次の日、さっそくお風呂に入ろうとしてきた赤葦を追い払おうとしたが念入りに隠していたはずのシャンプーハットを手に持って、やたらきらきらしい笑顔で「一緒に入らないとのぼせるのは確実だよね」と言われ、青褪めたのち渋々、受け入れたのは記憶に新しい。 「…頭下げて」 幼子をあやすような声音でそう言われることに初めのうちは抵抗感を覚えていたが日を経るごとに慣れてしまい、今では下半身以外を洗ってもらっているのが事実である。 言われたとおりにしていれば、男にしてはしなやかな指が髪の毛をくぐる気配がした。 仁花自身、あまり人に体を触られるのは好きでないため赤葦の申し出に断固拒否の姿勢を崩さなかった。けれど、無下にあしらうこともできない。ほんとうに近所迷惑もいいところである。 「…かゆいところはない?」 耳元でささやかれたが物思いに耽っていたため気づくのが数秒、遅れてしまう。 はっと我に返って、仁花は口を開いた。 「あっ、大丈夫です!」 「そう」 「はい」 その返事に納得したようで頭皮マッサージを再開させた。両手で頭全体を包むよう指先を当て力を入れて円を描くようにゆっくりと揉んでいっている。 なにより驚くべきは、爪を立てずに指の腹に力を込め、細かく手を動かしながら洗っていると分かるのにまったく痛みを感じないことだろう。本の受け売りだが、頭皮は敏感な部分が多く、力加減を間違えてしまうと痛みばかりを気にするのでひどく難しい。 それを難なくやってのけてしまうのだから器用なものだ。集中すべく目を瞑っているとシャワーコックを捻る音がし、それから頭に温かいお湯がかかった。 水音が止んだのを確認して薄目を開けると至近距離に端正な顔立ちがあり半ば条件反射で後退ろうとするがタイルに足を取られ、ものの見事に転んでしまう。珍しく驚きを露わにした赤葦が手を伸ばそうとするが間に合わない。 次の瞬間、腰を強く打ちつけ、そのあと鈍い痛みが全身に広がり思わず息を詰まらせた。幸いなことに怪我はないようだと考えを巡らせていれば頭上から冷ややかな声音が降ってくる。 「……周りに気を付けてって前から何回も言ってると思うけど」 不機嫌が前面に出ているその言葉に、仁花の顔色が青くなった。怪我の方にばかり意識がいってしまっていたため、赤葦の存在が頭からすっぽり抜けていた。 こんなところでへそを曲げられては困ると、慌てて口を開く。 「…す、すみませんっ!」 肩をびくびく震わせながら頭を何度も下げ、わざとではなかったことを伝えれば、ため息がひとつ。益々、機嫌を損ねてしまったのでないかと戦々恐々しながらも上目遣いで、様子を窺うと、苦虫を噛み潰したような表情が在り。 度胸なんて持ち合わせていないくせに、反射的かつ的確に地雷を踏んでしまう自分がいやになる。どうしてこう後先考えず発言してしまうのか。 おそるおそる瞳を開けてみると、なにやらあたたかなものが頭に触れている。その正体は赤葦の手だった。 一体どうしたのかと聞きたいが、今の状況で下手に口を開けば怒りを買うことは読めていたため、大人しく黙ることを選んだ。 「……もっと甘えてほしいのが本音だけど難しいか」 愉快そうに眇められた濡羽色の双眸に正面から射抜かれ、仁花は落ち着きなく視線をさまよわせた。 |