15.一歩近くに
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最近、この家での生活にも少し慣れた。
与えられる仕事はそう難しいことではない。
炊事、洗濯、掃除、時々買い物。
日々の家事の手伝いだ。
どれも井染の村で村人に言いつけられていた仕事である。
ただ一つ、買い物だけは井染と勝手が違った。
井染では欲しいものを手に入れる時、対価としてそれに見合った「物」を提供する。
しかしこの木ノ葉の里というところでは、「貨幣」というものを使うらしい。
「貨幣制度」とシカマルは言っていたが、なんのことかはいまいちわからなかった。
今まさにマガナミは、その買い物をしているところだった。
マガナミは買い物があまり好きではない。
外を出歩いて、自分を知る人間と出くわしたりしたらと思うと、気が気ではなかったのだ。
しかし、そんなこと言えるはずもない。
それに他の仕事と比べて、不思議と買い物を言いつけられる回数は少なかった。
家の者が誰も手を離せない時だけのように思う。
だからその時は、目を伏せて、速足で歩いて、出来る限り素早く済ませるようにしていた。
大きな商店街の道を下を向き、口を結んで歩く。
奈良家の人間はたいそう親切だった。
親切すぎるほどだ。
笑顔で自分に話しかけてくれる。
気遣いの言葉をかけてくれる。
何かと世話も焼いてくれた。
何故なのだろう?
そこまでしなくても、私は彼らの言うことをきく。
彼らにしてみても、他にいくらでも私に言うことをきかせる方法はあるはずだ。
何を考えているのだろう?
彼らの優しさが怖かった。
何より、気を緩めてしまいそうな自分の心が怖かった。
彼らの柔らかな笑顔に、彼らの温かな言葉に、マガナミの心は明らかに揺れていた。
今まで生きてきて、こんなにも人間らしい扱いをされたのは初めてのことだった。
もしかしたら、彼らは自分の存在を受け入れてくれているのではないだろうか。
そんな考えさえ、ちらりと頭をよぎったほどだ。
その度に一生懸命頭を振る。
そんなはずはない。
彼らは何らかの必要に迫られて仕方なく自分を留め置いているのだ。
では、自分を留め置いている理由とは何なのだろうか。
マガナミは考える。
仕事をさせるためとは思えない。
与えられる仕事は、わざわざ自分にやらせなければならないようなものではないからだ。
むしろ仕事をさせているのは場繋ぎにすぎないのではないか。
時が来るまでの。
時とは何だ?
まさか、本当に村人に引き渡されてしまうのではないだろうか。
村人が自分を引き取りに来る準備が整うまで逃げ出さないように監視している、とか。
でなければ、こんな得体の知れない人間を家に置いておくだろうか。
マガナミはぞっとして周囲を見回した。
今も村人が自分の様子を窺いに里に来ているかもしれない。
その時、マガナミは、こちらを見ながら眉を顰めて話している二人の男を見つけた。
一瞬飛び上がりそうになるほど驚く。
村人かと思ったのだ。
しかし、マガナミはその男たちを知らなかった。
村の人間は全員知っているから、彼らは村人ではない。
マガナミはホッと肩を撫でおろした。
黒いスーツの上に緑色のベスト。
腰にはホルスター、手には手甲というグローブをはめている。
シカクが教えてくれた。
この里は忍の里なのだと。
そして、あれは忍の標準的な装備だと聞いていた。
どうやら彼らは忍らしい。
マガナミの耳は彼らの会話を拾う。
「あいつだろ。身元不明の侵入者。火影様も何故野放しにしておくのか」
「野放しじゃないさ。今、監視のためにシカクさんとこが預かってるんだろ」
「にしてもぬるくないか?あんなに自由にさせておくなんて」
「シカクさんもヨシノさんも人がいいからな」
「面倒事にならないといいけどな」
「ああ」
男たちは、マガナミを一瞥すると、一瞬にして姿を消した。
身元不明。
マガナミは全身の力が抜ける思いだった。
ということは、自分の正体はばれてはいないのだ。
忌み子であることも、村人に追われていたことも。
身体を温かなものが流れる。
よかった。
よかった。
この里に来てずいぶん経つ。
ここまで何もないということは、この先もしばらくは大丈夫なのではないだろうか。
マガナミは考えた。
何の根拠もない。
それは考えというよりも願いだった。
村は距離的にかなり離れた場所にあるのかもしれないし、村人の方ではもう自分のことを探していないのかもしれない。
そうだ、きっとそうだ。
だが次の瞬間、マガナミは他の可能性を見つけて胸を押さえた。
もしかしたら村は、既に滅んでしまったのかもしれない。
慌ててその考えを頭の中から追い出した。
なにより、奈良家の人々の真意がわかって、マガナミは心から安堵した。
あの人たちは私の正体がわからないから見張っているのだ。
決して、私を積極的に傷つけようと思っているわけではない。
あの優しさに裏はないのだ。
このまま、怪しい動きを見せたり、正体がばれたりしなければ、彼らは私に笑顔を向けてくれる。
人として扱ってくれる。
――あんたは生きて、生きて、生きて、一生分、この世の絶望を味わうの。
――せいぜいもがき苦しむがいいわ。
もう少し、あと少しだけ、いいよね。
マガナミは、母親の言葉をそっと奥へ押しやった。
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