09.マガナミ -居場所-
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目を輝かせて、ちょこちょこと老婆の後ろについていく。
道中、その様子を見送る人々の視線が、侮蔑と嘲りに満ちていたことに、その時は全く気づけなかったのだ。
連れて行かれたのは森の終わり、切り立った崖。
下から突き上げる風にあおられ、空気のこすれる音に恐怖したマガナミは、この状況が理解できず、老婆を仰ぎ見る。
「うちの孫がねぇ、私が編んであげた帽子を風で飛ばしてしまったというんだよ。木の枝に引っかかってしまってねぇ。取ってきてくれるだろぉ?」
鬼が、薄ら笑いを浮かべている。
血の気がスッと引いていった。
老婆が指差したのは、崖の下、岩の間から突き出した枝に引っかかった、藁の帽子だった。
マガナミは歯を震わせながら首を横に振った。
硬く角張った岩からは、ぱらぱらと崩れた砂塵が舞い、ところどころに生えた草木は、狂ったようにその葉をはためかせている。
遥か眼下には、岩を削る濁流が、轟音をとどろかせていた。
このような場所、身体が小さく、非力なマガナミはおろか、成人男児でさえ、決して足を踏み込もうとは思うまい。
それも藁の帽子ひとつのためだ。
正気の沙汰とは思えなかった。
マガナミは、老婆の真意がわからず、激しく混乱した。
「でき、ない。あんな、ところ…」
やっとのことでそれだけ言うと、その場にへたり込んだ。
老婆は、抑揚の無い声で言った。
「やるんだよ」
マガナミは、驚愕に目を見開いて老婆を振り返る。
老婆の顔はもう笑っていない。
無表情にマガナミを見下ろしていた。
「一族はみな助け合うもんだ。母親を殺した忌み子のあんたを見捨てず、この地に置いてやっている私たちへの恩義をないがしろにするつもりかね。あんたがここにいるだけで、私たちがどれだけの苦痛を味わっているか、当のお前にはわからないのかねぇ」
肩から掛けていた皮袋から、ロープを取り出してマガナミに放る。
「ほら。何も私だってね、身一つで降りろとは言ってないんだよ。ちゃんと命綱は用意してやってるんだ。なんて優しいんだろうね。わかったらとっとと行っといで」
投げられたロープを見て、震え上がって老婆を見上げる。
老婆の周りには、見物といわんばかりに、村人たちが集まってきていた。
助けを求めるように周囲を見渡す。
しかし、手が差し伸べられることはなかった。
拒否権は無い。
そう悟ったマガナミは、恐怖に震える指で、自分と、自分を支えてくれる木とをロープで結んだ。
これから降りてゆく崖の前に立つ。
全身が、がくがくと音を立てて抗議する。
足に力が入らない。
萎えそうになる心と葛藤していると、後ろから怒声が飛んだ。
「なにぐずぐずしてるんだい、さっさとお行きよ」
マガナミは、その言葉に突き飛ばされるように、崖を降り始めた。
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