63.さようなら懐かしいまどろみの日々
「ルーラ、今年はどうする?」
ルーラは唐突なマルコの問いに首を傾げた。
「どうするって?」
「隣町の秋祭り。毎年行ってただろ」
「ああ、もうそんな時期かぁ」
ルーラは目を細めた。
隣町で開催される秋祭りは、全国的に見るとごくささやかな、しかしルーラたちの地元ではちょっとした規模のお祭りだった。
夕方から夜にかけて開催され、多くの家族連れや友人やカップルなんかが集まってくる。
盛大さと素朴さの中間のような雰囲気が心地よくて、何をするでもなく長居するのがいつもの習いだった。
大きな広場に並ぶ屋台の喧騒や匂いを感じながら、少し離れたベンチでポツリポツリと会話を交わす。
会場の熱に当てられながら、それを他人事のようにマルコと眺めているのが、ルーラは好きだった。
もう季節が一回りしたのかと、昨年の空気に身を浸す。
懐かしい香りがした。
毎年のように、今までと同じように、ごく当たり前に二人で祭りに行けたらいいのに。
でも、もうそれはできない。
「ジャン、お前も来るか?」
マルコが隣にいるジャンに声を掛ける。
ジャンは一瞬焦った顔をして、すぐに仏頂面を作った。
「行かねえよ。お前ら久しぶりにゆっくりすればいいだろ」
マルコは僅かに苦笑した。
こういう返答になるとわかっていて、あえて問うたのだ。
ルーラに、そんなに難しく考えることはないと暗に伝えたかった。
友人と行く気楽な感覚で良いと。
そして、そのためにジャンを利用したのだった。
そのことをこの苦笑に込めて謝っている。
ジャンもマルコの意図に気付いていて、そうとわかるようにため息をついて見せた。
ルーラもマルコの気遣いを敏感に察していた。
マルコはいつものように、ルーラの好きなようにしていいと言う。
けれどルーラは、この言葉に甘えてはいけないことを悟っていた。
何故なら、マルコが「今年はどうする?」と聞いたからだ。
いつもマルコは「何時に集合する?」と聞いた。
ルーラは当たり前のように「何時」と答えた。
行く、行かないは二人にとって改めて確認する事項ではなかった。
でも、マルコは聞いた。
「今年はどうする?」と。
今まではごく自然であった「二人で祭りに行く」という行為に、マルコは特別な意味を感じている。
今までの関係とは違うと、意識しているからこそ問い、わざわざ友人として誘っていることを示したのだ。
気づかないふりをして誘いを受けることなんて、出来るはずもない。
――ルーラも、自分のやりたいようにやればいいよ。
そう、いつまでもマルコの優しさに流される人間では、いたくない。
ルーラは胸に渦巻く寂寞感をそっと押さえつけた。
「部活のスケジュールとか、確認してみる。また今度返事するね」
マルコはほんの刹那、悲しそうに目を細めたが、いつものように穏やかに笑った。
「わかった。まだ間があるし、急がなくていいよ」
温かな紅茶色の瞳は、ずいぶん長い間、ルーラの心の支えだった。
「うん」
この問に答える時は、きちんと決断した時だ。
「ほら、行けよベルトルト」
ライナーがベルトルトを小突く。
ベルトルトはよろめきながら数歩前へ出た。
そんな二人を呆れたようにアニが眺めている。
廊下を歩いていてその光景に目を留めたルーラは、幼なじみがじゃれ合っていると笑いながら近づいていった。
「何してるの?喧嘩?」
「そ、そんなんじゃないよ」
ベルトルトが慌てて体勢を立て直す。
「相変わらず仲いいね」
特に用事もなかったルーラは、邪魔をしては悪いと軽く手を振って歩き出した。
その後ろで「おい」とか「何やってんだ」とか声が聞こえてくる。
更に、鈍い音がしたかと思うと、痛っ!とベルトルトの悲鳴が上がった。
「何?どうしたの」
ルーラは笑いながら振り返る。
それぞれの姿勢から察するに、アニがベルトルトを蹴り飛ばしたところのようだ。
「こいつが用があるって」
アニがベルトルトを顎で指した。
「何?」
ベルトルトはあたふたと視線を泳がせる。
ルーラは何をそんなに焦っているのかとクスクス笑い声を漏らす。
「あ、あのさ、ルーラ」
「うん?」
ベルトルトは忙しなく周囲を見渡し、縋るようにアニとライナーを見つめ、ルーラに視線を戻した。
「今度、さ、ルーラの地元の近くでやる――」
ルーラはベルトルトの表情に違和感を覚えて内心首を傾げる。
僅かに顔が強張った気がしたのだ。
それに、視線が自分を向いていないように思う。
自分よりも後ろの何かを見ているように見えた。
一旦言葉を切り、ベルトルトは再び口を開いた。
その口調は改まっていた。
何かを宣言するような響きを含んでいるようにも、ルーラには感じられた。
ルーラは彼の言葉を聞いて、思わず息を止めた。
胸が、大きく高鳴った。
そして、その刹那の素直な感情に触れて、ひとつの答えに辿り着いたのだった。
「秋祭りに、一緒に行かない?」
「あ…」
ライナーがハッとルーラの背後に目を遣って、戸惑いの表情を浮かべた。
ルーラはつられて振り返り、はっきりと動揺を見せる。
すぐ側の階段を上がってきたのだろう、そこにはマルコとジャンの姿があった。
マルコもジャンも何も言わない。
ただ、静かな視線をルーラとベルトルトに向けていた。
今の会話が聞こえていたことは明らかだった。
ルーラの顔が苦悶に歪む。
それは答えを決めかねたからではなかった。
ひとつの答えを見つけてしまった。
そのことへの畏怖にも似た感情のためであった。
ルーラは凍りついたようにその場から動かない。
誰も、その場から動かなかった。
ルーラの頭の中を過去の様々な場面が走る。
それは主にマルコとの思い出だった。
優しいマルコ。
いつも傍にいてくれたマルコ。
今までの人生の節目を思い起こすと、必ず隣にはマルコがいた。
時に手を添え、時に背を押し、時に肩を叩いて、ルーラと共に歩いてきた。
笑い合い、励まし合い、たまに喧嘩をして、ここまで大きくなった。
マルコはずっとルーラを待っていた。
記憶のないルーラを辛抱強く待ち、支えた。
そんなマルコに、ルーラは縋り、甘え続けてきた。
今更、マルコの気持ちを裏切るのか。
ずっと一緒だったのに。
もう今までのようにはいられなくなってしまう。
マルコ――きっと傷つく。
傷ついて、でも彼は変わりなく接するのだろう。
彼はそういう感情のコントロールがとても上手い。
ジャンはきっとマルコをフォローする。
けれど、それでいいのか?
こんな身勝手が許されるのだろうか。
いっそ、一度どちらとも距離を取るべきではないか。
そうすれば、マルコもベルトルトも別の道を模索できる。
それがフェアというものではないか。
周りが見ても、それが一番――
「ルーラ!」
ルーラは全身を震わせた。
おもむろに視線を声の主へと移す。
沈黙を破ったのは、マルコだった。
「――行くな!」
ルーラの肩が跳ねた。
ジャンは驚いた顔をしていた。
ライナーもアニも、目を瞠って硬直していた。
ベルトルトだけが平静で、全てを受け入れたような澄んだ瞳で、ルーラとその奥のマルコを見つめていた。
ルーラは目を顰めた。
ああ――まただ。
また同じことを繰り返そうとしている。
自分が正しく居られる道に逃げ込んで、答えを出すことを拒んでいる。
自分がいい人間であるために、周囲に認めてもらえる理由を探して取り繕おうとしてる。
たとえそんなことをしたところで既に、自分はいい人間でいられるはずなどないというのに。
距離を取るなんてバカなことだ。
ベルトルトが別の道を模索するのを遠くから眺めている?
そんなの無理だ。
だって――
私は最低で、自分勝手で、自分の気持ちが一番大切な人間だから。
ルーラの瞳が、一瞬、大きく揺れた。
そっと拳を握り、大切なものを包み込むように、力を込める。
ジャンはそっとマルコに目を遣った。
ルーラの答えは、出た。
ルーラは、マルコが「行っていい」と言えば、マルコを選んだのではないか。
そうでなくとも、ここで結論を出すことはなかったのではないか。
親友の「行くな」という言葉が、ジャンには「行け」と言っているように聞こえた。
(20140921)
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