60.けじめの朱色
――それじゃ、放課後、屋上でな。
昼間のルーラとエルドのやり取りが頭から離れない。
二人は何を話していたのだろう。
何のために放課後、屋上なんかで会うのだろう。
二人はどうしてあんなに親しげなのだろう。
彼はルーラをどう思っているのだろう。
ルーラは、彼をどう思っているのだろう。
僕は、目の前に組んだ自分の手を睨んだ。
彼もまた、あの世界の関係者だ。
僕も数度目にしたことがある。
エレンと同じ特別作戦班、精鋭だった。
彼は僕らが調査兵団になって初めての壁外遠征で死んだ。
殺したのは、アニだ。
彼は自分の命を奪った者の正体を、僕たちの正体を知っているのだろうか。
調査兵団で彼を見掛けた時、一度ルーラが一緒にいたことがある。
彼からルーラに話し掛け、ルーラも見知った者として応対していた。
あの頃、僕はルーラを遠ざけていたけれど、それでもやっぱり気になってしまったから覚えている。
二人が親しいのは、単にあの頃知り合いだった延長だろうか。
それだけだろうか。
いや、そもそもあの頃の二人はどんな関係だったのだろう。
当時、特別作戦班は別行動だったし、そんなに接点はなかったはずなのだが。
だが、当時そうだったとしても、今は違う。
僕が思っているより、ずっと親密な関係なのかもしれない。
僕は浅はかだった。
何故、こんな簡単なことにも気付かなかったのだろう。
何故、こんな当たり前のことにも気付かなかったのだろう。
僕は舞い上がっていた。
ルーラと普通に話せるようになって、ルーラと笑い合えるようになって、嬉しかった。
幸せだった。
だから、しばらくはこのままでいいと思っていた。
これからゆっくり関係を築いて、いつか僕の気持ちを伝えることができたらいいと、そんな風に思っていた。
ルーラはマルコを選ぶだろうか。
それだけはやっぱり気になったけれど、ルーラが彼を選ぶなら、仕方がないと思えた。
ルーラが選ぶならマルコだろうと、根拠もなく確信していたのだ。
何故、そんなことが言える?
男は僕や彼だけではないし、彼女の世界は無限に広がっている。
クラスの男子がルーラのことを気にしているようだったことも、今更ながらに思い出した。
ルーラは僕の全然知らない男のところに行ってしまうかもしれないのだ。
僕は焦った。
嫌だ。
そんなの、嫌だ。
マルコならまだしも――
そして息を飲む。
――マルコならいいのか?
マルコになら、ルーラを任せられる?
大人しく身を引ける?
二人が並んで歩くのを穏やかに眺めることができるのか?
目が覚めた思いだった。
そんなの無理だ。
僕は立ち上がった。
焦燥感に駆り立てられるように走り出す。
目指す先は、屋上だ。
二人が屋上で何をしようとしてるのか知らないけど、い、言ってやるんだ。
必要以上にルーラに馴れ馴れしくするなって。
ビシッと。
そりゃもう、ビシッと。
きっとだ。
…そんなことをしたら、ルーラに嫌われるだろうか。
屋上に出る扉の前にはエルドの姿があった。
彼は僕の姿を捉えると、まるで待っていたと言わんばかりに意味ありげな笑みを浮かべる。
「お前が来たか」
僕は面喰ってその場に棒立ちになった。
「えっと…」
「クローゼならもう来てるぞ」
「え?」
僕は彼が何を言いたいのかよくわからなかった。
ルーラが来ていることを知っていながら、彼は何故こんなところにいるのだ。
彼女を呼んだのは彼ではなかったか。
「行かないのか?」
僕はハッとした。
彼の意図は理解できないが、それはとりあえず後でいい。
僕は屋上へと続く重たい扉を押し開いた。
傾いてきた日の光が、僕の網膜を刺激した。
外の明るさに目が慣れると、手すりに手を掛けたルーラの後ろ姿が見えた。
僕の感情は一気に高揚して、気持ちのままに足を進める。
「ルーラ!」
ルーラは声に反応して振り返る。
髪が彼女の動きに合わせて揺れる。
髪の隙間から光が射し込んでくる。
彼女は驚きの表情を浮かべた。
「ベルトルト?何でここに。ここ、立入禁止だよ?」
「それはルーラも同じじゃないか」
「それはそうなんだけど…」
ルーラは不思議そうに頭を巡らせる。
「ねえ、ジン先輩と会わなかった?私がよく話してる弓道部の先輩」
僕はキュッと唇を引き上げた。
「ルーラ、その人とここで会う約束したの?」
「うん。あ、先生には内緒だよ?」
「どうして」
「どうしてって…バレたら怒られちゃうじゃない」
「どうしてその人とこんなところで会うの?」
「え?ああ…先輩がここを指定したからなんだけど…私も屋上ってちょっと興味あったし」
「何の用なの?」
ルーラはキョトンと瞬きした。
「どうしたの?ベルトルトってそんなに詮索好きだっけ?」
「そうだよ。僕は詮索好きなんだ。だからすごく気になるんだよ」
殊にきみのことに関しては。
ルーラは少し困った顔をして首を傾げた。
「でもね、これは私とジン先輩の話だから」
「嫌だ」
僕は言った。
思ったよりもずっとはっきりした声だった。
ルーラはいよいよ当惑して僕を見つめる。
「本当にどうしたの?」
「嫌だ。嫌なんだ。確かに、これはルーラとその先輩の間の話だ。僕には関係ない。でも、嫌なんだ。ルーラがこんなところで男と二人きりで会うことも、僕じゃない男を、その、頼りにすることも」
ルーラは黙った。
瞳が艶やかに揺らめく。
朱に滲み始めた光が反射して、泣いているみたいに見えた。
「今日、二人が中庭で話してるところを見たんだ。ここで会う約束をしてたのも聞いてた。居ても立ってもいられなくなったんだ。もしかしたら、ルーラはこのままあの先輩と――」
僕は拳を握った。
「ぼ、僕を頼ってよ!僕以外は、ダメだ。例えマルコでも――嫌だ――」
目を瞑ってしまいそうになった。
でも、必死になってルーラの目を見つめる。
伝えるんだ。届けるんだ。
僕の気持ち、ちゃんと。
「好きなんだ!僕はっ!ルーラが好きだ!」
言い終わった瞬間、緊張と興奮で思考回路が振り切れた。
気が付くと息が上がっていて、それに気付くと今度は全身から震えが来た。
傾いた陽が足元のコンクリート上を走る。
ルーラの頬は真っ赤だった。
僕の頬も、きっと真っ赤だ。
夕日が僕の気持ちを隠してくれようとしているのかもしれないし、僕の気持ちを強調しようとしているのかもしれなかった。
しばらく間があって、ルーラが静かに口を開いた。
「ベルトルト、その気持ちは、『今』のあなたのもの?それとも、『あの頃』のあなたのもの?」
その言葉が僕の中に意味を持って落ちてくるまで、少し時間がかかった。
そして、その問いに思考を重ねて、言葉に詰まる。
そうだ。
僕はあの頃から、ずっとルーラが好きで、その記憶を持ったまま今のルーラと出会って、相変わらずルーラが好きで――でも、この気持ちは一体いつの気持ちなんだ?
僕はただ刷り込みのように、過去の気持ちを今の気持ちだと思い込んでいるだけなのだろうか。
なら、今の僕は何なんだ。
僕は目を瞑る。
視界を遮り、自分の内側へと意識を向ける。
ルーラがジッと答えを待っている気配がある。
心臓が脈打つ。
血が全身を巡る。
僕はその音に耳を澄ませる。
答えを探す。
神経を研ぎ澄まし、様々な体験に想いを馳せる。
それは始め、微かに琴線に触れるだけだった。
小川のようにささやかな音色だった。
さらさらと心地よく耳をくすぐる。
が、やがて胸を焦がす濁流に変わった。
――ああ、わかったよ。
僕はゆっくりと目を開いた。
「この気持ちがいつものもなのかは、僕にもわからない」
ルーラはそっと息を吐く。
僕は彼女の吐息の存在を目の前に感じながら続ける。
「もしかしたら、『あの頃』の僕の声が大きくて、『今』の僕はただそれを鵜呑みにしていただけなのかもしれない。最初に見たものを親と思い込んで、ルーラへの感情を擦りこまれていただけなのかもしれない。でもね、ルーラ。これだけは確かなんだ。どんな過程であれ、僕は『今』、ルーラが好きだ。抑えが効かないくらいに強く。強く。重要なのはそこなんだ。『あの頃』の僕は、『今』の僕じゃない。それはわかってる。でも、決して無関係ではいられないし、もう僕の一部なんだ。『あの頃』の僕を含めて、僕なんだ。――僕は、記憶のないきみも好きだったよ。ルーラ、僕は『今』、『今』のルーラが好きなんだ」
ルーラは目を伏せた。
その表情からは、彼女の感情を窺うことはできない。
けれど、僕にとってはそれが答えで、変えようのない真実だった。
(20140906)
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