その手をつかんで | ナノ

58.今に降り立つきみに告げる


僕とルーラは、いつか行こうと言っていた公園の近くの喫茶店に来ていた。

振り返れば、あれからもう随分時が経った。

その間、本当にいろいろなことがあって、僕たちを取り巻く環境は大きく変化した。

そして、今、目の前にいる幼なじみも、あの時の彼女とはもう違っていた。

僕はその時を待ち望んでいたはずなのに、少し寂しい気もしていた。

僕だけの幼なじみだった彼女は、もういなくなってしまったように思えたから。

「ルーラ、少し雰囲気が変わったね」

ルーラは意外そうに瞬きする。

「そう?」

「うん。ちょっと大人っぽくなった」

彼女はクスリと笑う。

口元にそっと手を添える仕草が、僕の印象を裏付ける。

「自分じゃわからないや」

でも、僕にはわかる。

ずっと、気が遠くなるほど昔から、ルーラのことを見ていたから。

今のルーラは、そう、あの頃のルーラに少し近くなった。

今よりも早く大人にならなければならなかった、あの頃のルーラに。

そして、それが記憶を取り戻したことと無関係でないことは、疑う余地のないことだ。

「大変だったろ。落ち着いた?」

「うん。ごめんね、色々迷惑かけて」

ルーラはふっくらと目尻を緩める。

その瞳には、今までのルーラにはなかった色が宿っている。

苦難や苦痛を受け入れ、内に丁寧にしまい込んだ甘受の色だった。

「マルコのおかげで私、あの世界のこととちゃんと向き合えた。ありがとう。その…」

「ベルトルトとは、仲直りできた?」

ルーラは一瞬躊躇いを見せる。

が、控え目に微笑んだ。

「うん」

「よかったね」

「うん」

詳細を伝えるべきか否か迷っている様子のルーラに、僕も謝るべきかどうか悩んでいた。

ごめんルーラ、実はあの時、僕も公園にいたんだ。

でも、今回は止めておくことにする。

だって、やっぱり悪趣味だし、カッコ悪いじゃないか。

ルーラには、その、嫌われたくないし。

ああ、だからやっぱり行かなければよかったんだ。

女々しいことを考える。

行かなければ行かなかったで、そのことを後悔したに決まっているのに。

「いいんだ、それなら。ルーラがよかったと思えるなら、それでいいんだ」

ルーラは笑みを大きくした。

「私きっと、やっと『今』に戻って来られた。そんな気がするんだ。ベルトルトとね、これからは前を見て歩こうって決めたの。もう、大丈夫」

ルーラの笑顔がこの上なくくつろいでいるのを見て、僕は心から安堵した。

よかった。

本当によかった。

胸を満たした熱い想いが、口をついて漏れ出す。

「ありがとう」

ルーラは驚いて目をまん丸に見開いた。

「どうしてマルコがお礼なんて。私が言おうと思ってたのに」

僕は破顔した。

何故って、そんなの決まっている。

「待ってたんだ」

彼女はそのままの表情で首を傾げる。

「何を?」

「ルーラが『ここ』に戻ってきて、スッキリした顔をしてくれるのを」

僕にチャンスを与えてくれるのを。

一瞬キョトンとして、彼女は笑み崩れた。

ここまで長かったなと僕は思う。

「ありがと、マルコ」

店の窓ガラスから光が入ってくる。

いい天気だ。

人々の賑やかな声が、店の中にも店の外にも、幸福を運ぶ花びらのように舞っていた。

窓から空を覗き見る。

ルーラも不思議そうにそれに倣った。

空は突き抜けるように青く、高い。

「ねえルーラ」

「なに?」

「小学校に行かない?」

彼女はパッとほころんだ。

嬉しそうに手を叩く。

何で今までそれを思いつかなかったんだろうと言うみたいに。

「いいね!そうしよう!」

楽しげに足を鳴らして立ち上がった。





今日の小学校は賑やかだった。

校庭で小学生たちがサッカーの試合をやっているのだ。

懸命にボールを追う子どもたちに、親の声援が盛んに飛ぶ。

その様子を尻目に、僕たちは一段高い場所にある遊具エリアに辿り着いた。

ブランコに腰を下ろし、足で軽く揺らす。

声援がBGMのように耳をくすぐった。

「いい天気。前に来た時もよく晴れてたよね」

「そうだね」

「懐かしいな。まだ高校も始まったばっかりでさ。あの時は…何も知らなかったんだな。急に苦手な人が増えて、何でだろうって首を傾げてた」

ルーラは僕の方を向いた。

「マルコは、とっくに知ってたんだね。その理由を」

僕は頷く。

「ごめん」

ルーラは頭を振った。

「あの頃のことを振り返ると、もどかしくて。私が何も知らないせいで、色んな人に嫌な思いをさせた。マルコにも、迷惑掛けた。それが悔しいの」

ルーラは今までのことや感じた想いをポツリポツリと語った。

ジャンが昔から苦手だったこと。

僕に悪いと思って言えなかったこと。

高校に入ったら、急に人が怖くなって戸惑ったこと。

みんなこんなに近くにいたのに、全然気付かなかったこと。

広い砂漠を歩く夢を見ていたこと。

砂漠の地下に泉が眠っていて、必死になって地表に湧き上がってくるのを抑えようとしていたこと。

ベルトルトといると心が乱れたこと。

僕といるととても安心したこと。

僕に無責任に甘えていたこと。

そのことでジャンと喧嘩になったこと。

何も知らないのをいいことに、みんなにひどく気を遣わせてしまったこと。

僕は揺らしていた足を地に着けた。

ブランコの揺れがピタリとおさまる。

ルーラもそっと地面に足を置いた。

「でも、今は全部知ってる。知って、乗り越えて、『今』に戻ってきた。そうだろ」

「――うん」

「時期は違うけど、みんなもそうやって乗り越えてきたんだ。ルーラだけじゃない。それに、喫茶店でも言ったけど、僕はルーラが過去に決着をつけて『今』に来てくれたことに感謝してるんだ」

ルーラは僕を真っ直ぐに見つめる。

彼女の目の瞬きが、その理由を告げることを促している。

僕は静かに深呼吸した。

やっと、やっとだ。

ようやくこの時が来た。

ずっと待っていた。

「やっと、同じライン上に立てた。やっと、僕らは対等だ。もう、遠慮はいらない」

僕はゆっくり立ち上がる。

ルーラの方に体を向けた。

ルーラもそれに応えるように立ち上がる。

向かい合うルーラの瞳には僕が映っている。

僕だけが、映っている。

僕の瞳にも、ルーラだけが映っている。

ひと際高く、校庭から歓声が上がる。

そして、波が引くように音が遠のいていった。

「ルーラ、僕は」

ベルトルト、先手は僕が取らせてもらうよ。

ずっと我慢してきたんだ。

そのくらいは、許されるだろ。

「ルーラが好きだよ」

ずっと、ずっとずっと前から、好きだったよ。





(20140823)


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