at the time of choice 番外編

the Land of Nod―華胥の国―


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新兵が入団して半月が経った頃だろうか。

私は迫りつつある壁外調査の最終調整と並行して雑務を処理しており、数日間ほとんど睡眠を取っていなかった。

執務室を訪れたハンジが私を労ってお茶を入れてくると言うので、好意に甘え一息ついた。

しばらくして、執務室のドアがノックされる。

「入ってくれ」

失礼します、という控えめな応答の後、恐る恐るといった様子でドアが開いた。

片手にティーカップを持って姿を見せたのは、見慣れない顔の女兵士だった。

新兵か、と私は思う。

その新兵は緊張した面持ちで私に礼をした。

「お茶をお持ちしました」

「ああ、すまないな。ハンジに頼んだと思ったんだが」

「ハンジ分隊長はモブリットさんがお呼びでしたので、私が代わりに」

「そうか、ありがとう」

おずおずとデスクに近寄ると、カップを置いてもう一度礼をする。

そして、物珍しかったのか、ふと室内を見渡した。

「大したものもないだろう?」

「あっ、すみません!不躾に」

「構わないよ」

新兵は私に視線を戻す。

そしてその顔に僅かな影を落とした。

「あまり、寝ていらっしゃらないんですか?」

私は虚をつかれて少し驚いた。

「そんなに酷い顔をしているかな」

新兵は慌てる。

「いえ、ハンジ分隊長がそうおっしゃっていたので」

私は苦笑した。

わざわざ新兵に伝えることではないだろう。

「分隊長がおっしゃっていました、ちゃんと眠るように、と」

私はいっそう苦笑する。

「ハンジに言われても説得力がないな」

新兵は困ったような笑みを浮かべる。

「きっとそう言うだろうから、私から伝えるようにと言われたのですが…新兵がいきなり団長にそんなこと、その…」

私は小さく笑った。

「事情はわかった。忠告痛み入る」

新兵は恐縮して縮み上がってしまった。

「そんなに緊張する必要はないよ」

「は、はい。あの、でも…本当に睡眠は大事です。ですから…」

私は頷く。

「わかっている。ちゃんと眠ることにしよう」

新兵はふと何かを思いついた様子で目を泳がせた。

「団長は『華胥(かしょ)の夢』ってご存知ですか?」

「華胥の夢?」

「昔話なんです。
ある国の王様が、何年も善政を敷いていたんですけど、ある時、国の治め方がわからなくなってしまったんです。
それで、寝る間も惜しんであれこれ試行錯誤して国を良くしようとするんですけど、上手く行かない。
そのうち、疲れて眠ってしまったんですね。
王様はその夢の中で、華胥という人が治める国に行くんです。
華胥の国はまさに、王様が理想とする国で、その夢の中で、王様は自分の国の未来の在り方と、そこに至るまでの道筋を悟るんです。
そして目を覚ます。
それからというもの、その国は長い間よく治まったといいます」

「ほう」

私はなんとなく新兵が言いたいことがわかって目尻を下げる。

「つまり、ええと…眠ることによって、自分の理想が見えることもあるというか、何かいい考えが浮かぶこともあるというか…」

「眠ることによって得られるものもあるということだね」

新兵は顔を明るくした。

「はい」

そして、視線を移す。

窓の外の鳥を見ているようだ。

「どんな動物でも眠ります。それが必要で、大切だからです。脳を休ませなきゃいけないんです。睡眠を軽視するのは人間だけです。それは多分、とても愚かなことです」

私は目を丸くした。

今まで、睡眠というものについて深く考えたことなどなかった。

そんな暇もないと思っていた。



どんな動物でも眠る。

睡眠を軽視するのは人間だけ。


なるほど、そう言われると、自分がいかに睡眠を軽んじていたかに思い及ぶ。

新兵はハッとして、みるみる青ざめていった。

「す、す、すみません!団長のことじゃありません!決して!分をわきまえない物言いでした!そもそも、睡眠もままならないほどお忙しい思いをしているのに!本当にすみません…!」

新兵は今にも泣き出しそうな顔をする。

私は宥めるように微笑んだ。

「いや、君の言うとおりかもしれない」

いえ、本当にそんなつもりは、と新兵は項垂れてしまっている。

「君、名前は?」

新兵は勢い良く顔を上げた。

姿勢を正して敬礼する。

「第104期南部地区訓練兵団卒業、ルーラ・クローゼです!」

「ルーラ、君が私を心配してそう言ってくれているのはわかっているよ。ありがとう。私は団長として、その思いに応えたいと思う」

ルーラは目を見開いて口を大きく開けた。

「え!えっと、そんな…!」

「それから」

ルーラの反応が愉快だったこともあり、私は笑みを大きくする。

「お茶をありがとう」

ルーラはしばらく顔を強ばらせたまま硬直していたが、私がもう一度努めて穏やかに微笑んでみせると、ようやく顔を綻ばせた。

「はい」

失礼します、と一礼して彼女は部屋を出ていった。



急に静まり返った執務室で、私は彼女が置いていったお茶を口に運ぶ。



――華胥の国、か。

その国は果たしてどんな国なのだろうか。

王が理想と見たその国は、私にとってどのように映るのだろうか。

それとも、人によって辿り着く『華胥の国』は違うのだろうか。

一度、行ってみたいものだ。

だが、私は気付いた。

それはなかなか難しいかもしれない。

私は夢を見ない。

もう何年も、夢というものを見た記憶がない。

夢がどんなものであるかも、もう忘れてしまった。

もし、理想の国というものが夢の中にしか現れないとしたら、私にはそれを見る手段がないということだ。

それは少々残念なことであった。

が、見られないのであれば仕方がない。

実現不可能なことに後ろ髪を引かれている暇はないのだ。



私はただ、今、人類のために必要だと思うことをするだけだ。

それが、将来の理想の国に住まう人類から見て如何に非人道的であろうと、現在の人類にとってさえ受け入れ難いことであろうと、必要性があると判断すれば、実行する。

それが自分の使命だと思っている。



私はゆっくりと目を閉じ、それを開いた。



現実が喧騒を連れて戻ってくる。



私の姿を認め、動ける兵士たちが立ち上がった。

憔悴しきった顔でこちらに駆けてくる。



ルーラの背中に走った赤黒い一文字の残像が頭を掠める。



君は今、華胥の夢を見ているか?

君は今、華胥の国にいるのだろうか。

そこには何がある?

君には、何が見える?





(20140112)
―十二国記シリーズ、ついに『華胥の幽夢』まで発売されたぜ!記念―
→あとがき



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