07.please tell me the answer
ライナーは斜め前に座るルーラの後ろ姿を眺めていた。
黒板に書き出されていく文字に合わせて頭を動かしながら、時折、横に座るサシャと二言三言言葉を交わしている。
ふと隣に目を移すと、ベルトルトの視線も彼女に向いていた。
口元で小さく笑って、頭を教壇に戻す。
先ほどの彼女とのやり取りを思い返す。
そして、ベルトルトとの一昨日のやり取りを思い返した。
自分の同胞は、彼女は、この先どうなっていくのだろう。
自分は、どうすべきなのだろうか。
見守るべきか。
それとも、止めるべきか。
ライナーは判断できずにいた。
「安心するんだ。ルーラに触れていると、自分が許されたような、そんな気持ちに、なるんだ」
ベルトルトは言った。
穏やかな目をしていた。
そうかよ。
ライナーはからかうように笑った。
だが、ベルトルトの表情は徐々に青ざめていく。
「でもそれは幻想だ」
ライナーは押し黙った。
それが動かしようのない真実だと、痛いほどにわかっていたからだ。
そう、ベルトルト自身もわかっているのだ。
でなければ迷わず止めている。
だが、わかっていても歩を進めてしまうのだ。
強い引力に惹き寄せられるように。
仮初の救いは、いつだって穴を開けて待ち構えている。
まるで餌を絡め取る罠のように。
「僕には彼女と向き合う資格がない。わかってるんだ。なのに、彼女が笑うと…抗えなくなる。僕は彼女を利用してるんだ。彼女を利用して、自我を保っている。卑怯者だ」
一度罠に絡め取られれば、途端に身動きが取れなくなる。
もがけばもがくほど罠は絡まり、体に喰い込んでいく。
そこから抜け出すことは、もはや不可能なのかもしれなかった。
厄介なことに、仮初のはずの救いは、罠に引きずり込まれるほどに、真実へと近づいていく。
ライナー自身も、時々、自分がわからなくなることがあった。
過酷な訓練をこなし、同期と語り合っていると、自分が本当に兵士であると錯覚する時があるのだ。
会話を交わすとわかる。
一人ひとりに個性があり、長所があり、短所がある。
人によって相性があって、時に衝突し、時に補い合いながら少しずつ結束が固まっていく。
そんな日々に、高揚し、胸が熱くなった。
そんな時は、本来の使命感も罪悪感も消えていた。
そして、そのことに自分自身気付いていないのだ。
ベルトルトに諭される度にハッとする。
立ち位置が、揺らいでいた。
もう、自分も罠にはまっているのかもしれなかった。
「ライナー、僕はどうしたらいいんだ」
彼女の傍にいるようになって、ベルトルトには表情が増えた。
それまでは、何者にも心を開かないと決めた頑なな小動物のように、感情の起伏に乏しかったベルトルトだが、いつからか、枠の中に収まっていた感情が外に漏れ出すようになった。
笑顔が増え、落胆の表情が浮かび、不満も口にするようになった。
喜怒哀楽の差が目に見えるようになった。
ライナーはそれをいい傾向だと思っていた。
でも、今はもうわからない。
「俺たちは、故郷へ帰る」
ベルトルトは肩を揺らしてライナーを見た。
「必ずだ。その時、お前はどうしたいんだ」
苦悩の表情が浮かんだ。
彼の心情がありありと感じ取れる痛々しい表情だった。
ベルトルトを笑顔にさせるのも彼女なら、彼に苦悶の表情をさせるのもまた、彼女なのだ。
「どうしたい…んだ…僕は…。僕は…一緒に…」
言葉が切れた。
これ以上は決して口にすることは許されないと、自分で一線を引いたのかもしれなかった。
「攫ってくってんなら、手伝うぞ」
ライナーはなるべくさりげなく聞こえるように言った。
ベルトルトは、きつく目を瞑る。
「ダメだ。彼女がそれを望まないなら、ダメだ…」
望まれない。
彼の前提は最初からそれのようだった。
固く閉じられた瞳は、もうどんな現実も映したくないと、そう語っていた。
彼女はベルトルトの支えで、救いだ。
だが同時に、彼女はベルトルトを壊す。
ライナーは焦燥感に胸を騒がせながら、それでもどうすることもできずに、ただ成り行きを見守るしかなかった。
何かをなすのが最善か、何もなさないのが最善か。
そんなこと、わかるはずもない。
(20131005)
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