26.please hurry up
覚悟を決めたというベルトルトの言葉とは裏腹に、ルーラにはまだ意識があった。
息は苦しい。
だが、少量ながら酸素は入ってくる。
彼の両手は躊躇っていた。
月の位置が変わったのか、雲が晴れたのか、月明かりが窓から差し込んできた。
ベルトルトの黒髪が淡く透ける。
彼の頬を涙が伝うたび、揺らめきながら光が走った。
綺麗だ、とルーラは思った。
苦痛に顔を歪めて泣く彼はひどく美しい。
時に悲痛な叫びは、身震いするほどの美をその内に宿す。
研ぎ澄まされた刃物のような痛みは、いっそ神々しくすらあった。
そしてどこまでも悲しい。
ルーラは声を絞り出した。
「それじゃ、死なない。わかるでしょ」
ベルトルトはほとんど恐怖に近い表情を浮かべる。
ライナーが息を飲む音が聞こえた。
「早く、して。苦しい、よ」
「ルーラ…僕は…」
苦しさに引きつる顔に、懸命に笑みを浮かべる。
「私には、選べない。どちらも、裏切らないですむなら、それが、一番いい」
ベルトルトはわなわなと痙攣した。
「ルーラ…許してくれ…」
「いい、よ。わかってた」
すすり泣きが涙とともに落ちる。
「ルーラ…ルーラ…」
両手が激しくぶれた。
「もう止せ!」
堪り兼ねたライナーがベルトルトを突き飛ばした。
ベルトルトは、今度はあっさりと床に転がる。
解放されたルーラの喉は、即座に肺に酸素を送り込もうと気道を広げた。
喘ぐように呼吸を繰り返しながら、床に倒れこむ。
覚悟は決めたと思っていたが、やはり生に対する反射が一番強い。
ライナーがルーラを支える。
「大丈夫か」
ルーラは小さく頷いた。
ベルトルトは床に倒れたまま肩を震わせて泣いていた。
ライナーは、まだ息の整わないルーラの肩を二度叩いて、ベルトルトに歩み寄る。
「ほら、ベルトルト」
「僕は…僕にはできない…」
「ああ。わかってる」
ライナーはルーラを振り返った。
「ルーラ。これからも今までと同じように俺たちと接しろとは言わない。だが、一つ心得ておいてくれ。この人類全てが人質だ。お前が俺たちのことを話せば、その場で人類を襲う。容赦はしない」
「…あなたたちにばれないように、捕獲作戦を組むかもしれないよ」
「そうなれば、ベルトルトが拷問されて死ぬだけだ」
ルーラは唇を噛んだ。
目を伏せ、まだ力の入らない拳を握る。
「私に…あなたたちと人類の両方を裏切れって言うの…?」
「…そうだ」
「酷いよ」
「…そうだな」
「…酷いよ」
人類滅亡の危機に繋がる重大事を黙秘し、かと言って、人類を捨ててこの二人に寄り添うこともできない。
酷いのは自分の方だ。
巨大樹の森でアルミンが言っていた。
何かを変えるためには、大事なものを捨てなければならないと。
何もかもが自分の望むとおりにはならない。
だから、決断し、選び取らなければならない。
自分にとって一番大切なものを。
ルーラはそれができないでいた。
このままでは、そのどちらをも失ってしまうという強い焦燥感を覚えながらも。
どうして決められる。
何を基準に選択すればいい。
郷愁か。
愛情か。
過ごした時の長さか。
思い出の数か。
それはあまりに複雑に絡み合っていて、解きほぐすことなどできない。
だが、おそらく決断の時は早々にやってくる。
時は、ルーラの迷いとは無関係に流れ続けているのだから。
(20131024)
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