AOT短編

僕らの最終定理


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「フェルマーの最終定理?」

「そう、フェルマーは数学者としてはアマチュアだけど、いわゆる天才だったんだ。プロが何年かけてもできない証明をあっという間にやってのけたり、プロに挑戦状を送りつけたりもしていた。私はこれを証明した、お前にはできるか?ってね」

「ずいぶん挑発的な人だったんだね」

リアの言葉にアルミンは笑った。

「人をからかうのが好きだったみたい」

アルミンは続ける。

「そんな彼も、アマチュアだったってこともあって、特に数学界で脚光を浴びることもなく、静かにこの世を去ったんだ」

一呼吸置く。

「ところが」

リアは、彼の瞳の中に爛々と光が宿ったことに気付いた。

その声は好きなことに没頭する子どもそのものだ。

「彼の息子が出版した本がきっかけで、彼はまた注目を集めることになるんだ」

リアは、こういう時のアルミンって男の子に見えるなぁと、話には関係のないことを考える。

アルミン自身のことが気になって、相槌の方は適当だ。

「どうして?」

「その本の中に『父が証明をしたとメモを残しているけど、肝心の証明方法が残存していない定理の一覧』っていうのが載ってたんだ」

リアは首を捻る。

「それじゃ、嘘か本当かわからないじゃない」

アルミンは頷いた。

「でも、数学者たちはそれが事実だと信じた。彼は、一度として、嘘の定理を送ってきたことはなかったからだ。プロの数学者が証明できなかった定理でも、彼が『証明した』と言った時、それは確かに真実だった 」

「へえー」

「こうして、多くの数学者たちが、残された定理の証明に挑戦したんだ。それは困難を極めたけれど、少しずつ、着実に証明されていった。ところが」

ここでまた一息。

アルミンは話が上手い。

間合いが絶妙だ。

「一つだけ残ってしまったんだ。どうしても証明できない定理が一つ」

そぞろだったリアの心はクンと惹かれる。

たった一つとか、どうしても解けないとか、そういう言葉はいつだって人を興味に駆り立てる。

「どんな?」

アルミンもちゃんとそれがわかっていたようで、満足そうに笑う。

「それは、口にするだけならなんてことない、簡単な数式と定理なんだ。だけど、それをきちんと証明しようとした途端、悪魔的難問になってしまう。不思議だよね」

アルミンは数式を書いて定理の説明をしてくれた。

「ふうん、確かに言ってることは簡単だね。私でもわかるもん」

アルミンは頷いた。

「けれど、数学者たちが手を尽くしても証明できない。そして、それはいつしか『フェルマーの最終定理』と呼ばれるようになったんだ」





――誰にも証明できない定理、最後まで解けない定理、それが最終定理。



この世に証明できないことなど、いくらでも存在する。

私は思った。

さしずめ、私にとっての最終定理は「アルミン=私のことが好き」だ。



これは色々な人に言われることで、意味を理解すること自体は簡単だけれど、私にはそれを証明することができない。

きちんと証明しようとすると、それは悪魔的に難しい。

それが真実なのか知りたくて仕方がないけれど、みんなは定理を示すだけでそれを証明してはくれない。

私は知りたいのだ。

だって、証明方法が見つからないなら、その定理は存在しないのと同じだ。

いや、私を悩ませる分、存在しないよりもたちが悪い。



柔らかそうな黄金色の髪が視界の端で風になびくのを捉えただけで、鼓動は大きく跳ね、喉がきつく締まった。

キラキラとその場に光を残して去っていく彼は、私にとって、気まぐれに幸運を運んでくる妖精みたいだった。

開拓地で苦労して育てた小麦の穂が、陽光を受けてあんな風に輝いていたっけ。

それはこの色褪せた世界で、私を感動させてくれた数少ない出来事だ。



彼がその中性的な声で私を呼ぶと、周囲の温度が途端に上がった。

足が、身体が、地面から浮かび上がったような心持ちになる。

胸の中に、綿のように軽やかな感情がいくつもいくつも吹き上がる。

私はそれらを丁寧に、慈しみを込めて包み抱くのだ。

そしてそれは、そっとひとまとめにすると「愛しい」という言葉になる。



好き。

アルミンが好きだ。



アルミンも、私に同じような想いを抱いていてくれるのだろうか。

私のことを好いていてくれるのだろうか。

どんなに周りにそうだと言われても自信がない。



知りたい。

その定理を証明する答えが、どうしても。




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