それでも飛ぶ
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「嘆くのは後にしろ」という言葉は、その場では、互いを鼓舞するために投げかけられ、奮起を後押しする力となる。
しかし、「後」になって思い知る。
この言葉が、ただ士気を高めるための道具ではないということを。
命からがら兵舎へ戻り、今回も命を拾ったと、恐怖とともに安堵する。
そして気付くのだ。
同室だった人間が、もういないことに。
そうなるともうダメだ。
胃がねじれて引きちぎれそうになる。
嘔吐感が湧き上がってきて、足が震え出す。
知らないうちに流れていた涙は、身体中の水分がなくなるまで止まりそうになかった。
狭くて文句を言っていたはずのその部屋は、あまりに広大で空虚だった。
ベッドの掛け布団は、だらしなく朝起きた形のまま残っている。
机の椅子の背もたれには、寝巻が乱暴に掛けられており、机上には、暇を見つけては投げて遊んだ蹄鉄と家族の写真、それから恋人の写真が置かれていた。
昨日も恋人の惚気話を聞かされ、いらいらしながら適当に相槌を打ったばかりだ。
聞いてるのか、と不満げな顔をされて、呆れて話を切り上げてしまった。
もう少し、ちゃんと聞いてやればよかった。
笑顔が素敵なのだと、はにかんでいたのだけは覚えている。
何の拷問か、遺品の整理は同室の人間の仕事だった。
与えられた小箱に私物を選別しながら詰めていく。
全ての物を遺品として親族に届けられるわけではない。
キリがないし、郵送費にも限りがあるからだ。
だが、一つ一つの物に対するあいつの執着心や想いの強さを果たして汲み取ることができるだろうか。
いや、不可能だ。
今まさに、あいつの最も重要な品を不要の物として処分しようとしているかもしれない。
それでも、自分の判断で選別するしかない。
――あいつはだらしないくせに、自分の物を人にいじられるのが嫌いだったな。
最初はよくトラブルになった。
自分のスペースとはいえ、あまりに汚く散らかすので、見るに堪えず勝手に片づけたことがある。
親切のつもりだったのに、烈火のごとく怒られた。
自分なりのルールがあって物を配置しているのだとか。
知ったことではない。
が、その後何度試しても折れなかったので、そのうち諦めた。
お前は、オレがこんなに好き勝手に物をいじっても、もう何も言わないんだな。
そう思ったら手が震えてきた。
その人物が生を終えた時、その存在と生き様を示すのに、遺品は大きな役割を果たす。
――どうやらお前の存在と生き様を決めるのはオレらしい。恨むなよ。
そして、この箱の蓋を閉めた時点で、兵団におけるこいつの存在は消える。
箱の中に水滴が落ちた。
慌てて顔を背ける。
背けた先に、また水が溜まった。
犬の遠吠えのような声が耳障りだと思っていたら、自分の声だった。
じゃあな。
さよならだ。
数週間後、新たな人員がこの部屋にやってきた。
まだ子どもを卒業したばかりの若い兵士だ。
自分もつい最近までこの立場だったことを思い出す。
「今日からよろしくお願いします!」
「ああ、よろしくな」
「はい!」
あいつの場所だったベッドや机には、若い兵士の私物が置かれていく。
時は、こうして過ぎていくのだ。
いつか、自分の私物をこの兵士が整理することになるかもしれない。
あるいは、別の誰かが。
「お前はどうして調査兵団に来た?」
「巨人は脅威です。脅威だからこそ、立ち向かわなければならない。そう思いました」
「死ぬかもしれないぞ。恐くはないのか」
「恐いです。恐いから、死にたくないから、戦う術を身につけたいんです。壁の中に籠っていれば、壁が機能しているうちは安全かもしれません。でも、一度侵入を許してしまえば、成す術もなく食われるしかない。そして、壁が決して完全無欠ではないということは、五年前に思い知りました。巨人と対峙した時、巨人に立ち向かう人間がいなかったら、人類は全滅するしかないんだ。この兵団の存在は、人類の希望なんです」
そうだ。
こんな新兵でもわかっている。
戦わなければ、未来は無いのだ。
「そうか。せいぜい死なないように励めよ」
「はい!」
こいつはまだ若い。
死なせたくはない。
だが、他人の命を心配していられるほど、巨人との戦いは甘くない。
自分の命を守るだけで精一杯だ。
だから強くなれ。
そして生き残れ。
一人でも多く。
巨人に一矢報いるために。
巨人との戦いは熾烈だ。
多くの人間の命が失われる。
同室だった人間も、簡単にいなくなる。
だが、だからこそ、戦いを止めるわけにはいかない。
失われた人間の命は、生き残った人間の肩に乗っているのだ。
だから兵団は何度でも壁外へ赴く。
だからオレは、命ある限り、飛ぶ。
――fin――
→あとがき
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