空蝉の涙
(2/3)
「リア…抵抗しないでくれ」
私の必死の形相に動揺したのか、今まで無機質だったベルトルトの声がかすかに揺れた。
「私だって、兵士の端くれなの。人類に危険が忍び寄ってるのを知ってるのに、そのまま何もしないなんて、できないよ」
「なら!最初から教官に知らせるべきだったんだ!」
ライナーが声を荒げる。
「きみのその判断ミスのおかげで、僕たちはこれからも兵士として過ごせるし、きみの仲間たちは危険にさらされながら過ごすことになるんだ」
ベルトルトの台詞は、自身を戒めているようにも聞こえる。
私は唇を噛んだ。
短刀を握った手が震える。
「そう――なんだろうね」
「残念だけど、ごめん、諦めてくれ」
私は引きつった笑みを浮かべた。
笑ってはいたが、それは恐怖の表情に他ならなかった。
「人類は!ただ巨人の餌にされるためだけに生まれてきたんじゃない!生きるために!生まれてきたのよ!諦めてくれって言われて、そう簡単に、諦めるわけないでしょ!!」
私は短刀を胸の前に構えた。
「エレン、ミカサ、アルミン、ジャン、マルコ…みんな…」
祈りのように仲間たちの名を呟き、地面を踏みしめる。
その瞬間、ライナーが動いた。
目が合った一瞬、彼が泣きそうな顔をしているのが見えた。
短刀はいとも簡単に弾き飛ばされ、体が宙に浮く。
そのまま地面に叩きつけられた。
頭を強かに打つ。
痛みで息が止まった。
ライナーは私に馬乗りになった。
私はかすんだ瞳でライナーを見上げる。
「ラ、イナー…」
「恨んでくれて構わん」
喉元には、私が持っていた短刀があてがわれる。
試しに抵抗しようとしたが、びくともしなかった。
もはやここまで、と私は全身の力を抜く。
「ライナー…」
「すぐに済む。痛くはない」
私は薄く笑った。
私にしては、割と頑張った方だ。
結果はやはりこうなってしまったけれど、やれるだけのことはやった。
だから、兵士としての自分には、もう別れを告げていいだろう。
一人の人間に、個人という存在に戻ろう。
「ライナー、あのね」
最期に。
「好きだったよ」
ライナーの瞳孔が収縮した。
目は大きく見開かれていく。
「あなたのこと、好きだったの。笑えるでしょ?」
沈黙が降りた。
ジ、ジ、という息の切れかかった電球の音だけが空気を震わす。
点滅を繰り返す室内で、ライナーの表情はコマ送りのように変わった。
罪悪感と背徳感、そして抵抗感がまざまざと滲み出す。
真剣な眼差しが好きだった。
洗いたての白いシャツみたいな笑顔も。
外見に似合わない優しい口調も。
ずっと好きだった人の心は今、間違いなく自分だけで占められている。
彼をここまで苦悩させ、傷つけているのは私だ。
そのことが場違いに嬉しかった。
もう満足だ。
やがて短刀がカタカタと音を立て始めた。
振動で食い込んだ皮膚が裂け、血が喉元を滑り落ちていく。
「俺は…」
かすれた声で低く唸る。
その様子は、今まで見たどんな彼より色っぽかった。
足音が近づいてくる。
大きな影が覆い被さった。
「ライナー」
その声は穏やかだった。
慈悲さえ感じられた。
ベルトルトは震えるライナーの手に自身の手を添える。
「リア…ごめん」
短刀に力がこもった。
ライナーの悲鳴が、聞こえた気がした。
ライナーは頭を抱えて蹲っている。
僕はリアの首に布を巻き、薄く開いたままの瞼をそっと閉じて、床に横たえた。
閉じた瞳からは、一筋の涙が伝う。
僕はその雫がつくった染みをしばらく眺めていた。
そして、おもむろに側にランタンを置く。
これは事故だ。
ランタンの火が誤って不用品に燃え移り、小屋にまで火が回ってしまった。
建付けの悪くなっていたドアが開かず、リアは逃げ遅れたのだ。
不幸な事故だった。
机や棚についた傷や血の痕は、全て燃え尽きてしまうだろう。
僕は無感情に、傍にあった縄に火をつけて燃えやすそうな木材に投げ込む。
そして、呆然自失の状態のライナーを半ば引きずるようにして外に出た。
やがて窓の中が明るく波打つ。
小屋全体に火が回り、焔がはぜる音が聞こえ始めた頃、ライナーはようやくハッと顔を上げた。
そして、驚愕に目を剥く。
「お、おい!小屋が燃えてるぞ!あそこには…リアがいるんじゃないのか!?」
僕はひとつの予感と共にライナーを見つめる。
「うん…そうかもしれない」
「かもしれないってお前!」
ライナーは走り出した。
小屋に辿り着くと、ドアを開けようと体をぶつける。
火のついた木片が降り注いだ。
ドアには内側からストッパーをしておいた。
そう簡単には開かない。
僕はライナーを羽交い絞めにして小屋から引き離した。
「ライナー!無理だ!ここまで火が回ってしまったら…もう!」
「リアを見捨てろっていうのか!?」
「ライナーまで死なせるわけにはいかないって言ってるんだ!」
今のライナーに、中の様子を見られるわけにはいかなかった。
ライナーは拳を振り下ろした。
「クソッ!!とにかく消火だ!人を呼んで来る!お前は教官に知らせろ!」
「わかった!」
僕は全速力で宿舎へ走るライナーを疲労感と共に眺める。
こういうことがある度に、ライナーは記憶を、僕は心を無くしていく。
いつまで続くのだろうか。
この地獄は。
この地獄の先に、僕らの望む未来があるのだろうか。
(20131211)
→あとがき
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