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もしも運命ならば

 部屋を掃除したら?

 母のその一言で部屋を掃除することが決まった。
 私は基本的にものごとに無頓着で、あまり気にしたりしない。と、いい感じに言っているが、ようはずぼらというわけで。母がそう言ったのは私の部屋の足の踏み場のないその有様に、大げさにため息をついたことから始まった。
 ちょうど季節の変わり目で、部屋が綺麗になるならまあいいかと掃除し始めたがいいが、これが厄介だった。

「終わらない…」

 終わりが見えなすぎて笑いがこみ上げてくる。片付けても片付けても片付かない。部屋の収納はもういっぱい。捨てるものだって相当捨てた。なのに、なぜ。



 ため息を一つこぼして、私は気分転換に別の片付けをすることにした。洋服の整理だ(なぜなら洋服箪笥の中はほぼ整頓ができているからラクチンなのだ)。
 洋服は割と好き。季節の変わり目には必ず新しいものを買う。大きい箪笥にはお気に入りの洋服がきちんと入っていた。次の季節の物を前の方へと出す。
 その作業を繰り返していると、見慣れないものを見つけた。

「これは…?」

 膝より短めのスカートで、洋服好きの私なのに、見覚えがなかった。
 いつ買ったものだろうか。最近では落ち着いたワンピースや膝丈のスカートなどを着ること多いので、これはおそらくだいぶ昔に買ったもの。たぶん、中学生ぐらいだと思う。

「どう? 片付け終わった?」

 母がひょっこり顔を覗かせた。部屋をぐるりと見通して苦笑いを浮かべる。

「ね。母さん。このスカート見覚えある?」
「んん? 前に私が買ってあげたやつじゃない」
「あ、やっぱり」
「すっごいダサいから、買うのやめなさいって言ったのに聞かなかったじゃない」
「えっこれダサい?」
「ダサいダサい」

 目の前に広げて見てみる。確かに色使いはなかなか奇抜だけれど、ダサくはないと思う。

「そんなことより、早く片付けしなさいよ」
「はぁい」

 生返事に母はまたため息をついて、部屋を出て行った。
 一度も履かなかったから覚えがないのかもしれない。
 私はスカートをとりあえずベッドの上に置いて、片付けを再開した。







 彼は、とてもとてもむっとしていた。彼にしては珍しく、というかそんな表情するのかと失礼ながらも思ってしまった初デート。私は恐る恐る訳を訪ねた。

「あの、どうかした?」
「スカート」
「え?」
「スカートが、短すぎます」
「えっそう?」

 とぼけているが自覚していた。というか狙ってこれを履いてきた。
 目立つ柄のスカート、しかもミニ。初デートということで気合を入れてきたのだけれど、どうやら柳生くんには受けが悪いようで、私は途端に恥ずかしくなった。

「ええ」

 声のトーンが暗い。怒っているのかもしれない。どうしよう。

「ごめん。まさか、そんなに怒るだなんて思わなくて…」

 素直に謝れば柳生くんはきっと許してくれる。そう思い、頭を下げた。なんなら今すぐ新しい服を買ったて、家に着替えに戻ったっていい。嫌われたくなかった。

「怒る…? 私が、ですか?」
「え?」
「怒っていませんよ。少々不機嫌になっていたかもしれませんが」
「そ、そう…」

 柳生くんは私を安心させるようににっこり笑った。つられて私も笑う。さっきまでの嫌な空気が吹っ飛んだ。

「私が不機嫌になっていたのは、あなたのスカートの丈が短すぎるので、デートで寒い思いをさせるのが嫌だったのです。…初デートが寒い思い出で終わるのは、嫌でしょう?」

 驚いた。柳生くんは私のことを考えて、顔をしかめてくれたのだ。そして、同時にどうしようもなく嬉しくなった。この出来過ぎな彼氏を周りにいる人に自慢して回りたくなった。

「…提案なのですが」
「うん」
「今日のデートは私の家で――所謂お家デートというのはいかがでしょう?ちょうど母の焼いたケーキもありますし、あなたに私の妹を紹介したいです」
「いいの?」
「あなたさえ、よければ」

 こんな素敵なお誘いを断るわけがない。私たちは寒い冬の中身を寄せ合いながら、早足に柳生くんへの家へと向かった。







「さち!」

 はっと目が覚めた。いつのまにかベッドに顔を埋めて寝ていたみたい。起こしてくれた母の方へ目を向ける。

「ばかさち。部屋の掃除、中途半端にして。せめてベッドの上片付けないと眠れないわよ」
「うん…」
「寝ぼけてないでホラホラ! 起きなさい」
「はぁい」

 そうか。思い出した。

 目をこすりながら私は身体を起こした。
 そして目に入ったスカート。あの日、あれ以来履いていないスカート。思い出の品なのに、忘れていた。
 じわじわと胸の奥に広がる懐かしさ。まだ中学生だった。中学生でできることなんて限られていたあの頃。彼氏は規律に厳しい人で、さらに有名テニス部のレギュラー。二人のリズムは合わなくなって、分かれてしまったのは確か夏前ぐらいだったと思う。付き合って半年だった。
 とても円満な別れ方をした。柳生くんはストイックな人で、勉強、部活、恋愛、どれもこれもやるのは無理だと私に謝った。彼の夢も語ってくれた。大会で優勝すること、将来医者になりたいということ、そのためには勉強しなくてはならないこと、そうすると、私のことが後回しになってしまうかもしれないと。そんな不誠実な彼氏は、私にはふさわしくない、だから、お付き合いはもうやめにしようと。
 私は納得した。彼らしいと思った。とても短い期間だったけれど、彼のことをたくさん知って、だからこそ、彼の負担になりたくなかった。

「夢、叶えてね。私、応援してる」
「佐藤さん…」

 ありがとうございます。
 悲しそうに、でも力強く言った彼のその声は、まだ耳に残っていた。



 彼は夢を叶えただろうか。あれからもうだいぶ時間が経った。きっと、彼なら夢を叶えている。
 お人好しな彼のことだから嫌な顔ひとつせず、仕事に打ち込んでいるはずだ。
 あれから色々なことを経験した。彼以外の人ともおつき合いはしたし、この人とならと思える人にも出会ったことはあった。でも、結局どれも中途半端でうまくいかなかった。
 きっと結婚とかを考えたら柳生くんみたいな人がいいんだと思う。彼氏にしても完璧だったのだから、夫にしたらそれはますますその役を全うするだろう。
 でも、なんとなく、そんな完璧な柳生くんも、あまりに完璧すぎるせいで、長続きしていないような気がした(だいぶ失礼なことを考えている自覚はある)。
 おそらくだけれど、女の子にとって彼のようなカンペキ人間は刺激が足りないんだと思う。それこそ、柳生くんのダブルスパートナーだった仁王くんみたいなミステリアスな影のある人の方が刺激的で楽しい、そんな気がした。
 思えば私が柳生くんの後に付き合った人はどちらかといえば仁王くんタイプだった(もちろん彼ほど怪しくはないが)。
 退屈はなかった。退屈は、ないけれど、いつも気をつかっていた。自分らしさを出したら嫌われるのではないかと思って、理想の女の子を演じていた。
 過去数年の私は、私らしさに欠けていた。それでいいと無理に納得させていた。
 それが、別れの原因なんだと思う。いや、どっちみちうまくはいかなかったはずだ。いずれ無理が生じて、どこかで歯車が狂ってしまったに違いない
 柳生くんは、理性的な人だっけれど、臆することなく、個性を出していた。口調、態度、心持ち、すべてが彼の筋の通った信念から成り立っていた。だからこそ私は憧れ、彼の申し出を受け入れた。別れの時も、すんなりといったのは後にも先にも彼だけだった。
 スカートが目に入る。ダサいのだろうか。柳生くんはどう思っていたのだろう。私はこのスカートが好きだ。履かなかったのは、どうしてだろう。忘れていたから? やっぱり好きじゃなかったから? 柳生くんと別れた腹いせ? そもそも私は怒っていたの?
 当時の自分の気持ちなんで、もううまくは思い出せない。憶えているのは、彼の表情と声色、そして胸に残った清々しさと少しの寂しさ。思い出すと、なんだか切ない。
 息を吐き出す。暖かい吐息が、寒い部屋に溶け込んでいく。
 私は衝動的に携帯を取っていた。液晶に光が灯って一瞬迷う。私は何を。でも、そんなのはすぐに消し飛ばした。今まで自分を抑えてきたんだ。ここで失態を犯したって、誰も咎めやしない。
 もつれる指を叱咤し、操作を進めて、私は携帯を耳にかざした。

 もしも、もしも出てくれたらそれはラッキーだ。

 もしも、もしも出てくれなかったらそれはアンラッキーだ。折り返し電話があるかもしれない。それには出る気はなかった。

 そもそも、携帯の番号が変わってないとは限らない。

 そうだ、出たらラッキー。携帯の番号が変わっていなかったらラッキー。この時間に仕事をしていなかったらラッキー。していても、休憩時間ならラッキー。

 もしも、私のことを忘れていたら?

 そんな意地悪な声が聞こえてくる。私は彼の人生に大きな影響は与えられなかったと思う。印象は薄い。ちょっと特殊な時期に付き合っていただけで、それ以外は何も。結局別れてしまったし、別れた後だって、違う学校に進学した私と彼とでは連絡さえ取らなかった。
 ああ、切ない。私はこんなに彼のことを思い出しているのに。こんなに彼のことで胸がいっぱいなのに。あのきれいは声で、あなたは誰ですか?なんて言われたら立ち直れないかもしれない。中学生の時付き合っていた人のことを考えて、私はどうしてこんなに泣きそうになっているの。
 期待と不安で動機が早まる。柳生くんの笑った顔が思い浮かんだ。
 私は彼の笑う顔が好きだった。決して大声を立てたりはしない、静かに彼は笑う。けれどそれはみんなに見せる顔。本当の彼は子供のように、心底嬉しそうに笑う。控えめに笑うのは、紳士のイメージを崩さないためだといつか言っていた。それにこの笑い方は子供っぽいですからとも言っていた。柳生くんらしい。でも同時にその柳生くんらしさが彼の良いところを殺しているとも思った。私だけしかその笑顔が見られないというのには、嬉しくなったけれど。
 もし出てくれたらなんと言おう。急に電話してきた元カノ――彼が憶えていたらだけど――に彼は困惑してしまうかもしれない。懐かしくなったからといえばいい。仕事で忙しいといわれれば、諦めてまた別の日にするね、とお決まりの言葉を残して、電話帳から彼の名前を消せばいい。

 とにかく私は今彼の声が聞きたかった。

 運命なんでものは普段は信じない。でも、今日はその運命に、スカートを見つけたことから始まる奇妙な運命に、身を委ねて見たくなった。
 だからチャンスはこの一回。もしも運命とやらが私を見捨てたなら、清く諦めよう。仕方がない、それが運命だ、とね。
 もしも、彼が私のことを憶えていたら、その時には会う約束を取り付けよう。
 そうしたらこのスカートを履いて行ってやる。柳生くんが窘めてくれたら、私は憶えてる?と聞いて二人で思い出話に花を咲かせればいい。

 運命なんて、きっとそんなものだ。

 もしも、彼がまだ私のことを気にかけてくれていたなら、その時には――。

「……、もしもし…佐藤…さん?」

 自分らしく向き合って行こうと思う。


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