「もう今年も終わる。具体的な数字はまだだが、二学期の前期に比べて後期は記録を見ずともわかるほど風紀委員に注意される者は少なかったかのように思える」
各委員の報告を受けてから真田はその良い結果に満足そうに言った。
「だが、油断してはならない。風紀委員の些細な気の緩みが不正を逃すことに繋がる。各委員はしっかりとした態度で生徒たちと接するように。…それでは来週の最終委員会での報告時まで各自職務に勤めてくれ。以上」
最後まで気を抜かないように念を押した真田の言葉を合図に今日の風紀委員会は終わった。今日は今学期最後から二番目の風紀委員会で実質的な締めくくりの会でもある。来週の委員会では短い報告会だけなので一週間前の今日に大方のことは終わらせなければならなかった。
「柳生、今日は部活に出るか?」
そうは言っても思ったよりも時間がかからなかったため、まだ下校時刻には至っていない。資料をまとめて鞄に入れた真田が立ち上がった柳生に声をかけた。
「あ、いえ。今日は遠慮させていただきます。…確か幸村くんと丸井くん…それに仁王くんもいらっしゃいましたよね?」
同じく立ち上がった私にちらりと視線がよってきたので柳生を見返せば、すぐに真田へと向き直ってしまう。
「ああ。そうだ。今日は珍しく仁王が後輩指導に出ると蓮二が言っていたな」
「元部長の幸村くん、それに部長の切原くんもいらっしゃることですし、私は明日参加させていただきます」
「そうだな。いつまでも俺たちが見ていられるわけではないからな。…うむ、俺も幸村と少し話をしてから帰るとしよう」
柳生の意見に頷いた真田は先に失礼する、と早足に教室を出て行ってしまった。
「なまえさんは…お帰りにならないのですか?」
真田の出て行った先をぼんやりと見ていた私はそう声をかけられてはっとする。
「あ、うん。帰る。帰るよ。柳生が帰ったら」
「…今日は鍵当番でしたか」
「うん」
「あの、では鍵当番が終わった後のご予定は何もありませんか?」
「え」
急な誘いに驚いて声を上げれば柳生も同じように「え」と声をもらす。
「す、すいません! 何の前触れもなく急にこんなこと…! 自分でもこんなこと言うつもりはなかったのですが…つい」
慌てる柳生を見ていたら、私たちの間を流れていた何とも言えない不穏な空気は霧消された気がした。
「柳生ったらそんなに焦らなくてもいいのに」
くすくす笑う私に柳生は困ったように、けれど安心したように笑った。
「すいません。あなたの気に障ることをしてしまったと考えたらとても冷静ではいられなくて」
「どこまで紳士なのよ」
「何を仰いますか。私はいつでも紳士です」
気取る柳生が面白くて笑いがもれる。丸井がいうような気の落ち込みようはあまり見られなくてよかった。
「今日、柳生が元気ないって丸井から聞いたから、少し安心した」
「そんな…丸井くんにいらぬ心配をお掛けしてしまったようですね…」
「うん。丸井わざわざコンビニまで行ってこれ買って来てくれたぐらいだもん」
うまい具合に話が流れて私は丸井から預かった例のものを柳生の目の前にぶら下げる。
「こ、これは…! もしかしてところてんですか!?」
「うん」
「丸井くん…君はなんていい人なんですか」
「そんなに嬉しいの?」
「ええ。ところてんは私の大好物です。最近ではめっきり食す機会が減っていたものですからとても嬉しいです」
柳生は私から袋を受け取ると心底嬉しそうに顔を綻ばせた。けれど、すぐに表情に影を落とす。
「…気を、使って下さったのでしょうね。丸井くんは」
袋を机の上に置いて柳生は自嘲気味に笑う。紳士と呼ばれるからには誰かに心配をかけるなどしたくなかったはずだ。だから尚更居心地が悪いのだろう。
それもこれも全部仁王が私にかけたイタズラのせいだ。いや、もっと言ってしまえば、私が柳生のことでいつも気持ちを誤魔化し続けていたことに原因はある。
だから、今日はこれを持ってきたんだ。
「柳生、あとこれ」
私は鞄から柳生のハンカチとプレゼントのハンカチを取り出して柳生の目の前に差し出した。
自分のハンカチには見覚えがあるようだけど、その下の包みには見覚えがないようで「これは…?」と言葉を発した。
「私から、柳生に。遅れちゃったけど柳生への誕生日プレゼント」
受け取った柳生は私からのプレゼントが意外だったのか目をパチパチと瞬かせ、私とプレゼントを見比べた。そして意味をやっと理解したのか、ばっと顔をあげると小さく首を横に振った。
「そんな…私はあなたから最高のプレゼントをもう貰っています。さらにこれまで頂くのは申し訳ないです」
「柳生はあれで満足かもしれないけれど、私はあれじゃあげた気がしないの」
「ですが…」
「大丈夫。そんなに高い物じゃないし、私があげたかっただけだから」
そう言えば柳生は納得できなさそうな表情を見せるけれど、さすがは紳士。人の好意は無駄にせずに顔をキリッと切り替えて紳士に相応しい笑みを浮かべて「ありがとうございます」とお礼をいった。
「私ね、」
柳生がそれらを鞄に仕舞い終えたのを見計らって私は柳生に話し出した。
「私は、ずっと規則を守るために…生徒が心地よく暮らしていけるように力を注いできた。
真田にばれないように不正を見逃すっていう風紀委員としてはやっちゃいけないことをやっていた。それのせいで柳生が真田に殴られるなんてことになって、本当に申し訳ないと思っている」
「あれは私がしたくてしたことです。あなたに怪我をさせたくなかった私が勝手にしたことなのですから、あなたが気に病む必要はありません」
どこまでも優しい柳生に私はこころが痛む。その優しさを私はずっと受け入れられないでいた。柳生はわたしに手を差し伸べて待っていてくれた。それなのに、私は。
「私は今まで規則を守っていればそれで自分の安全が確保していけると思っていたの。風紀委員になってから誰かを守るためには変則技だって使わなきゃならないって気づいてからは自分の考えに従って規則を守っていった。
…そんな私は変化を恐れていた。恒常性を保つことに必死になって、自分の気持ちと向き合うことをやってこなかった。
正直、柳生に思いを伝えられた時は、びっくりしたよ。そして、それにどう答えれば一番適切かを考えようとしていた。柳生が悲しむこともなく、一番安全に過ごせる道を探そうとしていたの」
柳生と目が合う。小さく首を横に振ってあなたは何も悪くないですよ、と伝えているようだった。
「ごめんね」
「なまえさん…」
何だか泣きそうになる。柄にもない。そう思い堪えようしたけれど、ダメだった。悲しいわけじゃないのにぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「私は、そんなあなたを好きになったんです。だからあなたは涙を流さなくていいのです」
やっぱり柳生は優しすぎた。
「柳生の優しさに甘えてしまうのは、もう、終わりにしなくちゃ」
そっと涙を拭って、私は柳生の手をとった。すべて、ここから始まったんだ。
「ありがとう。私はもう大丈夫」
柳生が息を飲む。私が言う言葉を勝手に予想してか顔を歪ませた。ああ、そんなに強張った顔しなくていいのに。
柳生からもらった親切をすべて返せればいいな、そう思って私は笑って口を開いた。
「私はあなたが好きです」
涙が溢れて胸があつくなる中、柳生の泣き笑いする顔だけがやけにはっきりと見えた。
(20130316)