8月31日
蝉の鳴き声が夏の空気に溶けるかのように消えていく。
けたたましく鳴いていた彼らは夏の終わりが近づくにつれて、その数をどんどんと減らしていった。
ああ、もう夏が終わる。
ふと目の前の彼を見れば私のことを飽きれたように見つめていた。どうしたの? と聞けば馬鹿ですかと切り返されて納得いかない。
「なんで」
「夏が終わるなんてあたり前ですよ。だって、今日は…」
8月31日なんですから。
樹っちゃんの無常な宣告は宿題の山という何とも認めたくない夏休みの宿敵を私に思い出させた。
ああ、夏休みが終わる。
「樹っちゃん、終わんない。助けて、死んじゃう」
「はいはい」
「樹っちゃあああん」
「口より手を動かすことをお勧めするのね」
「樹っちゃん……答え写させ――」
「お昼」
「え?」
「お昼、白ご飯だけになりますよ」
「そんな…!」
夏休み中、部活のない日のほとんどを樹っちゃんのおいしいご飯でお腹を満たしていた私。そんな私にお米だけで過ごせと?はは、なにそれ無理。
「樹っちゃんまじ鬼畜」
「口より手」
「うーわかったーわかったー」
樹っちゃんだって宿題終わってないくせに。ふーん嫌いな教科残しとくなんてだめだな樹っちゃんは。とかいう私は数学しか終わってないけどな。あれ?だめなのは私?
「お昼ご飯ちょっと豪華にしましょうか」
「え!ほんと!?」
「腹が減っては何とやらなのね」
「わーい!じゃあ頑張るー!」
「あ、なまえ」
「なになに?」
「お昼までにせめて半分は課題終わらせないと、お昼は白ご飯になりますからね」
「そんなばかな」
「ふー…終わったのね」
「は?え、まじ?」
「元々俺は数学が半分残ってただけですから」
樹っちゃんはすくと立ち上がると大きく伸びをした。ついでに私の宿題を覗いて、その量に苦笑いを浮かべた。
「頑張ってなのね、なまえ。それじゃあ俺はお昼の準備してきます」
とは言われても破滅的なあの量を集中力もままならない今の状態の私がそう易々と半分終えられるはずもなく。
「宿題は終わってませんよね」
「なによう。失礼ね。断定してくるなんて」
「えっ終わったんですか?」
「ははは。まさか!」
「…自慢げに言わないで欲しいのね」
「さ!そんなことよりお昼お昼〜」
「はあ…」
今日のお昼はパスタだった。トマトとツナが混ぜてあるやつで、てっきり白いご飯とおかずを期待してお腹を準備していた私はちょっぴり不満を漏らした。
「ふふ。じゃあ食べないんですね?」
「えっそんな!食べる食べる!」
「早く手を洗って来なさい」
「はあい」
それから樹っちゃんの前に座って、パスタをくるくるフォークに巻きつけながら食べる。
うまく樹っちゃんはパスタにツナとトマトを絡めて食べている。伏せていた目がふいにこちらに向いて慌てて私は食べるのを再開した。くすりと笑われてしまった。すこし、頬があつい。
半分ほど食べたところで、樹っちゃんは初めから私にお昼を食べさせてくれるつもりで(普段のとても優しい樹っちゃんに比べれば)厳しいことを言ったんだと気付いて、その優しさがじんわりと胸に染みこんでいった。樹っちゃんの作るごはんがいつもよりおいしくなった気がした。
食休みにその場で少しお喋りをしていたら時計に目を向けた樹っちゃんが立ち上がった。その手にお皿が触れる。
「あ、片付ける? お昼作ってもらっちゃったから、私片すよ?」
「ああ、それは気にしなくて大丈夫なのね。俺が片付けときますから。なまえはそんなことより宿題を早く終わらせてしまいなさい」
「えー……」
私のしかめっ面を見て樹っちゃんは困り顔になる。
「せっかく夜はみんなで花火でもしようと思ったのに…」
「え!?まじ!?」
「サエたちがうちに来て花火するそうなのね」
「えっ誘われてないんだけどどゆこと…?」
「俺があえて言ってませんでした」
「なんと」
「楽しいことが目の前にあるとそれに気が散ってしまうのを考慮してなのね」
にっこりときれいに笑って樹っちゃんは時計を指差した。
その作られた笑顔の威圧感にやられて、仕方なく私は宿題に取り掛かった。みんなで花火をするためならやるしかない!
「買い物に行ってくるのね。留守番お願いします」
夕飯の材料を買ってくるっと言った樹っちゃんはそういうとちゃんと宿題をやるように念を押してから部屋から出ていく。。
遠ざかる樹っちゃんの足音、それから玄関のドアが閉まる音もしっかり聞いてから、私は携帯を開いた。そして中から電話帳を引っ張り出してとある人に電話をかける。
「あ、もしもし。…うん、そう。…あのさ、頼みたいことがあるんだけど……」
その後宿題を今までにないスピードで終わらせた私は疲労困憊になりながらも樹っちゃんのおいしい夕飯で元気を回復して、本日のメインイベントの花火を堪能するべく外に飛び出した。
「わーい花火花火〜」
「よっ。なまえ。樹っちゃんは?」
「明日のごはんの仕込みしたいから先やっててだって」
「本日の主役だってことわかってんのかよ」
呆れて話すバネにサエがまあまあとなだめる。
「それが樹っちゃんのいいところだろ?」
そう言えばみんなうんうんと頷いて樹っちゃんが来るまで準備だけでもしておこうということになった。
「あの、なまえちゃん」
「あ!ダビデ!持ってきてくれた?」
「うぃ。ばっちし」
「ありがとう!助かった!目立たないところに置いといてもらえる?」
「そう言うだろうってバネさんが言ってたからあの隅のとこに…」
指差す方にはテニス部が使っているクーラーボックス。中には私の家から持ってきてもらったケーキが入っている。
「ナイス!ありがと!」
「あの、」
「ん?」
「あんなケーキ、ほっとけぇ君(きみ)」
「ああ、ウン」
「くっ……!その反応が一番つらい……。
はっ…!俺の面(つら)良いんだが、今の気持ちはとてもつらい!!」
頭上高くガッツポーズを決めたダビデが、瞬間バネに飛び蹴りをされた。
そんな様子を尻目に私は、エプロンを外しながら少し慌てたようにやって来た樹っちゃんを呼びかけた。
「樹っちゃーん!もう始めちゃうよー!」
ぱちぱちと花が散り、落ちて、みんなでわいわい言いながらまた火をつける。一向に減らない量にどうしたのと聞けば、業務用のお得パックを買ってしまったんだとサエが教えてくれた。この分だとまた明日も花火ができそう。
亮が火の付いた花火を聡に向ける。聡は真顔の亮にビビってじりじりと後退を続けた。途中、使っていない花火を蹴り飛ばしたりなんだりで馬鹿をする二人をバネが叱りつけた。
そうしたら今度は別のところでダビデと剣太郎が似たようなことをするものだから、バネは大忙し。
当事者になりたくないそれ以外のおとなしい組3人は激しい花火の光からちょっと遠ざかりたくなって、線香花火をちろちろと燃やしていた。
「だいぶ、涼しくなったのね」
「そうだね。もう、夏も終わる」
サエがそういうとしんみりと何だかちょっぴり悲しく感じた。毎年そうだ。樹っちゃんの誕生日は毎年寂しくなる。
「ちょっと寂しいね」
そう言えば樹っちゃんは緩く首を振った。私とサエは樹っちゃんに顔を向ける。
「夏休みの最終日にこうやって花火ができてよかった。
俺、毎年安心しているんです。みんな31日には必ず俺の家に来てこうしてイベントを開いてくれる。こんな暖かい仲間がいるから、俺は今日一日のために出来るだけ宿題も終えることができるんです」
ありがとう。
樹っちゃんはそう言って立ち上がった。
「ちょっと、忘れ物があるので家に取って来るのね」
「え、あ。うん」
ケーキをいつ出そうか、そう考えあぐねていた私に鶴の一声。まさか本人からチャンスを作ってくれるだなんて。
樹っちゃんが行ったのを確認したサエの言葉を合図に私はすぐさまクーラーボックスへ。中身を開けば要求通りたっぷりの氷と固定された箱。中には私が作ったケーキが入っている。
「へえー。なまえもちゃんと女の子してるんだ」
「サエほんと失礼。そういうこと言うから肝心な所で女の子に逃げられちゃうんだよ」
「俺は……そんなつもりないんだけどなあ」
「料理で女の子を褒められないんじゃだめだめ」
「だって、樹っちゃんの料理技術見てると、どんな女の子だって見劣りしちゃうよ」
「それは……言えてる」
このお祝いのケーキが樹っちゃんの眼鏡に叶うかどうかは別として、こういうものは要は気持ちの問題だ。
樹っちゃんの誕生日を祝う気持ちが伝われば上出来。
そういい聞かせて、私はそっとケーキの箱を持ち上げた。
「こぉうら!ダビデ!!!!」
バネの声にびくりと身体を揺らしてしまう。ダビデが前方でバネに叱られている。
相変わらず子供だなあと飽きれて見ながら歩いていると、足元に慣れない感覚があって、気づいた時には――
私は滑っていた。
「え?」
自分のものなのか周りのみんなのものなのかわからない声が聞こえて、目の前に白い塊が宙を舞うもの――そしてそれが目を見開いた剣太郎の顔に――。
「なに、やっているんですか?」
半べそをかく私と剣太郎。私が転んだ原因を散らばった花火のせいだと断定付けるサエ。聡、亮、ダビデの三人を正座させて叱りつけるバネ。
謎の構図に樹っちゃんは首を傾げるも、剣太郎の真っ白なケーキ姿を見る限り大体の検討はついたみたいだ。
私は樹っちゃんへの誕生日ケーキを花火に蹴躓いて剣太郎にぶちまけてしまった。
「せっかく…っせっかく!樹っちゃんのために、宿題そっちのけでっ、頑張って作ったのに〜〜もー剣太郎たちが遊んでるから!」
「ぼ、僕だってこんなとばっちり…!」
「まあまあみんな落ち着いて。バネもそれぐらいにして解放するのね」
ずうんと暗い空気が立ち込める中、樹っちゃんはやけに落ち着き払っていた。そして笑顔で一言。
「じゃあ俺が作ったケーキでも食べますか」
その瞬間みんなが目を見開いた。
「あんの!?」
「え、はい。昨日作っときました」
「えええええ!!私聞いてない!」
「せっかくの自分の誕生日なんだから、みんなを呼んでケーキでも振舞おうかと」
「樹っちゃん…!」
聖母のような微笑みで樹っちゃんはテキパキと支持を出す。
「とりあえずケンタローは顔を洗ってくるのね。風呂場のタオルは適当に好きなの使っていいですよ」
「う、うん!ありがと!樹っちゃん」
「俺のケーキは…そうなのね。バネに頼みましょ」
「おう。任せとけ」
「お店の方の冷蔵庫にさっき移したのでそこにあります」
「聡は家の方の冷蔵庫からみんなの分の新しい飲み物お願いします」
「了解!」
「残りのみんなは花火の後片付けお願いします。ちゃんとしたケーキが食べたい人は真面目にやること」
「オッケー!」
「あとは……って、なまえいつまで泣いているんですか」
「だって〜」
「ほら、なまえの作ってくれたケーキちょっとだけですけどお皿に残ってます。俺はこれを食べるのね」
「でもそんなみすぼらしいの…」
「そんなことありません。なまえが俺のために作ってくれたケーキ。これ以上のものはありません。
ん、程よく甘くて…うん、おいしい。生クリームもよく立ててあります。これ、すごく練習したでしょ?」
「うん」
「やっぱり。なまえのそういうとこ、大好きです」
「樹っちゃん、ありがとう」
聡と剣太郎が戻ってきた。元どおりのツルツル頭に戻った剣太郎をみんなが撫で回すから面白くて二人で顔を見合わせて笑った。
「おっ、ケーキが来たよ」
サエがそういうのでそちらを向けば、バネが何だか恥ずかしそうに頬を染めてケーキを持ってきた。私のよりも数段きれいな見た目で、樹っちゃんのことだから絶対おいしいに決まってるそのケーキ。サエの言うとおり、樹っちゃんに勝てる女の子なんて当分見あたらなそう。
「バネが両手で持ってくるとまるで今日はバネが誕生日みたいだね、クスクス」
亮の笑いにバネがますます顔を赤くしてケーキを大事そうに抱えるものだから、みんなからも自然と笑いがもれる。
「あっ!そうだ。大事なこと忘れてたじゃん!」
「?」
剣太郎の言葉に樹っちゃんが首を傾げる。私たちも何事かと思っていれば「ほら!今日言うべき大切なことだよっ!」と。
はっとした私たちはみんなで息を合わせた。
「みんな!せーの」
「樹っちゃん、誕生日おめでとーー!!」
20130831
生まれて来てくれてありがと三角!
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