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落ち椿に愛を込めて



※ネタバレになるのであんまり言えませんがちょっとでも悲恋無理な人は閲覧注意!











一人の男がいました。冬と春の間の寒いとも暖かいともとれるその季節に男はとある木の前にやってます。春が南からやってくるそれまでの間、例年通り現れた男はその木から毎日毎日こぼれ落ちる花を集めては微笑みを捧げ、語りかけます。

「今年も あなた は、お美しいですね」







不思議な気持ちのまま、私はみんなの前を後にした。

柳生の所に行きたいなと思って少し意識を集中させて思い浮かべれば目の前には柳生。彼は相変わらず椿の木の前で枝に付いた花を見上げていた。

「柳生」

名前を呼べば、彼はゆっくりと振り向く。久しぶりに会った顔は泣きそうでそうさせている原因が私にあるのかと思うと私まで悲しくなった。

風が吹いて、椿の花が力負けをして、ひとつ、地面に落ちてしまった。
「私は、知らなかったのです」

柳生は落ちた椿の花をぼうと見つめて、嘆くようにそう言った。私は黙って柳生の横に並んで立つ。

「この木が、椿の木だったということを」

柳生は懺悔しているかのようにそう呟いて視線を木に戻した。

「椿特有の革質のある葉だというのにこの三年間、全く気づけなかったのです」

私はしゃがみ込んで落ちた椿の花を手に取ってみた。まだ色鮮やかなそれは落ちて枯れていってしまうのが勿体無いほどにきれいで、かわいそうだなと思った。

「あなたは気付いていらっしゃったのでしょう?」
「うん。毎年、この時期に咲く椿を見ていたよ」
「あなたの好きな椿の花…ここに咲いていると教えてくだされば良かったのに」
「だって柳生ったらテニスに夢中なんだもん」

柳生は押し黙る。テニスの話題はあまり触れられたくなかったのかもしれない。でも、今話さなければならない。

「教えてよ。柳生があんなに夢中になってテニスを続けていたわけを」

また、風が吹いた。椿はひとつも落ちることなくきれいに咲いていた。





「私がこんなにもテニスを楽しんでこられたのは仁王くんのおかけです」

少し間が空いてからそう答えた柳生は私の方を向いた。私も椿を手に抱えたまま柳生に向き合う。

「親に決められた学校、将来、品性、私はそんな限られた枠の中で育って行きました。それに別段辛さなど感じたことはありません。両親は私のことを思って一番最善の策を私に提案してくれていました。それに乗ったのは私の意思で、それでいいんだと自己完結をしていました。
けれど、ここで、この学校で仲間たちに出会えたことによって私の世界は見違えるものになったのです。色取り取りのみなさんの中に私が交じわることができて、私は人として大きく成長できました」

ひとしきり話し終えた柳生は、みんなとの思い出を思い返しているのか目を瞑っていた。



「柳生は、テニスをして変われたんだね」
「はい」
「じゃあ、高校生になっても続けなきゃ」

私の言わんとしていることを察したのか柳生はそれには言葉を返さなかった。

「私には、続ける資格がありません…」

ぐっと拳を握り込んで俯いた柳生は首を横に振る。抗えない事実から目を背けるようで見ていて痛々しかった。

「まだあの日の事故のことを気にしているの?」

あの日――柳生が乗っていた市営のバスは事故を起こした。車が突然横からバスに突っ込んできたせいでバスは半壊。負傷者を続出させ、女の子が一人死んでしまった。

私の言葉に柳生はぱっと顔を上げて、声を荒げた。

「あなたは…!あなたは犯人のことが許せなくないのですか!?人一人の命を奪った、あの、憎き犯人が!」

ざわざわと風に椿の葉が揺れる音がした。柳生は怒りに震え、瞳は憎しみに燃えていた。

「――許せないよ。とてもじゃないけど許せそうにない。今すぐにでもあいつの所に行って呪い殺してやりたい」

はっとして柳生は息を飲む。自分ではわからないけれど、私は相当酷い顔をしているのかもしれない。

「でもね…私はそんなことよりも、それのせいで柳生がテニスを続けられなくなることの方がずっと辛い」
「なまえさん…」
「ね、だからお願い。テニス、続けて? あれは柳生には何の罪もなかったことじゃない。柳生が助かったのはテニスを続けていろっていう神様からの言伝なんだよきっと」

納得いかなそうだけれど、無理して笑う私の顔を見て柳生は苦しげに小さく頷いた。

「ありがとう」

私はお礼を言ってから、いつの間にかもうひとつ足元に落ちていた椿を拾い上げて柳生に渡した。

「さっき、みんなが会いに来てくれたよ」

びくりと柳生の肩が揺れる。私はそれに知らないふりをして続けた。

「幸村くんは静かに泣いていたよ。声を出さないでつうと涙が頬を伝っていた様子はとても綺麗だった。
真田くんと柳くんは…表情には表れてなかったけど、悔しそうにやるせない気持ちを胸に抱えていてくれたのはすごくわかった。
…赤也くんったらずっと泣きっぱなしでね。丸井くんとジャッカルくんが泣くなよって、自分たちも泣きながら慰めていたの。
あ、それから仁王はね、どっから採って来たのかわからないんだけれど、椿の花を枝ごと持って来てくれた。真田くんが怒るかと私ひやひやしていたんだけど、真田くんも、誰もなにも言わずに棺の中に椿を入れるのをただただ見守っていた」

柳生は耐えきれなくなったのかこれ以上聞きたくないとばかりに両耳を手で塞ぐ。嗚咽をもらしながら首を横に振られるけれど、私にやめるつもりはない。

ごめんね、柳生。でももう時間がないの。

柳生の手から落ちた椿を私は拾って、二つの椿を胸に抱えた。

「ねえ、柳生は来てくれないの?」
「……、っ…」

みんな棺の前で最後の別れをしてくれた。そんな中、柳生だけが来てくれていない。もう最後なんだよ。挨拶してくれなきゃ。


「私は…私は…まだ…あなたの死を受け入れられません…」


崩れ落ちた柳生は顔を覆う。涙が止めどなく溢れていた。





「事故のあった日、」

柳生があんまりにも泣くものだから、私は思い切ってそう言葉を発した。

ぴくりと柳生の方が揺れ動く。聞くことを拒絶するかのように彼の身体は微かに震えだして、私は胸が痛んだけれど、続けた。

「あの時、朦朧とした意識の中で柳生の声だけがやけにはっきりと聞こえていたの。私外まで抱きかかえられて、…あれは地面に下ろしたのかな? よくわからないけれど、何か硬いものの上に横たわらせられて、柳生は冷静に、私に処置を施してくれた」
「なまえさん…もう…」
「あれはきっと的確な処置だったんだよ。柳生は私の状況をきちんと理解した上でやってくれていた。…それが絶望的な状況にも拘らずに」
「やめてください、なまえさん」
「ごめんね。やめないよ。
柳生が最後息が絶えそうな私に人工呼吸してくれたでしょ。 柳生気付いていた? あれ、私たちにとって初めてのキスだったんだよ。私少しおかしくて笑っちゃった。まさかあんな所でファーストキスを奪われちゃうだなんて」
「なまえさん!」
「――あれが、最初で最後のキスだったね」

涙でぐちゃぐちゃの顔が何度も何度も、私を生き長らえさせようと口付けを落としたあの時。ぐちゃぐちゃの私の身体をこの世に繋ぎとめるかのようにぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた逞しい腕。はっきりと覚えている。声も出なくなって眠りそうになる私の名前を柳生はずっと呼んでくれて、私が息絶える最後の最後まで私を助けようと奮闘してくれた。


泣かないって決めた。人でない私はこれ以上柳生を縛り付けてはいけないから。

「ね、柳生。顔を上げて。私は感謝しているの。柳生と今まで恋人として過ごせてきたこと。とても幸せだった。こんな陳腐な言葉じゃ言い表せないほど私は幸せだったの」

泣き腫らした瞼で柳生がやっとこちらに顔を向けてくれた。幼い子供のようで私はつい笑いがもれてしまう。

「なまえ、さん…」
「愛していました」
「…!…」
「柳生は前に進んでください」
「…あなたは…?」
「私はあそこへ」

指差す方向は青空。雲一つない快晴で心地良い天気だった。

「行かないで、なんて…言っても無駄なんですね…」
「うん」
「ずっと…こうして私の側にいてくれることは叶わないのですか…?」

懇願するかのようにそう言う柳生に私は静かに首を振った。柳生にしか見えない今の私。今こうしていられるのはたぶん最後の別れをするために神様が時間をくれたから。もうすぐ私の火葬が始まる。それが終わればきっと私はもう――。

「ね、柳生。もうひとつだけ。私のお願い聞いてくれる?」

くしゃりと顔を歪めて柳生は立ち上がる。涙でぐしょぐしょだった顔をハンカチで丁寧に拭いてから、深呼吸をして私に向き合った。それは私がよく覚えているいつも通りで優しい柳生。

「何でしょうか、なまえさん」

だから私も精一杯の笑顔を向けた。

「ここの椿、落ちた椿を全部私の棺にいれて欲しいの」
「落ちた椿を、ですか」
「そう。…こうして落ちている椿が私好きだから」

手を広げる。ふわりと風が吹いて柳生と私の間を駆け抜けた。

地面を絨毯のように埋め尽くす椿。柳生は二、三度瞬きをしてから驚嘆の声をもらした。

「こんなに…落ちていたんですか…」
「そうだよ。
…みんな見るのは枝についたきれいな椿だけ。私は昔から地面に落ちて少し枯れてしまった椿がかわいそうだなって思っていた。下に目を向けるとね、いろいろなものが見えてくるの。落ちた椿だって、木に残っている椿と何ら変わらない」

柳生に改めて私の持っていた二つの椿の内のひとつを渡した。

「椿はこうして花弁が丸ごと落ちる。人間と…私と一緒。まだこんなに生命力に満ち溢れているのに、些細なことで落ちてしまう」
「なまえさん、そんなこと…」
「いいの。大好きな椿と同じなのは私にとって嬉しいから」

椿の花は私と柳生の手の中で色褪せるのとのない真紅を映えさせていた。

「柳生」
「はい」
「もう行かなきゃ間に合わないや」
「…はい」
「私のことはもう忘れて前に踏み出してね。でも、たまに…ううん…冬が終わるこの時期に、こぼれ落ちる椿の花を見て私がいたことを思い出して…それだけで…構わないから」

泣かないって決めていた。決めていたけど、声が震えて。それを意識したら尚更柳生との思い出が蘇ってきて、本当に最後なんだって思い知らされた。

「――私はあたなのことを決して忘れませんよ」

え、そう声をもらすと柳生が私のことをふわりと抱きしめた。

「なんだ…抱きしめられるんじゃないですか…」

早くやればよかったと声をもらす柳生の体温に目の奥が熱くなる。

「やぎゅう…」
「毎年必ず会いに行きます。椿の木の下、あなたに会いにこの季節、私は毎日椿を拾いに、あなたの元へ参ります」
「う、ん…」
「忘れろなんて言わないでください。私はあなたとの思い出を胸に生きて行きたいのですから」

ぎゅっと抱きしめられた。最後の言葉は何にしようかとずっと考えていたけれど、思いつくのは単純な言葉だけだった。

「ありがとう、大好き」
「私も、ずっとあなたのことを愛しています」

椿が落ちる。私の手からひとつ。そして命がひとつ消えるかのように椿の木はその花をひとつ、静かに落とした。







一人の男がいました。男は抱え上げた花を見ては声もなく涙を流します。その涙は数年前と変わらず毎年流され続けて来た涙です。しかし男は悲しいのではありません。
なぜならば男の中には男が心から愛した少女との思い出が、今も色褪せることなく咲き続けているからです。






「みなさん…今年もわざわざ来て下さってありがとうございます」

柳生は振り返った先に見える古い友人たちに礼を述べる。

まだ大人になりきれていなかったあの頃、柳生は大切な人を喪った。

両手に持っていた椿を、脇に置いてあった八つ目の袋に入れて柳生はもう一度椿の木を見つめた。花弁をすべて落としたその木は哀愁漂うようだと柳生は思い、寂しさを覚えた。

“ありがとう”

風に揺れる椿の葉がそう囁いたように聞こえて柳生はふっと微笑む。

「いえいえ。私が好きでやっていることですから」

柳生は仲間たちの方へ振り返る。仲間たちは別れを終えた柳生に近付き、近況報告やらたわいもない話を繰り返しながら一人ずつ、椿の入った袋を手に取る。
「今日はいいお天気ですから、海に流せば彼女からもよく見えると思います」

そう言う柳生に仲間たちは静かに頷いて、柳生が愛した少女の眠る晴れ渡る青い空を見上げた。


(今年も、また会いに来ました)




(20130401)

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