深夜のホーム、そこにあるのはふたつの影だけだった。
仕事帰りなのだろう。ネクタイをゆるめて背広を腕に抱え、ベンチに座り込んだひとりの男。
そこから一メートルほど離れた場所に立つ、ミニのワンピースを着たひとりの女。
年齢はどちらも二十歳そこそこといったところだろうか。
女は、喪服と見紛うような漆黒のワンピースを着ていた。もっとも、喪服にしては激しい露出のために、喪服だと実際に勘違いするものはほとんどいなかっただろうが。
「こんばんは」
距離を詰めないまま、女は言った。
男は、彼女を見上げて一瞬怪訝な顔をした後で、はあ、と答えた。
「次の電車まで、随分ありますね」
男の怪訝な表情にめげることなく、女はまた言葉を重ねた。
「はあ……そうですね」
なんだこの女、という疑問と警戒の入り混じった声で、それでも男は返事をする。
女はその距離をつめることはしないまま、ぽつりぽつりと言葉を重ねた。
暑いですね。
お仕事の帰りですか。
遠くまで帰るのなら、大変ですね。
もう少し、間隔短く電車があるといいですね。
はい、ですべて答えられるような、毒にも薬にもならない話題を重ね、女は静かに笑みを見せる。
どこまで帰るのか、どこの会社なのか、などを尋ねられることがないとわかると、男は少しずつ警戒を解いた。
男は、考える。水商売か何かの勧誘だろうか。服装も地味なようでいて、露出が高いし。
別に一杯くらいなら付き合ってもいい。次の電車まではまだ二十五分近くあるし、それを逃せばまたそこから一時間後だ。その間に――。
「あなたは? 仕事?」
男はついに、自分から問いを発する。女はそっと微笑んで答える。
「ええ、これから」
その答えに、男は自分の考えが正しかった、と、内心で笑う。
「勧誘役なの?」
「はい、今日は」
女は頷く。見た目の割に落ち着いた声音と微笑みで。
店の教育がいいのだろうか。がつがつした勧誘でないところも気に入って、男はその店に行ってみたい衝動に駆られた。
けれど、これだけの教育をされているとすれば、敷居も高そうだ。男は思い切って尋ねる。
「すごく正直にきくけどさ、その……、高い店?」
「いえ。そんなことは、ありません」
女は、そこで初めて、するり、と男に近付いた。そして、誰がいるわけでもないのに、耳打ちをする。
確かにそこで提示されたビール一杯の値段は良心的かつ常識的なものだった。