雑記 | ナノ




2018年総括

仕事に追われて、最後に大掃除だけやってたどり着いた年末という感じです。祖母が亡くなったので喪中なんですが、珍しく実家て年越しします。明日は家族揃って墓参りです。
今年は6-7月頃にかなりいろんな事情で精神的に荒れてたんですが、日記読み返すと4月に知人がなくなっていて、その影響もあったのかな、と思います。
日常生活にぽんと「死」が飛び込んでくるのは、しんどいものでした。

そのせいもあるのか、4月頃アプリゲーム「A3!」にハマってソシャゲに勤しんでいました。現実逃避には最適で、ゲームに救われたなあと思います。
一番つらかった6-7月はひたすらエモい二次創作を書いていました。8月にはA5で2段組の150ページ越えの本を出しました。「他人を犠牲にして生きること」みたいなのがモチーフでした。評判よかったです。
ほかの方も書いてましたが、二次創作のほうが地の部分が出ます、私も。一次創作は表現したいものを明確にしようと頭を使うので、それなりに自分の中の経験や感情を解体して再構成しています。二次創作はキャラクターを借りているし、世界観の創作の負担がちいさいので、そのぶんエモさを全開にして垂れ流してとり、露骨に生々しい言葉が出ます。気取らないということなのかも。
結局、11月にもイベント参加して、すでにA3!は3冊出してます。頒布数は読み通りというところです。

一次創作は春と秋に、大正時代の架空の街の「佐井原」を舞台にした小説を2本書きました。
1本めは「The Beautiful People」で、サナトリウムを舞台に「避けられない死」を前にした人間の葛藤を描きました。医者・神父・マルクス主義青年が、近代医学・キリスト教・社会改革の3つの思想信条をもとに三つ巴で議論を交わします。その中で、死にゆくものを救えるのは誰なのか、救いとは何なのか、みたいなことが紐解かれていきます。久しぶりに大人の話になりました。
小説を書き終えた次の月に、祖母と友人が亡くなったので、すんでのところ、という感じです。書き終えてなかったら、ドロップアウトしたかもしれません。

2本めは「Innocence」で、同じ佐井原を舞台にした作品です。少年瑠架は、山の中の教会で静かな生活を営みながら、心の中は嵐が吹き荒れ、混乱の中、神父に救いを求めます。いつか書きたいと思っていた、「神の不在」がモチーフになっています。
私の中で、この作品は一区切りになりました。たぶん私が20歳くらいときに書きたいと願っていたのはこんな小説なんだろうと思います。透明で純粋で美しい少年の、悪魔的な所行を描こうとしていました。自分の中で「やっと書けたなあ」という思いがあります。

2本とも、自分の好きなことのど真ん中を書きました。頒布は例年より少しだけスローペースですが、こんな感じでのんびりやろうと思っています。頑張って売る本ではないですし、必ず欲しい人はいると思える作品なので、細々やります。
「佐井原」という土地の名前は、もちろん「賽の河原」のもじりです。あの世とこの世のあいだ、正気と狂気のあいだ、理性と感情のあいだ、みたいなものをこれからも書いていきたいです。

しかし、次の新刊はいつになるやら。2019年は1月に文学フリマ京都に出ますが新刊はありません。「Innocence」は初だしです。春のJ庭もたぶん新刊はなく、「Innocence」初だし。
そのあとは全くの未定です。文学フリマ大阪は飛ばすかもしれません。J庭は出たいので秋も申し込みたいですが、新刊の見込みがなく。
二次創作も3月申し込みますがそこで打ち止めのつもりです。

理由はもちろん、仕事です。相変わらずの非正規雇用で不安定な職位なんですが、立場はずいぶん上がりました。去年までは関西で地味に活動してる零細だったんですが、今年は突然「注目の新人」の位置に躍りでました。(本人は舞台の真ん中で棒立ち状態です)
いろんな会議にご招待いただき、話す仕事(ギャラあり)は年間で10本以上ありました。去年出した本はめでたいことに賞をとりました。2本ほどプロジェクトに誘われました。今年も経費は獲得して、海外にまた行く予定です。あちこちからハッパかけられています。
というわけで、突然、華やかっぽくなってしまいました。嬉しいというより、ついていけてません。期待される成果も大きくなっており、困惑。
私はもともと他人の期待に応えたい気持ちが薄く、逆に言えば誰にも顧みられなくても平気です。むしろ、近寄ってくる他人には警戒心が発動して避けてしまうところがあります。でも、本当に次々と声をかけていただき、観念しました。「これは罠や褒め殺しではない、本当に期待されているのだ」と認めるに至ります。
そういうわけで、期待に応えるべく、仕事に邁進しようと思っています。ただ、そんなに器用じゃないので、仕事できっと行き詰まるし、つらくなったらいつも通り小説を糧に堪えようと思っています。

というわけで、来年は小説の新作の予定はゼロです。しれっと出してるかもしれませんけどね……
小説を書く時間が取れないのはつらいけど、そのぶんインプットに時間使いたいとも思っています。次は資料をしっかり読み込んだファンタジーやSFを書きたいという野心はあります。
もちろん、新刊でなくてもイベントには現れると思いますし、来年もよろしくお願いします。

2018/12/30 23:03





秋の3連戦(Tokyo Fes、 HaveNiceD、コミティア)

秋の三連休を利用して、2日間で3つのイベントに参加致しました。どれも三者三様ものすごく楽しかったです。

1日目のTokyo Fesは二次創作に別名義で参加し、新刊がまさかの1時間以内に完売でした。こんなことやらかしたのは初めてです。いつも山ほど持って行って、余らせて帰ってくるんですが、予想以上に出てしまい、買えなかった方には申し訳なくなりました。でも素朴に嬉しい気持ちもあります。(でも次からは余らせるくらい持って行くつもりです!)

そのあと、秋葉原に移動してHaveNiceDに。こちらはHUBでお酒を飲みながらの大人の同人イベントです。私は持ち込み数はほぼ完売となりました。いつもと違う方にお手に取っていただけたので、嬉しかったです。プレゼン力を活かして、酔っ払ったかたに売りつけてしまったような記憶……

次の日は、コミティアに参戦。うめこさんと隣接でした。うめこさんとは、モバスペ時代から交流があって、前にやっていた合同サークル「ヤミークラブ」ではご一緒してました。でもゆっくりお話するのは初めて。すごく楽しくて、喋っていたらイベントが終わってしまいました笑
こちらは、なかなか頒布数は伸びなかったのですが、ゆっくりコミティアの雰囲気を味わえたのがよかったです。素敵なイラストの方がたくさんいて眼福……
そして、あらためて、私の本の表紙を描いてくださった絵師さんたちは素敵だなあとしみじみ思いました。(近衛さんの画集はしっかり買えました)多幸感のなか、「新刊作るぞ!」と思って帰りました。

この時期は仕事の繁忙期でイベント参加は難しいのに、3連チャンでぶっ込んでしまいどうなることかと思いましたが、十二分に楽しみました。ありがとうございました!

2018/11/25 18:15





技術が欲しいな、と思った話。

今回の東京滞在中に知人のライブに行きました。それはとても楽しかったけど、自分が1番強く感じたことは「技術って大事だな」ということです。
「やっぱり、上手なことはいいことだ。なぜなら、価値観が違う人とも作品を共有できるから」
ということを思いました。

私は仕事にしても創作にしても、落ちこぼれの底辺からあがってきたところがあるので、頑なに「技術は後回し」と思ってきたのですよね。でも、もう、核になる自己は確立できたので、技術を磨くための努力に移ってもいいなあと思いました。
これはあくまで私の考えだけど、核になるものがないまま、技術を身につけると「中身が空っぽになる」という恐怖があります。なぜなら、核になるものを作りあげるときには、技術は捨ててみっともなくあがくしかないからです。
でも、いくら核があっても、技術がないと伝わらない。もちろん、価値観が重なる人は直観的に理解してくれるけれど、そこで止まりたくはないわけです。

このときに大事なのは「売るための努力」とか「流行りについて行く」のとはちょっと違います。私は、完璧な文章を書けるようになればいいわけです。正確で無駄のない、きれいな文章です。つまり引っかかりがなく、隙がない。
もともと、私はそんなに文章は下手ではないですが、まだ完璧ではない。8割書ければ良い、というのではなくて、10割書けないといけない。
しかも、内容のレベルは落とさず、自分の伝えたいことをキープする。これができれば、私はたぶん満足するなあと思いました。

べつにこれは、次の作品で達成することではなくて、10年くらいかけてやることです。私はそのへんは気が長いので、10年後の自分をイメージしてやろうと思っています。
10年後は40代半ば。その頃に「私は技術的には問題がない」と言えるようになりたい。そのために頑張ろうと思います。

要するに私は今、うっすらと自信があるということですね。今の私は問題がない、からこそ、先に進むのに躊躇したくない。そんな感じでしょうか。

2018/10/23 10:41





J庭(10/21)に参加致しました/作品のことなど

J庭で新刊「Innocence」を頒布致しました。今回は私は抽選でスペースがとれず、ガックリしていたのですが、きよにゃさんのご好意で委託させていただきました。本当にありがとうございました。
きよにゃさんには参加前から丁寧にご連絡をいただきましたし、サークルチケットもいただいてしまいました。当日は売り子としても一緒に活動できて楽しかったです。
私は抽選に落ちたのは初めてでこんなにショックで悲しいことだとよく学びましたし、いろんな方に慰めていただき、お声かけもいただくことで、あらためて支えていただいていることに気付かされ、いい勉強になりました。
同人活動は人生の縮図ですね(大袈裟かな?)。

それにしてもJ庭は毎回楽しすぎて、ぜんぜん回りきれません!せっかくお会いしたら少しお話したいし、あれもこれも欲しいし、うろうろしていたら閉会時間になって撤収作業に入ってしまいました。まだまだお会いしたい方が何人もおられて残念です。
3月の春庭は欠席のつもりだったのですが、今回はスペースが取れず無念でしたし、なんとか出れるようにスケジュール調整をするつもりです。次こそ、お会いできると幸いです。

さて、そのあとはアフターで椿山荘のハイティーにいきました。楽しかった……!
そして、自分の本や仕事のことなど話していました。でもなんか、うまく言葉にまとまりませんでした(シャンパンのせいかな?)

一晩たってみて、私にとっての文章を書くというのは「投壜通信(とうびんつうしん)」のようなものだということを思いました。ボトルレターです。瓶の中に手紙を入れて海に投げ入れて、誰かが受け取ってくるのを待つのです。(詩人のパウル・ツェランがこの話をしています)
先月、別の人とツェランの話をしているときに、詩人も作家もみんな、手紙を書いて海に投げ入れて、誰かが読んでくれるのを待ってくれるだろうという話題が出ました。それも、暗号化して、読んだ人が作品の中で読み解いてくれることへの期待を込めた手紙です。
これは「テーマを伝える」「メッセージを伝える」のとはちょっと違います。感性的なものは、説明できるものでないので、謎としてしか書けませんし、書いた本人にも整理して言語化できません。
その時話していたのは「まあでも、ほとんどの場合は海に漂って誰にも読まれないか、読まれたところでなんじゃこりゃと思われて捨てられる」ということでした。とても幸運な手紙は「なにかが伝わる」、けれど、私たちの書く手紙は95パーセントは海の藻屑だという、そういう話です。

私はいつも「拾ってくれる誰か」のことを考えているんだろうと思います。それは、ここに書いた謎を解いてくれる読者です。
しかも私は、たくさん謎解きの手紙をもらっており、そのたびに嬉しい気持ちでいます。かなり幸運な書き手だと思います。
たぶん、私はそうやって、海の向こうの誰かのことを考えてずっと書いていくんだろうと思います。

こういうロマンチストなところと、きわめて打算的で金のためならいくらでも話を盛る、身も蓋もなさが同居しているところが、私のいいところなんじゃないでしょうか。広い海原というよりは、養殖場とか港の近くに瓶を投げるタイプですしね。
これからも、美しいことを言いながら、ダサいことをしていきたいと思います。

2018/10/22 07:18





第3回静岡文学マルシェ(6/10)に参加いたしました。

このたび、初めて静岡文学マルシェに参加しました。以前から、Twitterで美味しいマフィンのツイートを見て「行ってみたい」と思っていたんですが、これまでは開催時期が繁忙期と重なっていました。今年はスポッと私の仕事がなくなる6月に開催されると聞き、足を伸ばしてみるのことにしました。

今回はまゆみさんとの二人旅で、前日入りして沼津で「さわやか」のハンバーグを食べて、深海水族館に行って楽しく観光しました。もちろん、夜はスノドカフェで行われた静岡おでんを食べる懇親会にも出ました。もうすっかり楽しくなり、この時点で「打ち上げた」気持ちになりました。

次の日は朝からカフェで朝食をとって、会場入りします。静岡は小さくて可愛いお店が多く、食べるものはどれも美味しくて楽園でした。「静岡最高〜」という気分でイベント開始です。

静岡文学マルシェは48spの小規模イベントです。それでも一般来場者が100人を越える「外から人の来る」イベントになっています。穏やか雰囲気で、カフェスペースもあり、まったりと時間がか流れます。
そのせいか、なんとなく「本を読む」空気ができているように感じました。私はここ最近は、慌てて知り合いのスペースをまわってイベントが終わることが多かったのですが、今回はゆっくりとほぼ全スペースをまわりました。見本誌を読んだり、委託コーナーも覗きました。
その理由のひとつは「地域の持つ力」なんじゃないかなあと、勝手に思っています。静岡文学マルシェの参加者は静岡の地元民が半数ほどを占めるようです。地元民がメインになるのはこういうイベントでは大事なことです。
それに加えて、会場のMIRAIEリアンはフラメンコやワヤン・クリッの公演などもやる、渋くてコンテンツ力のあるコミュニティホールのようでした。イベントに協力しているスノドカフェはオルタナティブスペースで、やはり地域と密着した文化空間作りを担っています。
静岡文学マルシェは、単体で面白いのもありますが、こうした地域の中に位置づけられ、地元民に愛されるイベントになっていることも、独特の雰囲気の理由の一つではないかと思いました。
そのおかげか、私はイベントなのに「ここで好きなことすればいいのではないか」と思い、PCを広げて原稿を始めてしまいました。私と両隣のスペースがタイピングしてたので、不思議な光景に。でも3人とも原稿が進んだようなので静岡文学マルシェは、「本の神様」でもいるんでしょうか。

イベント中にもスノドカフェのマフィンとコーヒーを楽しみ、近くのアオイさんでパフェの持ち帰りをして食べました。ひたすら「静岡っていいよねえ」とまゆみさんと言い合って時間が過ぎていきました。
そういう意味では、自分がこれまで経験した即売会と比べると、五島列島の福江のイベントが一番似ているかもしれません。雰囲気全く違うんですが、どちらも「地域の持つ力」を感じました。

頒布点数については、ゆっくりペースでした。でも、手に取ってくださる方は初めて拙サークルに立ち寄って下さった方も多く、興味深げに見ていただいので嬉しかったです。旅立った本が読者さんの心に届くのを祈る気持ちです。(私の作品はR18やBLが多く、一般参加の方、同人文化に馴染みのない方に、本を見ていただくのはいろいろ悩むこともあるのですが、それは別立てで書きたいです)
それに、ほかのサークルさんの本を眺めていると、ご当地ものがとても楽しかったので、来年出ることができれば沼津の話など書きたいと夢が膨らみました。鬼が笑う話ですが。

それから、静岡文学マルシェは、スタッフの方が本当に元気で親切で、ウェルカムな雰囲気を伝えてくださっていたので安心して楽しむことができました。ありがとうございます。
初めてのイベントはやっぱり緊張しているし、馴染めるか心配もあるので、前夜祭から当日まで、スタッフさんたちのお声かけに助けられました。きめ細やかな運営でずっと楽しかったです。
静岡文学マルシェは、来年も6月になりそうとのこと。頑張って旅費を貯めて参加したいです。(興味持たれた方は、ぜひ、美味しいものを食べるための予算も組んで、静岡へ!)

2018/06/11 10:09





  





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