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世間から『ブックマン』と呼ばれているヒーローがいる。
一度読んだ本の内容が全て頭の中に“記録”されており、何時いかなる時でもその情報を“閲覧”することが出来る『図書館』の個性を持つ男だ。
彼が過去に読んだ本はジャンルを問わず、百科事典はもちろんのこと昨日の新聞に掲載されていた四コマ漫画にまで及ぶ。
突飛した戦闘能力はないものの、その知識量から彼を重宝する人間は多い。
問えば全ての答えが返ってくる、とさえ言われる彼は別称『移動型図書館』である。
「名前くん、調子はどうだい?」
不用心にも開けっ放しの玄関から家の中に足を踏み入れた塚内は、迷うことなく玄関から入ってすぐの地下へと通じる階段を下り、その先にある分厚い扉を開け放ちつつそう声を上げた。
扉を開けた瞬間ぶわりと感じる黴や古紙の臭いが若干鼻につくが、塚内の顔に浮かんだ笑みは崩れない。
「・・・扉を、閉めてください、塚内さん」
地下室の奥からか細い声が響く。
塚内は言われた通り扉を閉めると、薄暗い地下室をぼんやりと照らす灯りのある方へと近づいた。
テーブルの上に置かれている灯りはベッドサイドに置く様な小さなライトで、部屋全体を照らすには難しい代物だ。
地下室にはきちんと照明があるはずなのだが、この部屋の主・・・塚内には『名前くん』と呼ばれていて、世間からは『ブックマン』と呼ばれているその男は、それを良しとしていないらしい。
「外は良い天気なのに、この部屋は何時来ても薄暗くてじめじめしてるなぁ」
「・・・本の天敵は日焼けです」
塚内の言葉に再びか細い声が返事をする。
ランプが置かれたテーブルに本を置き、それに只管視線を動かす男 名前。
塚内が傍に来ようとも、その視線が塚内に向くことは無い。
ぱらぱらと本が捲られる。塚内が来た時には既に残り少なかったページは、此処に来て一気に捲られた。速読だ。
「よって僕の天敵は日焼け」
ぱたんと本が閉じ、名前の顔が漸く上がる。
「だから僕は外に出ない」
薄暗い中でぼんやりと照らされた名前は不気味だが、塚内はそんな彼の顔を見てくすくすと笑うだけだった。
「何故笑うんです、塚内さん」
「いや、君は相変わらず可笑しなことを言うな、名前くん」
「可笑しなことは何一つ言ってないですけど」
ぱちぱちと名前の目が瞬いた。
ずっと地下室に籠って本を読んでいたのだろう。無精髭を生やし、伸ばしっぱなしの髪はボサボサで、正直不潔な男。だが、元の顔の造りが悪くないせいか不思議そうに塚内を見上げるその姿は若干の愛嬌すら感じさせる。
塚内はそんな名前を見てまたくすりと笑うと「さて、君の読書も丁度終わったみたいだし、本題に入っても良いかな?」と手元の鞄から資料を出した。
名前は先程の塚内の言葉など特に気にしていなかったらしく「わかりました」と頷く。
「取りあえず、電気を付けても良いかい?部屋が暗すぎる」
「・・・仕事のためなら」
本意ではないという雰囲気をあからさまに出しつつ返事をする名前に塚内は「照明で本は日焼けしないよ」と笑いながら地下室の照明を付けた。
明るくなった地下室は酷い状態だ。
あるのは本、雑誌、チラシ・・・文字が連なるものが片っ端から散乱している。
塚内が立っていた場所にも新聞が落ちていたらしく、塚内は「おっと、ごめん」と新聞の上から足を退けた。
「昨日の新聞にも載っていたから知っているだろうけど、連続殺人を行った敵の目撃情報があった。これがその敵の過去の犯罪歴、こっちが敵の目撃情報があった地区の地図、それでこっちが・・・」
「敵の犯罪歴だけ見せてくだされば大丈夫です。僕の中の資料と照合しますから」
彼の頭の中では現在、過去に読んだ様々な本が一斉に開かれている。
黙って頭の中の本に集中し始める彼を、塚内は黙って見つめた。
「・・・敵の潜伏していそうな場所を数件ピックアップしています。敵が目撃された日時、その日時の交通機関の移動ルート、敵の経歴から、敵の行動パターンを推測・・・」
名前は足元に落ちていたチラシを拾いあげると、その裏
にペンを走らせる。
まるで機械でコピーしたかのような正確な地図が彼の手からチラシへと書きうつされ、やがて一枚の『資料』となった。
「出来ました。敵が潜伏している可能性が一番高い場所は此処です」
「うん、有難う。すぐに本部に情報を送ろう」
名前から受け取ったチラシを真剣な面持ちで見た塚内は、そのチラシを鞄に仕舞うと一つ息を吐いた。
「流石は知識ヒーロー『ブックマン』。『移動図書館』の異名は伊達じゃないなぁ」
「知識の放出ぐらいしかヒーローとしてお役に立てませんけど」
「謙遜しなくても良いよ。確かに君の頭の中には沢山の本が記録されているけれど、それを上手く組み合わせて事件解決の糸口を見つけ出すのは君自身の努力と才能の賜物だ。誇って良い」
「・・・そう、ですか」
手放しで褒められた名前は少し俯いて押し黙る。
先程とは違い明るく照らされた地下室では、名前の耳が赤くなっていることなんてすぐに分かってしまう。
塚内が情報提供を求めるという名目で名前を訪ねることは多く、付き合いは長い。
最初のうちは表情も乏しく声もか細い名前を理解するのに苦労したが、こうやって慣れてしまえば名前は逆にわかり易い男なのだと塚内は思う。
褒められれば普通に喜ぶし、読書を邪魔されれば不機嫌になる。
表情には出ないが、若干変わる声のトーンや雰囲気でわかるのだ。雰囲気に至っては、塚内レベルになるとあからさまだと思うレベルでわかるようだ。
「今回も捜査への協力感謝するよ」
「はい」
名前の耳の赤みが取れかけたあたりで塚内が「それじゃあ」と鞄を手に地下室を出ようとする。
「あの、塚内さん・・・」
「ん?どうかした、名前くん」
普段ならばそのまま無言で見送られるところだが、今日は名前に呼び止められ塚内は振り返る。
まだ照明が付きっぱなしの地下室で、名前が言うべきか言わざるべきか迷ったように口を開いては閉じ、開いては閉じる。
塚内は急かすことなく言葉を待った。何せ、名前の仕事が早かったおかげで、本日の塚内の仕事は予定より大幅に早く終わりそうなのだ。多少次の言葉を待つぐらい、なんてことはない。
それに、実は彼が何を言いたいのか、何となく塚内にはわかっている。
「昨日、グルメ雑誌を、いくつか記録したんですが・・・」
「うん」
「塚内さんは、何か食べたいものとか、その・・・」
言いたいことが上手く言えないからか、次第に名前の顔は俯き、か細かった声は更に細く小さなものとなる。
塚内は「仕方ないなぁ」と心の中で呟きながら、口元に浮かんだ笑みを隠すことなく声を上げた。
「そういえば最近新しいお店には行ってないなぁ。たまには違う場所で夕食を食べてみたいんだけど・・・名前くん、何か良いお店知ってる?」
塚内の言葉に名前は顔を上げる。
わかり難いが、その目は輝いていた。
「はい。すぐに閲覧可能です」
要は塚内を『食事』に誘いたいらしい名前に塚内は「じゃぁ是非教えて貰おうかな」と笑った。
慣れればわかり易い男
本当は塚内の姿を見るだけでも恥ずかしいから、部屋を暗くしている。
なんてことも実は塚内は知っているのだ。
だから来る度に「電気を付けても良いかい?」と聞くのだが、もちろん名前はそんなこと知らない。
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