「あ!名前さん、今帰りー?」
「あぁ、十四松くん」
余った袖をぶらぶら揺らしながら近づいてくる十四松くん。
近所に住む松野さん家の六つ子の一人だ。
彼等がまだ子供だった頃、学生だった僕が近所に引っ越して来た。彼等は彼等よりも年上の僕を『名前さん』と呼んではよく懐いてくれている。
その中でも十四松くんは、特に僕に懐いてくれていると思う。
今だって会社帰りの僕を見つけるとすぐに近づいてきて、僕の周りを落ち着きなくぐるぐると回り歩いているし。
「ねぇねぇ名前さん、それ何?なになに?」
おっと、どうやら近づいてきたのは懐いてるからだけではないらしい。
目ざとく私の手にあるソレを見つけた十四松くん。隠すことなんて出来る訳ないし、特に隠すようなことでもない。
「これかい?ふふっ、帰りに美味しそうなパン屋を見つけてね、つい買っちゃったんだ」
「へー」
パンの入った袋を見ながらだらだらと涎を流す十四松くんに苦笑しつつ「一つ食べる?」と尋ねれば瞬時に頷かれた。
仕方のない子だなぁと思いつつ袋の中身を見せ一つ選ばせようとすれば、ホットドックとメロンパンを持って行かれた。一つと言ったのに、まったくこの子は・・・。
「美味しい!美味しいよ名前さん!」
「はいはい、良かったね」
「名前さんは優しいよね!昔から何でもくれるから大好き!」
「あははっ、嬉しいような嬉しく無いような、微妙な気分だよ十四松くん」
そういえば引っ越しの挨拶で箱入りクッキーを持って行ってから懐かれたっけ。そっか、あれが餌付けか。
出会ってから十数年、唐突に知ってしまった真実に顔が引きつった。
けれどまぁ理由はどうあれ、弟のように思っている相手から『大好き』だと言われるのは嬉しい。
にこにこ笑っている十四松くんの頭を撫でつつ「有難うね」と言えば十四松くんは更に笑みを深めた。
「あ!ハイハイハイハハイハーイ!名前さん、俺実は今とっても欲しいものがある!」
おっと、おねだりの前振りだったようだ。流石にヘコみそうだ。
ヘコみそうだけど、それが十四松くんのおねだりを聞かない理由にはならない。・・・どうやら私は相当彼等六つ子、特に十四松くんに甘いらしい。
「高い物は買って上げられないよ」
「値段はついてないんだけど、欲しいものがあるんだぁ!」
値段がついてない?非売品ってことかな?
十四松くんは他の兄弟とは一風変わったぶっ飛び方をしているから、想像がつかない。
あのね!あのね!と興奮気味に袖を振り回している十四松くんは可愛らしいけれど、こっちは内心ドキドキだ。
「そっかぁ、値段のつかないものかぁ。言ってごらん、十四松くん」
「うん!名前さん!」
「うん」
「名前さん!」
「・・・うん?ほら、言ってごらん」
「名前さん!」
「・・・?」
「名前さん!」
何故だか私の名前を叫ぶばかりで一向に欲しいものを言わない十四松くんに首を傾げる。
「えーっと・・・十四松くん?欲しい物を言って欲しいんだけど」
「名前さん!」
「じゅ、十四松くん・・・」
「俺、名前さんが欲しい!」
は?と私は固まった。
目の前には口を大きく開けて笑っている十四松くん。
「名前さんは、名前さんを俺にくれるよね?ね?」
十四松くんの意図がわからない。
長い付き合いだけど、この子の思考回路は本当にわからない。
「俺、名前さん大好き。だから名前さんが欲しいんだ!」
それはどういう意味なのか。
単純によく何かを与えてくれる私を気に入っているという意味なのか、それとも・・・
「くれるよね?」
「・・・・・・」
取りあえず、その有無を言わさない目を止めてくれないだろうか。
十四松くんの勢いとその有無を言わさない目によって、私はつい頷いてしまった。
その瞬間、十四松くんは夜にも関わらず「やったやったー!」と大きな歓声を上げる。
飛びついてぎゅーっと私に腕を回す十四松くん。勢いに押されて頷いてしまったが、意外にも焦りはしなかった。それどころか、丸い頭を撫でてやるだけの余裕まである。
「名前さんは今日から俺のだからね!」
きらきらと輝く笑顔。
・・・あげちゃっても良いかも。
そう思ってしまう分には、私はやっぱりこの子に弱いのだ。
それはたぶん最初から
「ねぇねぇ、名前書いても良い?」
「頼むから、その油性ペンを仕舞っておくれね」
はて、どの段階で私はこの子の方向性を間違わせてしまったのか。